第17話 巫女がよかったんですう

 海の中からしばらく出て来なかったので、ちゃんとブラジャーをつけたのかなと思っていた。

 ところがどっこい。今度は「よっしゃー」と謎の得意気な顔で右手に貝殻ブラジャーを握りしめたニーナの姿が。

 下半身はヒレのままだったので、ぴょんぴょん跳ねながら反対側の腕でサクランボが見えないようにちゃんと隠している。

 これだけ上下に跳ねても揺れない。濡れている髪の毛はちゃんとうなじから浮き上がって背中に落ちる動きをしているがね。

 二跳び目。たぶん次かその次で。

 ほらやった。顔から砂浜にビターンと突っ込んだ。今日び漫画でも前のめりに転ぶ女の子なんていないぞ。


「ねえちゃん。せめておっぱいは隠しなよ。にいちゃんの前だぞ」


 いつの間にか人間形態になったパックが僕の腕を引きながらいい笑顔で指をさす。

 たしかに両手を開いて倒れているから、腕では隠していない。でも、うつ伏せに倒れているわけだから、背中しか見えていないのだ。

 セーフだ。セーフ。

 僕はまだ母親と妹以外は生で見て……何言ってんだ僕は。彼女はカウント外だろ。下半身丸見えの人魚なわけで。

 

「しかし、転ぶと分かっているのにヒレのまま進むのはどういうことなんだろうな?」

「あんちゃん。おいらに聞かれても困るよ」


 人の姿になったはいいが、確かミサンガをカモメ姿のパックの首につけたんだったよな。

 大きさからして無事ミサンガが切れたんだと思うけど、苦しませていたら悪い。

 人間の姿に変化するならすると言ってくれればよかったのに。


「あ、パック」

「あんちゃんにもらったこれは、ここだぜ」

 

 僕の心配は杞憂だった。

 にーっと白い歯を見せて右手を掲げる彼の手首にはミサンガがハマっていたのだから。

 ポンと指先でミサンガを叩き、「ありがとな!」と朗らかに礼を言うパックにほのぼのする僕であった。

 一方でせっかくいい気持ちになっているというのに、人魚がむくりと顔だけあげこちらに目線を送ってくる。

 見事に砂まみれになっているが、どう反応すりゃいいんだこれ?

 

 思わず目を逸らすが、死線……いや視線をひしひしと感じる。

 

「後ろ向いておくから、立ち上がって、もうブラジャーもそこでつけちゃいなよ」

「砂がいっぱいで。このままつけると砂まみれに」

「砂浜で寝そべってもそんなに砂は付着しないんじゃないんじゃ」

「濡れていますので、乳にもたくさんついちゃってるんです」

「乳って言うな! うら若き乙女なんじゃないのか」

「違います。巫女……志望でした」


 人魚の世界から出てくるなら、巫女はやめておけ。

 僕だけならまだ別世界の人間だからとなるかもしれない。でも、パックまでドン引きだっただろ。

 彼女が着替えるのを済ませるまで待っているのは時間がもったいないけど、振り向くわけにもいかないし仕方ない。

 

「うう、ひっく、ひっく……」


 僕は竹竿を振っていないよな。ニーナのすすり泣く声が聞こえてきたのでギョッとして浮きと針を確認したが、何も引っかかっていない。

 無意識に貝殻ブラジャーを奪い取っていたわけでもなかった。

 

「ニーナ。ブラジャーは装着した?」

「つけましたあ。つけましたよお」

「振り返るぞ」

「はいい。うう……」


 いかなニーナとて、女の子の涙に弱いのは僕が男だからだろうか。

 彼女は下半身がヒレのまま両手を目に当ててわんわん泣きじゃくっている。

 

「突然どうしたんだ?」

「わたしだって。わたしだって。巫女のお仕事はできるんですう」


 どうやらトラウマスイッチが押されてしまったらしい。自分で言って自分でへこんでいるとは何ともまあ、かける言葉もないわ。

 だけど、泣いたままの彼女を放置しておくわけにも……。

 「どうしよう、パック」と、彼に目で訴えかけるが困ったように首を振るばかり。

 それでも彼はできる子だった! 

 かける言葉を……いや、絶句している僕に代わって彼女に言葉を投げかけたのだ。

 

「なあ、ねえちゃん」

「はい。美人のお姉さんですよ」

「……にいちゃん。タッチ」

「うん……」


 僕とパックの純粋な気持ちを返せ!

 随分と余裕があるじゃないか。確かに可愛いことは認める。だけど情緒不安定過ぎてついていけないぞ。

 違う違う。そうじゃない。

 彼女がどう考えていたのかをトレースしてみるんだ。

 マーメイドと人間の習慣が違い過ぎるから奇異に見えるだけ。これまで奇行はあったにしろ、彼女は一生懸命で真面目な方じゃないのか?

 他のマーメイド族と違う点はナマズ顔の男の子を愛せないということだけ。

 自分がテレビで出てくるような名探偵であるかのように脳内で推理を重ねていく。

 おっぱいまで砂まみれになった彼女は「うら若き乙女」という僕の言葉に反応して「巫女」だと言った。

 うら若き乙女は容姿に対する誉め言葉で巫女は職業だ。この時点でまるで繋がらない。だがそれは、僕の常識の範囲でという注釈がつく。

 

 ふむふむ。見えてきましたぞ。

 自分の想像する渋い探偵の口調を真似て(もちろん脳内で)カッコいいポーズを取ってみせる。


「つまり、うら若き乙女という役柄があるんだ。彼女はうら若き乙女ではなく自分は巫女志望だったと言ったのか」

「あんちゃん。おいらには意味が分からないよ」


 口に出ていたか。パックが僕まで変になってしまったのかとハラハラしている。


「もうちょっと待って欲しい。答えが出そうなんだ」

「う、うん。ねえちゃんもにいちゃんもよくわからないよ。大きくなったらみんなそうなるのかな」


 一緒にするなと突っ込みたくなったけど、藪蛇になること請け合いだ。

 ええと職業か役柄か分からないけど、巫女がよかったニーナ。でも、選ばれなかった。就活失敗にトラウマがあったと変換すれば分かりやすいかも。

 何社も受けて受けて受け続けて、しかし不採用で思い出すと泣いてしまうほどになっていた。

 そんで、僕やパックの前で泣いちゃったけど気丈に振舞おうと先ほどの発言……て感じかなあ。

 となれば――。

 

「ニーナ。泡の中じゃなくてここで暮らしていくつもりだろ?」

「はいい。そうです」

「だったらさ。ここには巫女もうら若き乙女もいないんだよ。よかったらさ、ニーナがその役目をやってくれないかな」

「いいんですか! わたしでも!」

「うん。ニーナがよければだけど」

「はいい! でもここは地上ですので、うまくできるか」

「うまくなくてもいんんだよ。ここには僕とパックとカピーしかいない」


 にこっと精一杯の優しい笑みを浮かべ、座る彼女の手を取り引っ張り上げる。

 あ、立てないんだった。下半身がヒレ状態だし。

 彼女も気が付いたのか、ヒレから脚に体を変化させた。

 

「えへへ」


 ご機嫌な様子の彼女であったが、巫女をやってもらう条件として地上ではせめてスカートくらいはいてくれとお願いしようかな。

 ここまでならいい話で終わったのだけど……。

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