第9話「始まりの」
風が吹く。
湖面がざわつき、陽光がそれらを照らす。
そんな湖のほとり、緑が生い茂る芝生に、一人の少女が座り込んでいた。
黒髪の少女。
「早かったですね、ユキ」
黒髪の少女、ユキは後ろから声がして振り返る。後方には広大な平原が広がっていた。
そんな平原の中、声と同時に空間が歪み、何もないところから突如として影が現れた。
ローブをかぶった男が一人、背の低い老人が一人、揺らめく炎が一人。
「おかえり、アカ、サリー、爺」
座り込んで動かないまま3人を出迎えるユキ。しかしその声にも表情にも生気は感じられない。
「もう少し平原を見てきても良かったのですよ。時間はまだしばらくあります」
「ううん、大丈夫」
炎の男、アカは優しく話しかける。アカはどうやら、ユキが平原に興味があると思っているらしい。実際はそうではないのでユキはそれを否定する。
「まあ、バケモンがいる以外何もねえしな。ハァ〜」
サリーは何がそんなに面倒くさいのか、かなりフラフラとしながら大きくため息をついている。普段とそこまで変わらないが、疲れているのがなんとなく分かる。
「体力が無いのうサリー」
「あんたと比べんなジジイ」
「カッハッハ、それはそうと」
サリーにツッコまれて高らかに笑う老人。8、90歳程の外見の割に、テンションはこの中の誰よりも高かった。声も掠れてなどおらず、姿が見えなければもう少し若く思われるかもしれない。
髭の長い老人だ。頭部には少量の毛しか残っていないが、口周りから生える髭は顔の面積と同じ程あり、それら全てが白く染まっている。両手に黒い手袋をはめており、服装はかなり簡易的なものだ。
「ユキちゃんただいま〜」
「うん」
「ん〜、かわええのう」
ユキに絡んでくる爺。ユキは返事は素っ気ないが、爺からすればこれで十分のようだ。
その様子を見ていたアカがサリーに問う。
「『影』の様子はどうですか?」
「なんともねえが、もう広域結界にはしばらく近づかねえほうがいい」
サリーが後ろを振り返りながら返す。
サリーの視線の先、先程3人が現れた場所。
そこにはドーム状の結界が張られていた。ルーベル平原全てを覆い尽くすような巨大な結界。
「少なくとも24時間は入るな。影ももう持たねえしな」
「分かりました、ありがとうございます。二人とも、いいですね?」
アカがユキと爺に呼びかける。
するとユキは素直に答えてくれたが……
「うん、分か、た」
「お〜、ヨシヨシ、ヨシヨシ〜」
まるで何かをすり込んでいるかのような勢いで頭を撫で続ける爺。ユキはゆらゆらと揺られてされるがままになっている。
「おいジジイ」
「カッハッハ、ええじゃろこんくらい」
揺られるユキを見て、サリーは呆れたように言う。爺は反省をかけらも見せない。
そんな3人をよそに、アカは後ろの広域結界を無い目で見つめていた。
「もうすぐですね」
ポツリと漏らしたその言葉は、その場にいた3人の耳には入らなかった。ただ自分に言い聞かせるかのように呟く。
(待っていてくださいね、二人とも)
風が吹く。
湖面がざわつき、陽光が彼らを照らす。
もうすぐ始まる。
いや、もうすぐ終わるのだ。
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