セーラー服少女
ロッドユール
第1話 セーラー服少女真希
「何があっても、どんなことがあっても人を傷つけたらいかんよ」
それが母の口癖だった。
真希はその言葉を母の匂いと共に時々夢に見た――。
「戦争反対!戦争反対!安保法制反対!誰も殺すな。殺されるな」
朝の人の行きかう駅前で、安保法制反対の大きな横断幕を掲げ、戦争反対を声高に叫ぶ人たちがいた。
「戦争反た~い!アメリカの大義なき金儲けの戦争に参加しない。参加させない」
その前では、見るからに気合の入ったおばちゃんたちが、手作りのチラシを通行人に配っている。
「めっちゃうぜぇよな。ああいうの」
木田が、心底うざそうに、顔をしかめその光景を横目で見つめる。
「そうか」
その横の真人が答える。真人の制服のブレザーの下のネクタイは、今日も几帳面にきっちりとまっすぐ下に伸びている。
「うぜぇよ」
「俺は戦争反対だ」
「俺だって反対だけどさぁ。なんか、ああいうのは違うなって」
「ああ、それはなんとなく分かる気がする」
真人を挟んで木田の反対側にいた丸刈りの石村が、真人の体から顔をずらすようにして、顔をのぞかせ言った。
「だろ」
「俺は分かんねぇな」
真人が言った。
「だからさ、なんか偽善的っていうかさ」
「そうそう」
石村が同意する。
「なるほどな」
真人は一人考え込む。
「分かるだろ」
木田が真人を覗き込む。
「う~ん、まあ、その感じはなんとなく分かる気はする・・。確かに偽善的な感じはするな」
「それに、なんか宗教みたいじゃね?」
「ああ、そうそう」
石村がうなずく。
「それに、戦争なんてな。今の時代なあ」
石村が言う。
「ああ、まあ、ないよな」
木田が言った。
「お前何しっかりチラシ受け取ってんだよ」
真人の手には、さっきおばちゃんの配っていたチラシが握られていた。
「ああ、なんとなくな」
「あなたも戦争に駆り出されるかもしれない、だって」
それを横から石村が奪うようにして手に取って、そこに大きく書かれていた文字を声を出して読んだ。
「ないない。この平和な日本で」
木田が言った。
「ないな」
石村も同意する。
「徴兵制なんてありえねぇよな」
今度は木田が石村からチラシを奪い、そこに書かれていた徴兵制の文字を読み言った。
「大げさだな。ねぇよ。ぜってぇねぇよ」
石村が言う。木田は、そのチラシを丸めて、生け垣の間に投げ込んだ。
「おい、環境を汚すな」
真人がすかさず言った。
「お前はまじめだねぇ」
木田が言った。
「さすが学級委員長」
石村がはやしたてるように続く。
「あのなぁ、俺だってやりたくてやってるわけじゃなぇんだぞ。選挙でだなぁ」
「はいはい、分かった分かった。何度も聞いたよ」
石村が真人の肩を叩く。
「大丈夫だよ、紙はすぐに分解するし、ああいうのを拾う仕事の人がちゃんといるんだから。そういう人から仕事うばっちゃ悪いだろ」
木田が言う。
「お前なぁ」
「大丈夫、大丈夫、お前は真面目過ぎるんだよ」
心底呆れる真人に木田と石村がおどけるようにして言った。
「まったく」
真人がため息交じりに呟きつつも、三人は、そんなバカ話を繰り返しつつ、駅から学校へといつもの道を歩いて行った。
それは真人たちにとって、その他の生徒たちにとっても、いつもの一日の始まりだった。空は青く、男子はうるさく、女子はうわさ話に花の咲く、何の変哲もない、いつもの朝のホームルーム前の時間だった。
「おらぁ、席に着けぇ」
いつも少し遅れて来る担任の佐川が、今日は時間通りにやって来て生徒たちは慌てた。しかも、その隣りには紺色のセーラー服に身を包んだ見慣れない子が立っている。
「転校生だ」
「ええっ!」
教壇に立った佐川の、突然の発言に生徒全員が驚きの声を漏らす。
「聞いてないよ」
クラスの誰かが叫んだ。
「言ってねぇよ」
佐川のその返しに、教室中が爆笑する。
「神居真希さんだ」
あらためて佐川が真希を紹介すると教室中が静まり返った。そして、生徒全員の目がその子に注視する。
「おい、めっちゃかわいくねぇか」
男子の誰かが囁く。
「ああ」
他の男子たちも口々に囁き始める。それは教室中に伝播し、ざわめきに変わっていった。
俯き加減に佐川の隣りに立つ真希は、雰囲気は地味だが、よく見るとはっとするほど整った顔立ちをしていた。そして、黒く長い艶のある髪をゆったりと大きく幅のある二つのおさげに結ったその髪の黒さと対照するように、病的ともいえるほどに白い肌のその怪しげな艶やかさが、また不思議な魅力を生み出していた。
「みんな仲良くしてやってくれよ。いじめなんか絶対するなよ」
佐川がいつにない真剣な声音で言った。しかし、クラスの誰しもがそれを聞いていなかった。意識は真希のそのみんなを魅了する容姿に向けられていた。
「美人の転校生・・」
「こういうのって、映画とかドラマだけかと思った」
「ああ、マジであるんだな」
男子たちはみな一様に呆けたように目を丸くしている。
真希はただ顔がかわいいというだけではなかった。他の女生徒にはないどこか異質な美しさを滲ませていた。同年代の子にはない、どこか危うい儚さを影のように背負った美しさ。それが転校生であるということとあいまって神秘的な美しさを醸し、その背景にあるどこか謎めいたものが、より人の心を引き付けた。特に男子の心を。
「はいっ」
その時、前列右端に座っていたクラスのひょうきん者、山本が突然手を上げた。
「なんだ。山本」
佐川が山本を見た。
「質問いいですか」
「なんだ」
「彼氏いますか」
真希は、うつむいた顔をさらにうつむかせた。
「コラっ、くだらん質問してんじゃない」
佐川が怒ると、クラス中に笑いが起こった。
「おいっ、中川、田代、お前たち色々面倒見てやってくれよな」
「はい」「はい」
佐川が二人を見て言うと、学級委員の真人と亜理紗が同時に返事をする。
「うわっ、学級委員めっちゃ羨ましい」
「なんで学級委員だけなんだよ。不公平だよ」
「そうだよなぁ」
男子たちが口々におどけ気味に言う。
「せんせ~い、僕も面倒みた~い」
山本がふざけるように言った。
「お前はみんでいい」
その佐川の返しにまた爆笑が起こる。
「さっ、ホームルーム始めるぞ。席は、そこに用意しといたから」
窓際の一番後ろに、空いた机と椅子がいつの間にか用意されていた。昨日のうちに佐川が用意しておいたのだろう。
「そういうことだったのか」
朝からその席のことを不審に思っていた生徒たちは、そのことに改めて気付いた。
真希は生徒たちの席の間を歩いて、ゆっくりとその席に歩いて行く。それを、クラス全員がその動きに連動するように頭を動かし、注視しながら目で追っていく。
「おらっ、いつまでも見てんじゃない。ホームルーム始めるぞ」
佐川の声に生徒たちは前を向いた。しかし、佐川の声も男子生徒たちには全く届いていなかった。
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