家族御迎編 第一話

 9月某日。暑さは相変わらずだが、吹く風がどこか涼しく感じるようになってきた……と思う。

 サクラコは学校が始まったので、平日は夕方ごろに少し顔を出す程度になった。土日はほぼ一日中居続けるんだけどね。

 庭の方は柵が少しずつではあるものの設置は進んでいるが、まだ一面を囲うまでに至ってはいなかった。だがサクラコも手伝ってくれるので、進捗はなかなか良いと言えるだろう。


 さて、今日はヤギを見に行く日だ。庭の方では既に迎え入れる準備は終わっていて、繋牧用の綱やエサなど細かい物まで用意してある。後はサクラコが来るのを待って、一緒に見に行くだけだ。


 ガラガラっ、と玄関の引き戸が勢いよく開く音が聞こえる。


「孝文、おはよー!」


 サクラコの登場だ。最初の内は引き戸をガシャガシャと叩いて来訪を知らせていたが、今はもう気にしないとばかりに家に入ってくる。これもまた田舎特有の風習というものだろう。パーソナルエリアなんて存在しないんだよ。


「おはよう、サクラコ。随分と早いじゃないか」


 今は午前10時で、本来は昼頃に来るように伝えていた。


「もしかして、楽しみで早く起きたから来ちゃった、って感じか?」

「うん!早く起きちゃった!」


 そんな事だと思ったよ。でも分かるな、何かある日は俺も早く目が覚めるんだよな。目覚ましよりも早く起きて、ちょっと損した気分になるやつ。


「そうか、それじゃしょうがないよなぁ」

「うん、しょうがないー!」


 とはいえ、どうしたものか。早く行き過ぎても迷惑になるだろうからな。

 あぁ、そういえば朝早くにご近所さんが採れたから、って言って梨と柿を大量に持ってきたな。1人では食べきれないから手伝ってもらおう。


「サクラコ、梨と柿食べるか?」

「食べる!えっとね、梨はね、今が旬?ってやつなんだよ!」

「よく知ってるな。でも柿も今が旬だな」 


 俺は梨と柿を食べやすいサイズに切り、皿に乗せて出した。

 サクラコは梨を摘み食べると頬を緩ませる。


「孝文、これすっごく美味しいよ!」


 頬を緩ませた時点でそう言うとは思っていたが、そうか、この梨美味しいか。

 俺もひとつ食べてみる。


「!!……これは」


 物凄く上手いな。水分たっぷりで水でも食べているかのような感覚だが、梨特有の優しい甘さもある。こんなに甘くて美味しい梨があったなんてな。驚きだ。


「柿も甘くて美味しいよ!」


 ここら辺の人は作物を育てるのが上手いな。貰う物どれもが味がしっかりしていて、とても美味しい。


「沢山あるからもっと食べたかったら言ってな」

「あいっ!」


 俺たちはそれから梨と柿を食べ続け、それだけで腹が満たされ昼食を食べる事が出来なかった。しょうがないだろ、美味しくて止まらなかったんだから。


 昼過ぎ、時間も丁度良い頃合いとなったので、俺たちはヤギを見に行くために車に乗り込んだ。


「サクラコ、ちゃんとシートベルトを付けるんだぞー」

「はーい、これでいい?」


 サクラコは俺にしっかり付けられているか確認をとる。


「おっけ、ちゃんと付けれてるぞ。それじゃしゅっぱーつ」


 俺は車を走らせ、ヤギを繁殖させているという民家へ向かった。



 車を10数分走らせた所に目的地はあった。車窓を少し開けて風を感じながら走らせていたのだが、ここに到着する数100メートル前から糞尿のキツい臭いが漂ってきていて、嫌な予感がしていたがそれは気のせいでは無かった。


 目的地に到着してまず目に飛び込んできたのは杜撰な飼育環境だった。お世辞ですら広いとは言えないような場所に所狭しと散らばるヤギ達。皆黒い体毛に白い筋の入ったような毛色をしている事から、全て同じ種のヤギだという事は分かったが、おそらく雄と雌で分けているのであろう仕切りはピョンピョンと飛び越えられていて、機能していなかった。そりゃこんだけ増えますわな。

 サクラコの方を横目で見てみると、眉間にシワを寄せ、渋い表情をしていた。それはこの糞尿の臭いからなのか、杜撰な飼育環境からなのかは分からないが、あまりよく思っていないという事は伝わる。だがそれを俺に言うでもなく、黙ったままだった。


「おや、貴方が喜多さんですか?」


 民家から出てきたおじいさんに声をかけられた。この家の住人だろう。


「初めまして、喜多です。本日はお忙しい中お時間頂きありがとうございます」


 俺はあくまで冷静に挨拶をする。こいつが諸悪の根源か、なんてオモッテナイヨ。


「いえいえ、ウチのヤギで良ければ何匹でも持っていって下さいな、増え過ぎて困ってた所なんですよ」

「そりゃああの――コホン、それは有難いお話です、では早速見させてもらいますね」


 危ない、本音が出る所だった。


「えぇ、どうぞお好きに見ていってください。おや、娘さんですか?」


 おじいさんはサクラコを見ながらそう言う。まぁたしかに、親子に見えるかもな。


「サクラコ、挨拶しなさい」

「……サクラコです」


 サクラコはぶっきらぼうに挨拶をする。あぁ、こりゃ機嫌悪いな。


「すみませんね、少し人見知りな所があるもので」

「はっはっは、子供はそれくらいでいいんですよ」


 サクラコは俺の後ろに隠れ、それを見ておじいさんは豪快に笑っている。


「では、行きましょうか――おや」


 おじいさんの懐から携帯電話の着信音が聞こえる。やっぱり今の時代誰でも携帯電話は持ってるんだな。偏見だが、こういったお年寄りは持ってないイメージがあったから少し驚きだった。

 おじいさんは出るか悩んでいたようなので、俺は出るように促す。


「すみませんね……あぁ、先に見に行っていてください。後で行きますので」


 そう言うとおじいさんは電話に出て家の方へと歩いて行った。


「それじゃ、先に見に行くか」

「うん……」


 やはりサクラコはあまり元気がないようだ。


「……なぁ、サクラコ。このヤギ達をどう思う?」


 俺は少し先に見えるヤギ達を見ながらサクラコに聞く。


「かわいそうだよ……臭いもそうだし、あそこ、とっても狭いし」

「あぁ、可哀想だな。俺も見た時真っ先にそう思ったさ。でもな、サクラコ。動物を飼うってのはとても難しい事なんだよ。多分だけどな、ここも最初のうちはしっかり飼えてたと思うんだよ」


 俺は歩き出し、ヤギ達を囲っている柵に近づく。それに合わせるようにサクラコも話を聞きながらついてきた。


「でもな、あのおじいさん結構歳取ってただろ。70歳くらいなんじゃないかな。さすがにその歳になるとこの数を飼おうと思ってもどこかしらで綻びが生まれてな、それがどんどん大きくなった結果、この現状になってるんだと思うんだよ」

「昔は、こんなじゃなかったの?」

「いや、俺にもそれは分からないよ。でもな、これだけは理解していてほしいんだが、動物を飼うって事はこうなる可能性もある、って事なんだよ」


 俺はヤギ達を見渡しながら言う。やっぱり近づくと臭いがキツいな。サクラコも少し表情を歪めている。でも、しっかりと俺の話は聞いているようだ。

 本来であればこういった動物を飼育するにあたっての学びというのは学校で学ぶ物だ。俺だって小学生の時に学校で飼われていたウサギや教室で飼っていたメダカなんかで学んだ。だが、サクラコの場合は学校の規模が小さいのでこういった事を学校としてやる事は難しいだろう。

 サクラコが俺の言った事を理解したかは分からない。だが、頭の良いサクラコの事だから部分的には理解してくれただろう。


「……動物を飼うことは、とっても難しいってこと?」


 サクラコは悩みながらもそう聞いてくる。


「あぁ、そうだ。だから、俺たちはこれからヤギを飼う訳だから、しっかりと育ててあげような」


 俺は答えに辿り着いたサクラコの頭をわしゃわしゃと撫でながらそう言う。


「ねぇ、孝文」

「うん?」


 サクラコはヤギ達を見ながら言うが、何かを見つけたらしい。俺はサクラコの視線の先を辿って見てみると……そこには他のヤギ達と違うヤギがいた。


 ここにいるヤギの大半は小さいグループを作って数頭で群れながら普段見ない異色の来訪者である俺達をできるだけ離れた距離で見ている。これは当然の習性のようなものだろう。俺でさえ普段見ない人がいつも暮らしている所に急に現れたらヤギ達のような行動を取るだろう。

 だがサクラコが見つけたヤギは違い、他のヤギ達と群れる事なく、どこか寂しそうにこちらを見つめていたのだ。そして、そのヤギには何か違和感を感じた。


「あのヤギ、寂しそう」

「あぁ、そうだな。他のとは違って群れてないし……あぁ、角が無い」


 そう、角が無いのだ。違和感の正体はそれだったか。他のヤギ達は雌雄で差があれど角が生えていないヤギはいなかったからそれがかえって違和感となったのだろう。

 サクラコは何も言わずにそのヤギを見ている。


「サクラコ、あのヤギをもう少し近くで見てみるか?」

「うん、見たい」


 俺達は柵の中へと入り、その角の無いヤギに近づいた。

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