6月27日 フードコートのたこ焼き

昼ご飯は何がいい。そう両親は言ってきたが、その時目の前にあったフードコートのたこ焼きを買った。

それでいいのか、とは言われるが、外食は好きじゃない。人と食べる速度が合わない、人よりも早く済ませて、申し訳なさそうにしながら食べている顔があまり好きじゃない。だからレストランよりも、個別に食べる方を好んだ。


良くも悪くも、私は人と違ってしまった。

頭が少し人よりも違うだけで、多少人に出来て私には苦手な事が多い。ただ、その逆で、人が出来なかったことを自分がやり遂げることは出来ていた。

全体から見たら優秀じゃないにせよ、「これは貴方だから出来た」と言われることがある。

数にしたら失敗や迷惑を掛けることは多くても、成功出来るのだから悪くは無い。半分こんなのに生まれたことに恨みつつ、四分の一は感謝して、そして四分の一自分はどうやって生きれば良いかを考えている。


人と違うと言っても、色々な種類がある。私はその人種の中で「客観的に反省出来ても、どうすればいいかよく分からない」、に属すると思う。

料理にはレシピがある、材料がある。それを使える体だってあるけれど、レシピの書かれてある日本語はよく分からない。

皆は分からないことがあれば、それを書き込んだり、意味を要約したりする。私はそれをしようにも、書き込むペンは何色が良いか、その時点でつまづく。私はそんな人間だと思う。


歩幅を合わせられないから、結果的に孤立する。頭に原因があったと知ったのは最近のことで、自分が普通の人のように振る舞うにも限界があるのだと分かった。


「だって貴方って人嫌いでしょ」と言われることはよくある。

昔はこの言葉はそうだと思っていたけれど、人嫌いの理由を細分化すれば「普通の人が、私に普通のことをこなしながら、普通じゃない評価を求める期待」なのだろうと思う。


普段から何も出来ないことにガッカリしているのに、それだけは期待する。おまけに、皆は皆と仲良く出来るのに、その能力は誰もが持っていて当たり前。そんな周りが嫌だったが、書いてみても逆恨みだなとは思う。


私は「何も出来ないことに落胆するのに、大きな成果だけを期待する周り」は、今でも苦手だ。なら広義的に「人間が嫌い」と言われてもおかしくはないが、その中でも理解を示す人は少なくない。

説明する度「そんなの自分にとっては理解できない」という人は多くいるが、納得させられるのは自分がどこまで普通に近寄れるかだと感じている。それでもよく思っていない人は多くいるだろうけれど、普通の社会に生きるなら、もう少し人に対して近付くのも悪くない気もしてきた。


まあ、徹底的に叩く人とかどうしても自分には受け入れられない人はいる。ただ普通じゃないと分かっているのに、何も出来ず、何も変えようとしない、のはまずいので、その辺真面目に生きていけばいいよなって思った。


何も大して出来ず、何も成していないのに、自分は人と違うから、とばかり言う「何者でもない何か」になるのは本当に怖いから。


ともかくそうして見失わないようにも、今食べるご飯は美味しく食べたい。帰省で奢って貰えたものがたこ焼きでも、食べ物の中で一番好きだから選んだ、と言えるように。

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