13話
セレティナはその小さな体を人の波間に滑らせながら、雑踏の中を進んでいく。
セレティナはイェーニスの好みそうな肉の香りを頼りに、様々な露店を巡った。ペレタを買った親父の店にも足を運んだが、やはりいない。
そうして急ぎ噴水広場に戻ってみるがやはり兄の姿は無い。
……イェーニスがいない、どこにも。
セレティナの心の底に黒く、暗澹としたものが沈殿していく。手のひらがじっとりと汗ばみ、心臓が激しく動悸した。
--人攫い。
イェーニスはあれでいて器量の良い子だ。
万が一は、あり得る。
セレティナは己の不安を払う様に駆け出した。
己の考えが思い過ごしであれと心より願った。
セレティナは走る。
小さな足を懸命に動かして。
--しかし群青色の宝石の様なその瞳が、兄を捉える事は無かった。
二十分程駆け回ったところでとうとうセレティナの体力に限界がきた。
足が完全に鉛となって、それから持病の喘息が発作した。
……なんと弱く、情けない体か。
セレティナは心の内で激しく毒づいた。
セレティナは大きく咳き込みながらその場に蹲まる。破れた笛のように
「大丈夫か?」
「医師を呼ぼう」
「親御さんはどうした」
心ある多くの人々がセレティナを心配し、やがてセレティナの周りに小さな人集りができた。
だがセレティナはそれらの声を咳き込みながらも手で制すと、ポシェットに仕舞っておいた薬液入りの小瓶を勢いよく煽る。すると何拍かの時をおいた後、立ち所に喘鳴が治まり、セレティナの乱れた呼気が調子を取り戻した。
民衆はその様子を見るや緊張が解け、皆一様に安堵の表情を浮かべた。
「お騒がせしてしまい、申し訳ありません。もう私は大丈夫ですのでお気遣いなきよう」
セレティナは努めて穏やかな笑みを浮かべて、優雅に一礼した。
……笑みを浮かべた、とは言ったところで顔の殆どはフードの内に隠れているのだが。
「お気遣い無きようったってなぁ。本当に大丈夫なのか?」
「無理はしちゃいかんぞ。気丈なお嬢ちゃんだな」
「いえいえ本当にお構いなく。……それより、金色の毬栗みたいな頭に琥珀色の瞳をした私と同じくらいの背丈の男の子をどなたか見かけませんでしたか?」
セレティナは己の体温が上昇していくのを体のうちで感じていた。喘息の発作は薬があればこそ抑えられたものの、恐らく高熱に浮かされるのは免れない。
だが、今はそれどころではないのだ。
「迷子か?それならそんな子がなんだかやたらごっつい男に抱えられて西の街門の方に向かってるのを見たぞ。寝てるようだったな」
祈るような、けれど殆ど期待していないような質問だった。だが、収穫はあった。怪我の功名というやつだ。
セレティナの内に飛び上がるような喜びと、しかしそれ以上に巨大な焦りが膨れ上がる。
--イェーニスは、やはり人攫いに遭っている。
「ありがとうございます!」
セレティナは勢いよく頭を垂れると、二もなく駆け出した。人々は何が何だかといった様子で、呆気に取られていた。
……足は既に鉛だ。
熱も徐々にだが、上昇しているのがわかる。
だからどうした。
兄が、イェーニスが危ない。
美しき少女が、再びビルドゥアの街を全力で駆けていく。
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