水底に沈んだ恋の水死体・伍
親愛なるあなたへ。
お元気でしょうか。
あなたが大きな口をあけて笑う顔が目に浮かぶようで、そんな笑った顔ばっかり見つめていたのかと驚いたのは最近になってからでした。
もう、この手紙が届くことは無いと、自分でも理解ってはいるのです。しかし、どうしてもあなたが忘れられません。
だから手紙を書いて、どうか頭ん中でだけでもこの手紙が届いていると思うことにしました。
意地悪な※か※しれませんが、どうしても、どうしても吐露※てしま※たい気持ちがあ※ます。本当は口で言※※かった※ですが、もう叶※ないもん※から。
私は、あなたが※※で※た。
※※※
今日は部活無し、早帰りの日であったのも手伝って、未だ日は夕にならず地上を照らしていた。彼女と話はじめてからそんなに時間が経っていなかったことを、今更ながらに知る。
「ひっ、ひっく」
「……」
相変わらず冷たい手が、私の手を引いて先を行く。悲しくって寂しくって。いっぱいいっぱいな私は俯いて
泣いて、歩いて、また泣いて。よく覚えちゃないが階段をいっぱい登った気がするから、部室に向かってるんだろう。もう景色を見なくてもわかる。ガラガラとドアを引く音も、埃っぽい匂いも、ぜんぶぜんぶ覚えてしまったから。
「う、ひぐ、っ」
プールからかなり距離があったが、部室についても泣き止みそうになかった。
こんな時、メル先輩なら呆れたようにティッシュを渡してくるか、または小馬鹿にしたようなセリフを言ってくるのがいつもだった。だのに、今日はそれが無い。
「っ、うう」
「……」
「ズッ、ひぐ」
「っ」
目の前で、すごく戸惑っている気配を感じる。手の影が右往左往して、やがて私を抱きしめるように添えられた。おっかなびっくり背中を擦られる。これにまた涙が溢れた。
「な、んで、」
「何がだ」
「ひぐ、きょう、優しい。なんで?」
「……つづらさん」
「……う?」
背中に回った腕は交差し、きゅっと抱きしめられる。先輩は手だけじゃなくて体もひんやりしてるんだ。
「あまり、他人のことで心をすり減らすもんじゃない」
「せんぱ、」
「自分の事で泣くのはいいんです。でも、他人のことで泣くあなたの事を、ボクは解らないから、慰めかたも解らない」
メル先輩は最後に小さな声でどうしていいか解らないんです、と付け足す。周りにアナタみたいな人がいなかった、とも。
正直、びっくりした。この人にこんな労りの気持ちがあるとは。懐に入れた人間には情が深くなる
「あはは、先輩へんなかお」
「ふん、涙は止まったようで結構」
「はははは」
「笑うな!!」
いつも揶揄われる側だったからなんだか新鮮な気持ちになる。これが先輩の「面白すぎた」ってやつか。なるほど確かにクセになる。
「いや明らか照れてるのに顔色が……はは、そこは頬赤くするくらいしてくださいよ」
「それはできない相談です……っ、だから、笑うなって言ってるだろ!!」
砕けた口調を嬉しく思いながら、もはや笑いすぎて出た涙をぬぐう。それを最後にもう涙は流れなかった。
「ありがとうございます」
「……はい」
感謝の言葉を受け取り安心したように顔を綻ばせる先輩にドキッとする。
いやなんだドキッて。いや、いやいや、誰だって顔がいい人に至近距離で微笑まれたらドキッとする。だから私が特別この人を意識しているわけじゃない。
「なんです? 堪えるみたいな顔して」
「なな、なんにもないですよ!」
「はあ、そうですか……まったく。三日も部活放ったらかして、自分から七不思議に関わるとは。とんだお莫迦。間抜けにも程度ってものがあるんですよ?」
……やっぱり、メル先輩が好きだなんて幻想に過ぎないのではないだろうか。でも彼のセリフはぜんぶ本当のことなので何も言い返せない。ぐぬぬ。
「おやおや、何も言い返せないんですか?」
「イーーーーーーッ!!」
「はーはは」
散々っぱら笑ってくれて、おのれ許すまじ。地団駄踏みたい気分だった。そこではた、と思い出す。
先輩はいま七不思議といわなかっただろうか。
「あの人は七不思議なんですか?」
「ええ。ずっと昔からね」
「七不思議はプールの神隠しじゃ……」
「おや、知ってたんですか?」
メル先輩は驚きに目を見張る。なにをそんなに驚く事があるのか疑問だが、成瀬に聞いたと言えば納得したように頷いた。
「なるほど。ちなみにどんな話でした?」
「エ、先輩知ってるんじゃないんですか」
「いいから早く言え」
「ええ」
余計なこた如何でもいいという態度にしぶしぶ成瀬から聞いたことを説明する。マ、説明するったって言うことはそんなに無いんだけども。
「プールで落とし物をしたら無くなる、ね」
「どこか間違いがありますか?」
「どこもなにもねえ、全部ですよ」
「なにが?」
「だから、全部間違いなんですって」
「ぜ、ぜんぶ?」
「プールの神隠しとは本来、淋しさから人をプールに引きずり込み溺死させるものです」
開いた口が塞がらなかった。なに、その恐ろしい七不思議。
「ででで、でもっあの人そんな素振り!」
「無かったでしょうね。完全に」
「ならなんで、」
「噂がまったく別物になったからですよ。七不思議だとか都市伝説だとか。ああいったモノは噂が根源だ」
認識するということが重要なんです、と彼は続けた。
「噂が広まれば自身を認識するものが増える。逆に、噂されなくなり誰からの記憶からも消えれば、それはもう存在しないと同義」
それはつまり、跡形もなく消えてしまうということだろうか。
「消えますよ。噂の消滅は七不思議や都市伝説の死そのものです。だから彼らは消えないために人に恐れを与える。噂してもらう為に」
口裂け女だとかきさらぎ駅だとか、都市伝説は沢山ある。七不思議だってそこら辺で耳にする。それらが、噂ひとつで消えたりするのかと少し感心する。彼らも死なないよう必死なのだろうか。
「霊とは噂に弱いんですよ。元々の話が改変されてそれが広まると、あっという間に変異する。本質が新しいものにすげ変わるんです」
親指と人差し指をくっつけて丸を作ると、先輩はそれ越しに私を覗いてみせる。
「アナタの幼馴染さんから聞いた話は元のものから新しく改変されたものでしょう。今それが主流な噂ならば、そしてアナタがプールの神隠しを新しい噂のほうで認識していたのなら、彼女はアナタを殺せない」
いま心底、成瀬からはなしを聞いていて良かったと思った。聞いていなかったら、メル先輩があのとき手を引いてくれなければ。
もしかしたら私は溺死していたかもしれない。遅いとは思うがいまさら恐ろしい。
「更に、つづらさんは彼女のことを一人の女子生徒だと思っていた。それも手伝い、七不思議の彼女ではなく亡くなる前の本来の彼女に戻っていたと考えられます」
「私が、ちい子先輩を七不思議じゃなく、ちい子先輩として見てたから普通だったと」
「マ、そうでしょうね」
亡くなる前の、本来の彼女。
大好きな先生のことを一途に愛し、死んだあとも好きでい続けている。取りこぼしてしまった大切を、今でも探し続けている。それは酷く私の胸をしめつけた。
「この七不思議はもはや人を溺死させる力はないでしょう。もう彼女が人を連れて行くのはこれで最後です」
「……待ってください。連れて行くのは最後ってなんですか」
妙に引っかかる言い方だ。それじゃあまるで彼女がすでに人を殺めたみたいじゃないか。
「彼女は過去に何人も溺死させてますよ。今回も溺れて目覚めてない生徒がいるんじゃないですか?」
「あ」
そうだ。溺れて意識を失ってから細田くんは目覚めてない。ずっと眠ったままだ。だから部活動も三日間停止している。
それに、彼女自身が言っていたじゃないか。あの子を帰してあげることすらできないと。
「さ、この話はもうお終いですね」
「へ?」
「なにを呆けているんです?」
「いや、だって」
もう全て済んだという雰囲気の先輩にタジタジになる。なにを呆けてるって、お終いってなに? お終いなわけないじゃないか。生徒は昏睡状態で、彼女もプールに縛り付けられたままなのに。
「どうして……どうしてお終いなんですか」
「だって関係ないでしょう?」
「いや、え、だからなんで?」
「大して話したことのない隣のクラスの生徒に昔死んだ女子生徒の霊」
――ほら、関係ない。
私は理解が追いつかなかった。先輩は、彼は本気で言っているのだ。関係ないと。無視してもいいことだと。
「っ駄目です!!」
「うわ」
「なんでそんなつれないこと言うの!?」
頭に一気に血が登った。
なんでと勝手に裏切られた気分になった。
「アナタこそなぜ怒るんです?」
「解らないの!?」
「溺れた彼や霊の彼女はアナタに何かしてくれましたか。友人、親友、血縁者でしたか?」
「なんの意図があっての質問?」
なんてことだ。もしかしてあれか? 友人でも家族でもなく、自分にメリットのない人は如何でもいい的な思考?
「友人でも家族でもない。自分に恩恵を与える人物でないのなら、捨て置いておけばいいでしょう?」
あんまりにもな人でなしに私は思わず天を仰いだ。この人まじやばいわ。やっぱり人類悪だった。間違いない。
「なんっでそう……! 先輩は損得勘定で人付き合いしてるんですか!?」
「は、普通でしょう。他人なんて自分の事しか考えてない。自分に利益を産まないやつなんて無視され、攻撃され、
どこか吐き捨てるようなセリフ。私はこれにもう一段階怒りを募らせた。自分の事しか考えてない、そんなやつしか周りにいなかった―――はぁあ?
「ふっざけんな!!」
「グッ」
メル先輩の胸ぐらを掴んでグンと引っ張る。完全なる火事場のばかじから。苦しそうな声が一瞬でたが知ったことか!
「私は、先輩と血縁ですか?」
「い、いいえ」
「私が、先輩を無視したことがありますか」
「な、無いです」
息をたくさん吸う。この捻くれ者め、せっかく止んだ涙がまた溢れるところだった。こんな酷いことはない。だんだん気まずくなったのかまた顔をそらすので、両手で挟んで前をむかせた。
「私、利用価値があるから先輩といる訳じゃないです。映画見て、感想ぶつけて、下らない話して……楽しいから、この時間が好きだから先輩といるんです」
「ハ、」
「先輩は私に利用価値があるから優しくしてくれるんですか? 先輩にとって価値がなきゃ要らない存在なんですか私は」
「っそんな、ことは」
グイグイ顔を近づけながら矢継ぎ早にことばを重ねる。今度は先輩がタジタジになって、いつもの立場は完全に逆転した。
「私、自分の意志に忠実なんです。怖いものは怖いし、やりたい事はやりたいし、したくない事はしたくない」
いつだってそうだ。部活の入部を渋ったり授業サボったり立ち入り禁止のプールに忍び込んだり。わりとやりたい放題やっている。
「そういうやつなんですよ私は。だから自分の意志で先輩のとこに来るし、知りたいことは知ろうとするし、どうにかしたいと思ったことをどうしたって解決したいんです」
きらり、彼の双眼に光が走る。恒星のように光を灯したまん丸な瞳は前よりも揺らいでいたが、消え入りそうな苦しさはなく、また今まででいちばん綺麗だった。
「……そう。ええ、アナタはそういう人でしたね。どこまでも自分勝手な人。厚かましくて喧しくて、その傲慢さたるやボクでさえ舌を巻く」
「え、罵倒? なんでディスられたの私」
「褒めてるんですよこれでも。そんなアナタだからボクは……」
メル先輩は何か言いかけて、やめる。その代わりに私の耳に口を近づけた。
「図書館の過去の新聞を調べなさいな。どんなワードで調べれば出てくるかはわかるでしょう」
ハッと彼を見やる。
「どうにかしたいんでしょう? アナタにはもうパズルのピースが揃ってる。あとは組み立てるだけです。はやく行ってきなさい」
背中を軽く押される。時間は三時半ほど。走れば図書館の閉館時間までギリギリ間に合う。
「先輩」
「はい」
「ありがとうございます!!」
しっかりお辞儀をしてから私は駆け出した。階段を降りるまで背中にずっと視線を感じていたが、振り返ることはしなかった。
「……まったく、変なところで律儀な人だ」
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