第280話 14章:ヴァリアントが見ている(12)

 飛び出しそうになる由依を手で制したオレは、青井達の観察を続ける。


 青井に猫の虐待を楽しんでいるという感じはない。

 むしろ、包丁を持つ手は震え、今にも泣き出しそうだ。


「……乙美。こんなところに呼び出して、何をしてるんだ?」


 赤崎の方は、事情をわかっていないらしい。


「やっぱり覚えてないんだね……」


 青井は包丁の柄で袖をめくってみせた。

 そこには、くっきりと噛みあとがついていた。


「どうしたんだそれ!?」


 青井はその質問には答えず、ただじっと待っている。


「いやあ、気の強え女だなあ」


 すると突如、赤崎が白目を剥くと同時にその口調が変わった。

 魔力は……感じられないだと?


「なんなの……なんなのよ!」

「キヒヒ……なんなんだろうねえ。たまにしか表に出られないからねえ。キヒヒ……」


 普段の赤崎からは想像もできない醜悪な笑みで、思わせぶりなことを言う。

 青井が混乱するのを楽しんでいるかのようだ。


「何を言っているの……? どうしちゃったのよ健悟!」

「わかっているんだろう? オレが新鮮な肉を喰いたいってさぁ。だが悪いねえお嬢ちゃん。猫じゃあこの飢えは満たされないのさぁ」


 会話から察するに、こうなった赤崎を青井が見るのは初めてではないのだろう。

 おそらく緑山家の二人を喰ったのは赤崎だ。

 青井はそのことを忘れている。

 だが、こうして何度か『おかしくなっている』赤崎を見たのだろう。

 何度かではなく、昨晩だけかもしれないがそこはわからない。

 それでいて昼間は普通に振る舞っていたのか。

 いや……赤崎の正体に気付けば、ヴァリアントに因果律ごと喰われた緑山に繋がる。

 そのため、赤崎の正体に関わる記憶は曖昧になっているのかもしれない。

 だから、普段は明るくしていても、由依の作った肉料理で突然気分が悪くなったりしたのだ。


 記憶が混濁し、かなり混乱していることだろう。

 赤崎が人を喰うのをさけさせるために生贄を用意するなんて行動に出た一方、自分が何をしているかわかっているかも怪しいものだ。

 ヴァリアントに喰われた者の記憶が完全に消えるまでのゆらぎ期間ということか。

 この様子だと、昨日一瞬現れた魔力は赤崎のものだな。


「さあ喰わせなぁ! もう辛抱たまらねえんだよお!


 赤崎が大きく開けた口から鋭い牙が生えた。

 それと同時に、微量の魔力が体から漏れ出した。


 あまりに小さな魔力だ。

 ダークヴァルキリーや低鬼などよりよほど小さな魔力である。


「だめだ! やめろ!」


 そう叫んだのは赤崎自身だった。

 それと同時に、牙と魔力がひっこんだ。


 どういうことだ?

 これまでヴァリアント化してきた人達は、人という殻を破られ、もとの人格は残していなかった。

 ヒミコに種を植えられた声優の陽山さんも、こうして両方の人格が残ることはなかった。


「ほうらお嬢ちゃん、オレに喰われないと、べつの人間を喰っちまうぜ」


 なるほどな……このヴァリアントの能力なのだ。

 考えられるタイプは2つ。


 1つは、赤崎の人格を残したまま顕現し、ヴァリアントが表に出ていない間は魔力も消えるタイプ。

 もう1つはヴァリアントが赤崎のフリをしているタイプだ。


 後者は考えにくい。

 いくら表に出ていないといっても、ここまで魔力を隠せるとは思えない。

 なんせ、他人のフリをしているだけなのだから、ヴァリアントとして存在していることに変わりはないのだ。

 せめて、オレが目を見ればわかるくらいの魔力は漏れ出ていてもおかしくない。


 ということは、赤崎はまだ『生きている』ということになる。

 この状態をそう呼んでいいのかは甚だ疑問だが……。

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