輝く日々 ~Shining Days~

原幌平晴

序章

第1話 再会

 初恋の相手と再会するってのは、ロマンチックな場合もあれば、幻想を打ち砕かれる場合もある。俺と沙希の場合はどっちだったろう……。どちらでもあったような気もする。


 俺の名前は霧島さとし。あれは俺が二十四歳の秋、東京の某医大に通っているときだった。医師の国家試験に備えた、追い込みの時期。

 緑の少ない東京でも、秋ともなれば街路樹の紅葉ぐらいは季節を感じさせてくれる。土曜日の講義は昼で終わったので、学食で適当に昼を済ませた後、神田の古本屋を何件かあさりながら、ブラブラと歩いていた。

 ふと、視線を感じて立ち止まる。見回すと、路地の影から女の子がじっとこちらを見ている。恋の告白には十年は早過ぎそうな、小学三年生くらいの子だ。天然パーマなのか、くるくるとした栗色の巻き毛の下から、黒目がちで表情豊な瞳がのぞいている。会ったことのない子だったが、なぜか見覚えがあるような気がして、思わず俺も見返してしまった。

 突然、その子が泣き出したので、俺は心底うろたえてしまった。なんで? 俺が何かしたのか? しかも、立ちすくむ俺に向かって、その子は両手を広げて走りより、しがみついてきたのだ。わけもわからず呆然としている俺。泣きじゃくる女の子。何があったのかと、通行人はジロジロ見ては通り過ぎる。

 このままでは埒があかないので、女の子に話しかけた。

「どうしたの、君」

 反応がない。

「何があったのか、話してごらん」

 泣きじゃくるだけ。

「泣いてちゃわからないよ、ねえ」

 まったく耳に入らないらしい。どうしたもんかと頭を掻き、おそるおそる女の子の頭に手を置く。

 その瞬間、女の子はぱっと顔を上げると、俺の目をまっすぐに見てきた。なぜか引き込まれる。目をそらせないような、切羽詰ったものを感じた。

「あぐ、えぐ……」

 女の子の口からは、嗚咽のような声が発せられる。同時に、俺のジーンズを掴んでいた両手を離すと、両手をひらひら動かして、一連のパターンを描き始めた。

 手話だ。この子は聾唖者ろうあしゃだったのか。

 しかし困ったことに、俺にはさっぱり理解できない。わからないなりにも、とにかく視線をあわせた方がいいだろうと、しゃがみこんだ。

 女の子は何度も同じパターンをくり返している。人差し指で頬をなでおろし、小指を立てるしぐさ。よほど大事なことなのだろう。幼いなりに真剣な表情だ。俺の方も焦りを感じてきた。

 やがて、手話では通じないことがわかったのだろう。女の子は俺の手を取ると、さっき飛び出してきた路地を指差した。

「あそこに、何が、あるの?」

 口の動きがわかるように気をつけて、はっきりと問いかけた。聾唖者は唇が読めると聞いたことがあるからだ。はたして、女の子はさっきの手話を返してきた。

「これかい?」

 人差し指で頬をなで、小指を立てる。うん、というように女の子は大きくうなずき、ぽろぽろ涙をこぼしながらも微笑んだ。

「よし、行こう」

 女の子の手を握り、路地へと駆け寄る。そこには少女が倒れていた。近くには吐いた後がある。毛織のコートにも、何箇所か染みがついていた。血のように真っ赤な染み。いや……血なのか?

 大変だ、すぐに病院へ。そう思いながらも、一瞬、体が動かなかった。

 わずかに栗色が入った、ゆるくカールした長い髪。病弱さをうかがわせる、透き通りそうな白い肌。華奢な手足。抱き起こそうと伸ばした手の震えが止まらない。まさか……まさか。

「沙希……」

 見間違えようのない、白い顔。十年間。大人になるには十分な時間だ。なのに沙希の顔立ちは、あの頃と変わらずあどけなく、はかなげなだった。

 そのとき、感じた。俺の凍てついていた時間が動き出し、さかのぼり始めるのを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る