第24章 北海屋・お弓③ 敵か味方か


 りょうは、お弓に言われたことを思い出しながら、歳三に話しかけた。

「僕は、先生のおっしゃる通り、箱館病院で働きます。それが、この土地を豊かにすることに繋がるなら……でも僕は、先生と……!」

すると、それを遮るように、歳三は言った。

「さっき、才助から、俺の箱館の住まいが準備できたと連絡が来た。明日はそっちに移る。おめぇも荷物をまとめとけ」

「え……?僕も?」

驚いているりょうに、歳三は続けた。

「学校も、病院も、そこから通うんだ。寄宿舎に入るよりもきついぞ、できるか?」

それを聞いたりょうの顔が、輝いた。

「身の回りの世話に、女をよこすという商家の主の薦めを断ったんだ。家の中のことも、おめぇの役割だ。それでもできるか?返事は?」

「は、はい!」

りょうは嬉しかった。父は自分の願いを聞いてくれたのだ。

「まあ、おめぇを、男ばかりの寄宿舎に入れるのも、もうよしたほうがいいと思ってな……いい歳だし」

「ありがとうございます!とう……」

父さん、と言いたいのだが、どうしても言葉が続かない。

「土方……先生」

歳三は、りょうの言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか、顔を変えずに、

「明日の朝、榎本さんと大鳥さんにちゃんと謝れ。おめぇのために、大切な戦力を使ってくれようとしたんだ。それから称名寺しょうみょうじの屯所にいる八十八やそはちのぼりにもだ。そのあと、箱館病院に行くからな。わかったら、もう行け」

というと、何もなかったように、仕事を始めた。りょうは、

「はい、お休みなさい」

とその場を離れた。部屋を出たあと、ふと思い出したことがあって、りょうは再び部屋に戻った。

「あの、先生……」

それを聞いた歳三は、りょうの頭をぽん、と叩いた。


 後日、この日の歳三のことを、りょうは榎本から聞き、自分の無鉄砲さを心から反省した。

「君のことが心配で心配で、うろうろと部屋中を歩き回ってね、歳さんのあんな姿は見たことなかったよ。でも、決して言葉には出さない。不器用だねぇ……」


 翌朝、榎本や大鳥、新選組の屯所と、りょうは歳三監視のもと、謝罪に回った。その様子を見ていた新選組隊士のひとりが、島田魁しまだかいに、

「なんだか、ガキの頃、長屋の壁壊したときに、親父に引っ張られて、大家に謝りに行ったのを思い出しちまいましたよ」

と言ったので、島田は笑いをこらえるのに苦労したらしい。


 その後、歳三はりょうと鉄之助を連れて、箱館の住まいを訪れた。丁サ萬屋ちょうさよろずや、という商家の離れが、歳三の新しい住まいだった。新しい畳の香りは気分の良いものだった。食事は、本宅の賄いを任されている老女が、こちらの分も作ると聞いて、りょうは、その老女にも挨拶をした。老女は、

「旦那さんから話を聞いて、てっきり、いい女性ひとでもいるんだと思ってましたよ。なんだ、弟さんとご一緒にお住みなさるんだね」

と言った。りょうや鉄之助を弟だと思っているようだ。りょうは、会津でも兄妹きょうだいだと思われたことを思い出し、クスクスと笑った。

 

 この住まいには、歳三の仕事部屋もあり、箱館で仕事をするときは、ここを使うとのことだった。少し落ち着いた後、歳三は用事を済ませてくる、と出ていった。


 歳三が訪れたのは、北海屋だった。

「お弓嬢さん、久しぶりだな。あんたが箱館で店を構えていたとは知らなかった」

すると、お弓は笑って、

「もう、嬢さんてトシじゃないよ。お弓、でいいよ。歳三さんこそ、立派な侍におなりで、驚いたよ」

「立派かどうかは、怪しいがな……お弓さん、昨夜は、りょうが面倒をおかけしてすまなかった。このとおりだ」

歳三は頭を下げた。

「やだよ、頭なんか下げないでおくれよ。私にとっては、恩人の娘なんだから……あのとき、歳三さんとおうめちゃんに助けてもらわなかったら、息子の巳之助みのすけだって今、ここにはいなかったんだもの。私こそ、あのときのお礼をちゃんと言っていなかった……感謝しているのよ、今でも」

お弓はそう言って微笑んだ。


 「巳之吉みのきちさんは?」

と、歳三は聞いた。巳之吉とは、お弓と恋仲になった奉公人で、その後、主人に認められ、お弓の婿になったのであった。

「元々、からだがあまり丈夫じゃなかったからね。お店を継いで、何年もたたないうちに病気でね……そのあと、大伝馬町の大火事でおとっつぁんも店も無くなって、働きながら巳之助を育てていたとき、北海屋の先代のあるじに出会ってね、拾われたのさ」

歳三はお弓の荒れた手を見ながら、

「あんたも、苦労してきたんだな、お弓さん」

と言った。お弓が、

「そうだね……でも新選組の副長さんほどじゃないよ……」

と、歳三を見た。

「やっぱり知ってたのか」

歳三は、ふふん、と笑った。

「りょうちゃんの手前、新選組のことは知らないふりをしたのさ。歳三さんが、松前を落とした大将だってことは、噂に高い鬼副長さんと同一人物だってことだものね」

お弓は暗い顔になった。

「蝦夷にまで、俺の悪名が轟いているとは、光栄だな」

と、歳三は苦笑いした。


 お弓は歳三を見つめ、

「悪いことは言わない。春が来る前に、りょうちゃんを蝦夷から出した方がいい。もしダメなら、せめて脱走の仲間から外しておくれ!」

と言った。

「どういうことだ?」

歳三が聞くと、お弓は、

「新政府が、脱走の嘆願書なんか、通すわけないだろう?あんたたち徳川の侍に、国なんか作らせるわけないじゃないか……!春になれば大軍が蝦夷にやってくる。あんたは、もうすでに覚悟しているのかもしれないが、あの子はまだ子供だ。他の子供たちは許されても、あの子は土方歳三の子供だということで、許されない……殺されるに決まっている!」

と、歳三に訴えた。

「よく知ってるな。俺たちの嘆願書のことまで。一介の廻船問屋の女将がそこまでわかっているということは、薩摩始め、新政府の考えが変わることはない、ということだな」

と、歳三は、射すような目でお弓を見た。お弓の顔色が変わった。

「な、なんで、薩摩って……」

動揺するお弓に、歳三は言った。

「あの娘は、俺に似たのか、変なところで勘の働くやつでな。そこの壁に不自然に重なってる大福帳が気になったんだとよ。丸に十字の家紋がな……」

歳三の言葉に、お弓が慌てて壁に目をやると、ほんの少し、薩摩の紋が見えていた。

「あれだけで……全く、油断も隙もない子だったんだね」

お弓は、ため息をついた。


 お弓はその理由を語った。

「蝦夷と薩摩は、昔から昆布の売買で繋がっていたんだ。近年、越中の薬売りが薩摩に入るために、蝦夷で昆布を買うようになった。清や琉球から、南蛮の薬を買うためさ。薬売りたちは、見返りとして、薩摩の情報をもって帰ってきた。どうしたら昆布を高く売れるか……今度は、蝦夷の情報も薩摩に送る……いつの間にか、蝦夷の商人と薩摩藩は、越中の薬売りという情報屋を通して、関係を深めていった……今だって、脱走の動きは、どこかの商家から、薩摩に報告されているに違いないさ。私を捕まえて、それを聞き出すかい?」

お弓が聞くと、歳三は笑ってかぶりを振った。

「そんなことはしねぇよ。あんたを捕らえたって、どうにかなるもんでもねぇ……まだ春までには余裕がある。考えるさ」

「りょうちゃんのことは……」

「そっちも、追々、考えるさ。今はまだ、俺が守ってやれるからな」

歳三は笑った。

「お弓さん、会えてよかったぜ。じゃあ、またな」

歳三が店を出ていくと、お弓は呟いた。

「春までなんて……短すぎるじゃないか……!」


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