この世界はかく語りき――童謡唱歌は世界を演じる
和泉ユウキ
むすんでひらいて(前編) 曲/ルソー 詞/作詞者不詳
セツにとって、童謡唱歌は全ての始まりだった。
だから、だろうか。
「むーすーんで、ひーらーいーて」
「てーをーうってー、むーすんでー」
さらりとした風吹く高校からの帰り道。懐かしい歌を耳にし、ふと立ち止まってしまった。
歌が聞こえる方に視線を向けると、桜散る公園で幼い子供達が四人、元気良く歌いながら手遊びをしている。男女比はちょうど二対二。楽しそうに笑いながら、手を叩いたり手を高く掲げたりしていた。
そんな屈託のない様子を目にすると、幼い頃は無邪気だなと感心してしまう。大抵は中学、高校と上がっていくにつれ、だんだんと男女の垣根が出来、
――つくづく面倒だなあ、人間って。
先程の学校での出来事を思い出し、溜息を吐く。仲の良い友人は『彼一人』で良いと白けた目になってしまうのは、致し方ないだろう。
「まーたひらいてー、てーをーうって」
「そーのーてーを、うーえーにー」
だが、セツの重い心情など露知らず、将来大人になるはずの彼らは
しかし、何故また『むすんでひらいて』なのだろうか。
あれは、確かに幼稚園児や保育園児だと先生達に習う歌だろうが、大勢で長く遊ぶのには適していない気もする。特に園の外だ。もっと駆け回ったり、道具遊びをしたり、友人同士で手遊びをするものの方が好まれそうだ。
つらつら考えながらも、時間は進行していく。取り敢えず知っているフレーズを歌い終わるのを、
「むーすーんで、ひーらーいーて」
「てーをーうってー、むーすんでー」
終わるかと思ったところで、再び子供達は最初から歌い始めた。
馬鹿みたいに笑ってよく飽きないなと感嘆する。馬鹿馬鹿しいと切り捨て、また日が傾きかける帰路に就こうとした。
けれど。
――何か、気になるんだよね。
心なしか、体の内側が熱い。歌が流れ込んでくるたび、活力が湧いてくる錯覚さえ起こる。
家に向いていたはずの足は、己の意思に関係なく彼らに向いた。
童謡唱歌は、セツにとって魔の魅力に近い。無視することが出来ないのも当然なのかもしれなかった。
故に。
「こんにちは」
「――」
何はともあれ、まずは挨拶だ。にっこり笑って子供達に声をかける。
これでも、セツは高校では顔良し頭良し運動神経良しの超優良物件と目されている存在だ。
薄い色素の髪と瞳が神秘を呼び、学力は毎回学年一位。部活の剣道も全国大会優勝に導く
それこそ、男女問わずにきゃーきゃー
そんな非の打ち所がない高校生、それがセツ。害のない笑顔を作り、子供をたぶらかすくらい何てことは――。
「ぎゃーっ! ふしんしゃー!」
「……は?」
いきなり大声で叫び始めた子供達に、セツは一瞬呆気に取られる。
それが命取りだった。
「で、ででででたな、ゆうかいはん!」
「は? 誘拐?」
「おおおおおおおとこだ! やっぱりゆうかいはんはおとこなんだー!」
「みみみみみ、みんな、ここはあたしにまかせてにげなちゃ、……い! ああああたしはあとからいくわ!」
「そんなー! みーちゃあああああああん!」
「おとうさん、いってたのー! こういううすっぺらいえがおのひとは、けいかいするわたしたちのこと、あめとかチョコとかレアなおもちゃをあたえてかいじゅうしてから、くるまにゆうどうして、いきなり『ばかめ、ひっかかったな』とかひょうへんしてゆうかいするんだって!」
「おおおおおおれたち、さらわれて、みのしろきんもらったら、『ばかなやつらよ』『おまえたちはもうようずみだ』とかいわれて、あーんなことやこーんなことされちゃうんだー! わーん!」
――何だその設定っ。
あんまりな言い様に、反射的に真っ黒な空気で彼らを踏み付けた。
セツの圧力を肌で感じたのか、途端に子供達は涙目で震え始め、互いに抱き合ってへたり込む。威勢の良かった女の子も最初だけで、今はがたがたと一番震えていた。
しかし、納得がいかない。こんなにも神々しい笑みなのに、どこが薄っぺらいと言うのだろうか。年頃の女性や年上のお姉さんは、大抵この無邪気な笑みを見せれば一撃で倒れ伏すというのに。
やはり、この醸し出す大人の魅力は子供には分からないということだろう。子供とは実に面倒だ。
だが、このまま怯えられたままでも困る。不本意ではあるが、再びにっこりと無害アピールをしつつ微笑んだ。
「あのね? 僕は、怪しい者じゃないんだよ」
「ひいっ⁉」
「あ、あやしいのに、あやしくないって、ゆうかいはんのじょーとーしゅだんじゃん!」
「やっぱり、ゆうかいはんなのね!」
「……。ええとね? まず、僕が君達に話しかけたのは」
「……こ、こわいのー! えがおのむこうに、したなめずりしたあくまがみえるのー!」
「うわーん! ぼく、たべてもおいしくないよー!」
「このガキ……っ、……。……いや。あのね?」
「そそそそそのうさんくさいえがお、ああああああたしが、せ、せ、せいばいして……、……むりー! わーん!」
「みーちゃああああん! く、くそう! み、みみみみーちゃんはわたさないぞ! かかかかか、かえれ! おおおおおおおおじさん!」
「――ああっ?」
ぎろっと笑顔で鋭く
しかし、この
ごっと、真っ黒な影を盛大に背負いながら腕を組み、押し潰す様に見下ろした。むしろ潰れろと呪う。
「……君達さ。僕のどこが『おじさん』だって?」
「ひいっ!」
「どこからどう見ても顔も性格もイケメンな高校生でしょ? おじさんって何? ああん?」
「ひいいいいいいいい!」
「ね? お兄さんでしょ? お・に・い・さ・ん。……ほら。呼んでごらん?」
「は、はいいいいいいっ!」
「おおおおおおおおにいさんー! おおおおおにいさん!」
「だから、ころさないでなのー!」
「うわああああああん!」
びーびー悲鳴を上げる子供達の声が本気でうるさい。耳がきんきん貫かれて失聴になりそうだ。後で慰謝料を親に請求しよう。
だが、あらかじめ防音の結界を張っていたおかげで、誰もこの公園には足を踏み入れてこない。犯罪者として追われる心配もないのは素晴らしいと自画自賛する。
しかし、目の前の子供達には呆れしか出てこない。まともに会話が通じないのは苦行でしかなかった。
「はあ。……もう泣かないでよ。面倒だなあ」
「……おじ」
「ん?」
「………………おにいさん。どうかんがえても、せいかく、いけめんじゃない……」
ぎろっと笑顔で睨めば、きちんと「お兄さん」と男の子が言い直した。性格がイケメンじゃない、という部分は寛大な心で許すことにする。――子供達の心にブリザードでも吹き荒れていそうな色も見えた。本気で恐怖しているという証だ。少しは抑えないと、親友に見つかったら叱られる。
何故、ただ会話をするだけでこんなに労力を費やさなければならないのか。つくづく人間は面倒くさい。さっさと本題に入るに限る。
「僕ね、君達が歌っていた歌に興味あるんだよね」
「え?」
「……むすんで、のこと?」
女の子がきょとんとした目でセツを見上げて来る。その瞳には、きらっと好意が光った。
好きな歌だったのだろう。おかげで、セツへの警戒心が薄くなった。子供は本当にちょろい。
「そ。むすんでひらいて。さっきから、ずーっと馬鹿み……しつこ……何回も楽しそうに歌ってるから。君達も好きなのかなって」
「うん! そうだよ!」
「これ、おれたちの『えん』では、あさにまいにちうたうんだぞー!」
先程の恐怖とは打って変わっていっぱいの笑顔で叫ぶ子供達。泣こうが笑おうが結局うるさい。そういえばセツが子供の頃も、周りはみんな馬鹿みたいにうるさかった。子供のエネルギーは侮りがたし。
しかし、毎日。朝に。
別にそこまでおかしくはないが、流石に毎日、しかも朝に歌うとはその幼稚園だか保育園は
「毎日、朝に歌うんだ?」
「うん! そうなのー!」
「かみさまにね、うたうんだー!」
「神様?」
「そうよ! まいにち、おいのりしたあとに、このうたをうたうのよ!」
神に歌う歌。
この童謡唱歌はそんな内容だっただろうか。はて、と更に首を傾げまくって
「おーい。セツ!」
「――」
名を呼ばれ、ぱあっとセツの顔が明るく輝く。鏡を見なくてもるんるん気分が表情に現れるのが分かった。子供達が世にも恐ろしいものを見た様な顔をしているのが気に食わないが、やはり寛大な心で許す。
振り向けば、セツと同じ学ランを着た少年が手を振って歩いてくるところだった。夜空の様に深い黒髪に、綺麗な藍がかった瞳。セツの自慢で大好きな親友だ。
「サト! どうしたの!」
「どうしたのって、お前と帰り道一緒なんだからこの道通るに決まってるだろ」
「そうだけど! 今日はあのうるさいクラスメートと一緒に遊ぶんだと思った」
「お前が笑顔で帰ったのに、そんな気分になれるわけないだろ」
疲れた様に溜息を吐かれ、セツはにまにまと口角が上がってしまう。
笑顔を強調するあたり、彼にはセツが不機嫌だったことが正しく伝わった様だ。クラスメートは気付かないだろうに、彼は本当にセツの笑顔を読むのが上手い。
「それで? この子達と何してたんだ?」
「童謡唱歌のことを聞いてたんだよ!」
「……へえ!」
そうなんだ、と彼の顔が柔らかく緩む。彼にとって大好きな歌を子供達が歌っていると知れば、それは興味を惹かれるだろう。
だが、この子供達は、彼のお人好しな性格では到底補いきれないほどのくそ生意気な妄想ガキ集団だ。
いくら子供や見知らぬ人には物腰が柔らかな彼でも、子供達とふわふわほにゃほにゃの表情のままで会話など、ろくに出来は――。
「こんにちは。俺、サトって言うんだ。君達は?」
「こんにちはー!」
「おれ、まさしー!」
「わたしは、るりなのー!」
――何でだよっ!
目線を合わせるためにしゃがみ込んで話しかける彼に、子供達はまるで危機感を覚えずに笑顔で元気良く自己紹介をし始めた。ありえない。セツと彼で何がこんなにも違うのだろうか。
ぶつぶつと心の中と表情だけで文句を垂れ流していると、まさしと自己紹介した男の子が、こそっとサトに近寄った。
「なあなあ。おにいちゃん、あのこわい人としりあい?」
「だいじょうぶ? だまされてないかしら?」
「ゆうかいはんかもしれないのー」
――このガキども、マジでしめる。
ごうっと背後から真っ黒な炎を背負ってやれば、子供達がわーんと涙目で彼に隠れる。寄りによって、彼を盾にするとは何事か。
しかも何故彼には友好的なのか。納得いかない。
そんなセツに対して、彼はある程度状況を悟ったのだろう。白い目で溜息を吐き、子供達の頭を撫でる。
「セツ……お前、子供達のこと脅したのか?」
「脅してないっ。ただ挨拶しただけなのに、不審者扱いされたんだよ! 誘拐犯だって!」
「なるほど。表面だけのエセ優男風笑顔を、純真な子供達が正しく読み取ったわけだ」
失礼だ。
この親友は、セツに対してずかずか遠慮なく物を言う。むしろ
ぷんっと唇を尖らせて
「大丈夫。彼はね、俺の一番の友達だから。恐くないよ」
「えーっ⁉」
「こ、こんなこわくてまおうみたいな人が⁉」
「えほんにかいてあった、せかいをのっとる、あくまみたいだったよ!」
「うーん……確かに悪魔みたいに見えてもおかしくはないけど」
「ちょっとサト?」
「でも、大丈夫。彼はね……」
「……もしかして、おにいちゃんって、まおうにさらわれたおひめさま?」
「だから、まおうにせんのうされてるの?」
「……。……取り
今、「くそガキ」って単語を飲み込んだな。
彼のとても輝かしい満面の笑顔を見つめ、セツはやれやれと肩を
彼の顔立ちは別に女性的ではないから女には見えないのだが、どことなく中性的に映るらしい。セツが普段王子様扱いされているせいで、いつも隣にいる彼は姫扱いされることがある。――そんな時の彼には、間違っても近付いてはいけない。
一度、からかって「姫ひーめー」と騒いだ数人が、笑顔で物陰に連れ込まれていった後、一ヵ月ほど彼を見ては怯えて一目散に逃げだすという現象が続いた。
故に、誰も表立って「姫」と口にはしなくなった。扱いが姫になることがあるだけで。
閑話休題。
そんな彼は、取り敢えず怒りを飲み込んだ様だ。笑顔は崩さないまま、子供達の頭を撫でる。
「確かに彼は恐いところもあるかもしれない。それに、いきなり知らない人に声をかけられたら不審者と思えって、きっとお父さんかお母さんに言われているんだよね?」
「うん! そうよ!」
「ぼうはんべるもあるぞ!」
「うん、偉いな。……でもね。相手が本当に不審者じゃなかったらどうかな。違うのに不審者だって決め付けられたら、傷付くかもしれないよね」
「え……」
「もし君達が、何も悪いことをしていないのに、友達に『お前、悪いんだー』『お前がやったんだろー』『いけないんだー』『近づくなー』とか言われたら、どう思う?」
「う……」
「……かなしいのー……」
彼の言葉に、子供達は服の
こういう部分は流石は彼だと感嘆する。セツだとこうはいかない。ただ怒って支配するだけだ。
「君達の取った行動は、親の教えを守って偉いと思うよ。必要だとも思う。……でも、もしそういう悪い人じゃないって分かったら、どうしたら良いかな? 傷付けたかもしれないと思ったら、どうしようか?」
「……うー」
「……ごめんなさい、する」
「うん。よく出来ました。じゃあ、みんなで一緒に謝ろうか」
ほら、と彼が軽く子供達の背中を押すと、おずおずといった風にセツの前に並んでくる。
そして。
「ごめんなさーい」
「ふしんしゃっていって、わるかったよ」
「むすんで、すきっていったのー。ごめんなさいなのー」
「わるかったわ。……ごめんなさい」
次々に頭を下げる子供達に、単純だなと呆れもする。
だが、同時に素直だなと感心もした。こうして、相手の言葉を考えて想像して自分の非を認めるというのは、とても大事な行為だ。
それが出来ない人達も多い中で、こういう子供達は貴重な存在なのかもしれない。子供達の頭を「よく頑張ったね」と優しく頭を撫でるサトも含め、悪くないと思う。
「良いよ。僕も、ちょっとだけ恐がらせたからね。ごめん」
「もういいよー!」
「むすんでなかまなのー!」
「うん。セツもよく謝ったな。普段全然謝らないのに偉い偉い」
「……一言余計」
ぽんぽんと肩を叩く彼に、ぷくっと膨れると笑われた。彼は本当に、無礼である。
「でも、むすんで仲間ってなんだ?」
「ああ、それは――」
「セツは、むすんで、すきなんだってさ!」
「うたがすきなのー!」
「だから、こえをかけたっていってたわ」
「むすんで、うた……、ああ。もしかして『むすんでひらいて』のことか」
なるほどね、と
元々童謡唱歌が好きなのは彼の方だ。セツは後からそれを知って気に入っただけだから、筋金入りは彼の方である。
「むーすーんで、ひーらーいーて」
「! てーをーうって、むーすんでー」
サトが両手を握り、弾んだ声で歌い始める。
子供達はそれを目にして、破顔しながら一緒に歌い始めた。
子供達に混じって手を打ち、両手を上に掲げて歌う彼は、何故か違和感が無い。セツならば違和感ありまくりで、通りすがりの主婦やビジネスマンから「何あいつ」「見たら駄目よ」と影口を叩かれそうだ。――何故想像するだけでも、こんなに反応の格差が広がるのか。解せぬ。
「むーすーんで、ひーらーいーて」
「てーをーうって、むーすんでー」
何度か繰り返し歌いながら、彼がぎゅっと軽く回して両手を握る。
それで、子供達もぴたりと止まるのだから不思議だ。彼は保育士さんにでもなれば良い。
「俺もこの歌が好きなんだ。みんなは先生に教えてもらったのか?」
「うん!」
「えんで、まいにちおいのりしてからうたうのー!」
「かみさまにささげたら、かみさまがよろこんでくれるんだって!」
「だから、まいにちうたうんだぞ!」
「――。……そっか」
セツにした時と同じ説明をする子供達に、彼は一瞬驚いた様に目を見開いた。
だが、すぐに納得したのか、目を細めて頷く。
セツにはわからないことを、彼は知っているのだろうか。この童謡唱歌が神様に捧げる歌だというのは本当か。
ぐるぐる疑問を持って彼を視線で刺し貫くが、彼は平然と無視して子供達に笑いかけた。
「君達の先生は、神様が大好きなんだね」
「うん! キリストきょうだから!」
「おれたちのえんは、キリストきょうなんだぞ!」
「そっか。じゃあ、きっと毎日お祈りと歌を聞いている神様も、良い子の君達をにこにこしながら見守ってくれているだろうな」
「そうかしら!」
「だといいなー!」
はにかみながら喜ぶ子供達に、彼も嬉しそうに笑ってから立ち上がる。
「みんな、教えてくれてありがとう。……俺達はそろそろ家に帰らないとだから。君達も、暗くなる前に帰るんだよ」
「はーい!」
「ふたりとも、またなー!」
「また、いっしょにうたってなのー!」
「やくそくよ!」
「ああ。またな」
「仕方がないから、また遊んであげるよ」
すっかり彼に骨抜きにされた子供達は、セツ達の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。実に元気で羨ましいことだ。
日が傾き始めた夕暮れ時。黄金色に街を満たしていく背中から。
子供達の『むすんでひらいて』が、弾みながら夕日の中へと吸い込まれていった。
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