第30話 洋酒の普及 その2
「――あ、マスター! 炭酸水の在庫が微妙なので、私、買い出しに行ってきますね!」
「本当だ。ありがとう、お願いするね。これでよろしく」
「はい! じゃあ、行ってきます!」
雫から数枚の銀貨を受け取ったアーリアは、バッグを手にして店から出ていった。
(おっと、もうこんな時間か。お店開けないと)
腕時計に視線を落とすと、時刻は13時数分前。
開店の準備はもう済んでいることもあって、雫は店をオープンした。
すると、数分も経たないうちに店の扉が開かれる。
「あっ、いらっしゃいませ!」
入ってきたのは、もうすっかりと常連になった冒険者パーティー<タンポポの花>の面々だった。
「こんにちは。おや、アーリアはお休みですか?」
「いえ、今買い出しに出てまして。もう少ししたら帰ってくると思いますよ!」
「そっすか! それならよかったっす!」
「今日は……二人に……報告……」
「報告、ですか?」
「まあ、報告っつーか何つーか。あっ、ここ座ってもいいか?」
狼の獣人――エリベールがカウンターに手を置く。
四人組である以上、横並びになるカウンター席よりもテーブル席のほうが話しやすいはずなのだが、彼女らはいつもカウンター席に座りたがる。
それはやはり、アーリアと話したいからなのだろう。
「あっ、どうぞどうぞ! ご注文はいつも通りでよろしいでしょうか?」
雫が尋ねると、四人は同時に首を縦に振る。
つまりは今日もお任せということだ。
「かしこまりました! では少々お待ちください」
できればいつも通りアーリアに作らせてあげたいところだが、戻ってくるまで四人を待たせる訳にもいかない。
(僕が買い出しに行けばよかったな)
そんなことを考えながら、雫は早速ドリンク作りに取り掛かった。
☆
テキパキと手を動かすこと数分。
雫は四つのドリンクを作り終えた。
「お待たせ致しました。こちらがメリルさんの分で」
雫はテキーラとカシスをジンジャーエールで割ったカクテル――エル・ディアブロをメリルに提供した。
このカクテルの名は『悪魔』を意味するが、そのイメージに反して爽やかな甘みがあって飲みやすい。
ジンジャーエール好きのメリルには、もってこいのカクテルだ。
「こちらはエリベールさんの分です」
続いてエリベールには、アリーゼ・ゴールド・パッション――コニャックをベースにしたパッションフルーツリキュールのソーダ割りを提供した。
このリキュールはザ・フルーティーで甘い味わいなので、甘党のエリベールには間違いなく口に合うだろう。
「そして、この水色のカクテルがラミさんの分でして」
ラミに提供したのは、ヒプノティックをグレープフルーツジュースとトニックウォーターで割ったカクテル。
ヒプノティックとはコニャックとウォッカをベースに、パッションフルーツ・キウイ・ブルーベリーなど数々のフルーツを配合した水色のリキュールのことだ。
フランス語で「催眠」を意味する名が付けられているだけあって、甘酸っぱくミステリアスな味わいをしている。
なお、このカクテルに正式な名称はないが、スプモーニのベース違いであることから雫は『ヒプノモーニ』と呼んでいる。
「これがパスカさんの分です」
パスカにはラム酒――マイヤーズ ラム オリジナルダークのロックを提供した。
パスカだけカクテルじゃないのは、彼女は好き嫌いが激しすぎるために提供できるカクテルがほとんどないためだ。
そのことに頭を悩ませた雫とアーリアが、他に飲めるものはないかと以前パスカに少しずつ色々な酒を飲ませてみたところ、彼女が気に入ったのがダークラムだった。
なので、それ以来パスカにはダークラムを提供している。
なお、ダークラムとは樽熟成して作られる濃い褐色のラムのこと。
モヒートやキューバリバーによく使われる無色透明のホワイトラムとは異なり、その濃厚な風味を味わうため、主にストレートやロックで飲まれる。
マイヤーズはそんなダークラムの中で、特に有名かつ人気な銘柄だ。
「ありがとうございます。それでは……乾杯っ!」
「「「乾杯っ!」」」
四人はグラスを手に取り、互いに打ち付けてから同時にグラスを口に運んだ。
「かぁー、これも甘くて美味え!」
「美味しい……! 前に飲んだモスコミュールやジンバックよりもだいぶ甘いですが、これはこれでアリですね!」
「ぷはぁ! うん、いつもと変わらず美味いっす! 本当、異世界のお酒は最高っすね!」
「……美味……。ロンサカパも美味だったけど……これも美味……」
タンポポの花の面々は一斉に感想を述べた。大層気に入ってもらえたようだ。
そんな彼女達の嬉しそうな表情に釣られ、雫も頬を緩めていると――
「戻りましたー! あ、みんな! 来てたんですね!」
アーリアが買い出しから戻って来た。
「あ、どもっす!」
「邪魔してるぜ!」
「……アーリア、こんにちは……」
「お帰りなさい、アーリア」
「はい、こんにちは! あ、すみません。ちょっとだけ待っててください!」
アーリアはそう断ってからバックヤードの中に入っていく。
少し経って出てくると、カウンターの中に入り、握り拳を差し出してきた。
「マスター、これお釣りです!」
「うん、ありがとう、アーリアちゃん!」
雫にお釣りを渡したアーリアは四人のほうに向き直り、口を開いた。
「お待たせしました! みんな今日は早いですね!」
「……はい。実はアーリアとマスターに報告がありまして」
メリルが真剣な表情でそう言うと、先ほどまでのワイワイとした雰囲気から一転、その場に重い空気が漂い始める。
「ん、何ですか?」
「……実は私達、冒険者を引退しようと思っているんです」
「「……えっ?」」
アーリアと雫は驚きのあまり言葉を失った。
一方、タンポポの花の面々は皆、暗い表情を浮かべている。
それからドロップに沈黙が流れることしばし。
アーリアが恐る恐る口を開いた。
「な、何かあったんですか?」
「……いや、今日も討伐依頼を失敗しちまってさ」
「……ゴブリンすら倒せないなんて……。冒険者として……失格……」
「正直、もう完全に自信がなくなっちゃったんす……」
エリベール、ラミ、パスカが俯きながら、弱々しい声でそう言った。
そんな彼女らに何と声を掛けたらいいのかわからず、雫とアーリアはただただ黙ってその場に立ち尽くす。
またしても沈黙がドロップを支配すること数十秒。
メリルが静寂を切り裂いた。
「……私達は思ったんです。このまま冒険者を続けていても意味がない、と。それでみんなで話し合った結果、もう冒険者を引退しようという結論に至ったんです」
「そう、ですか……。あの、それで……これからどうするんですか?」
実力がないという理由から冒険者を引退するのは珍しくも何ともない。
実際、アーリアもそれが理由で冒険者を辞め、今こうしてドロップで働いている。
既に彼女らの決心も固そうなこともあってか、アーリアは下手に慰める訳でも、思い留まるように言う訳でもなく、ただ今後の計画について尋ねた。
「ああ、みんなで店でも開こうかって話してたんだ」
「な、何の……?」
「それはまだ……その、詳しくは決まってないんすけど……」
どうやら無計画のようだ。
本来であれば思い留まるように説得すべきだろうが、雫はこれをチャンスだと捉えた。
「あの、マスター!」
アーリアも同じ考えなのか、何か思い立ったかのように声を上げる。
雫は大きく頷くと、彼女達に向かってある提案をもちかけた。
「あの、皆さん。一つ聞いてもらいたい話があるんですけど――」
雫は洋酒をこの国に流通させようと考えていること、そのための人手をこれから探さなければならないことを彼女達に伝える。
「――それで、もしよかったら皆さんどうでしょうか?」
そしてアーリアが問うと、四人は心底驚いた表情を浮かべた。
「ど、どうって……。もしかして、あーし達に任せてくれるってことか?」
「はい! 皆さんさえよろしければ、僕はぜひお願いしたいです!」
この四人は到底詳しいとまではいかないが、度々店に来ては色々な酒を飲み、その度に説明を聞いているため、ある程度は洋酒に対する知識がある。
その上、これから頻繁に接することになるメルヘイムとも既に顔を合わせていることもあり、何かと都合がいい。
それに何より、彼女達は信用できる。
なので雫は心の底から彼女達が適任だと判断し、引き受けてくれるのならぜひとも任せたいと考えた。
「……あの、本当に私達でよろしいんですか?」
「もちろんです! 皆さんになら任せられますので!」
雫がハッキリとそう言うと、四人は互いに顔を見合わせ、やがて大きく頷いた。
そして席から立ち上がると、一斉に頭を深く下げてくる。
「そういうことでしたら、ぜひお引き受けさせてください!」
「本当ですか! ありがとうございます! それではこれからよろしくお願いしますね!」
「皆さんとまた一緒にお仕事ができて嬉しいです! 改めてよろしくです!」
雫とアーリアは言いながら、手を差し出す。
それに気付いた彼女達は頭を上げ、順に二人の手を握った。
「はい、こちらこそ! これからお世話になります!」
「マスター、アーリア、本当にありがとうな! 改めてよろしく頼むぜ!」
「……パスカ……うんと頑張る……」
「よろしくっすー! 自分も精一杯頑張るっすよー!」
その後、雫は彼女達にやってもらいたいことについて説明した。
それを四人が承諾したことで正式に作業を一任することとなり、晴れてドロップとタンポポの花はビジネスパートナーとなったのだった。
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