第3章 ホントの恋愛に向かって

3.〈 01 〉

 2度目の約束の日曜がきました。正直いって待ち遠しかったわ。

 だってアタシ、こういう気分は久しぶりだもんね。いや初めてかも?

 なんだかホントの恋愛に向かっていると思えなくもない。まあお相手の殿方は、あの猪野さんなんですけど。あー残念!


 それはそうと、2月は晴れが多くない? ここ最近のお出かけで雨の記憶ってほとんどないのよね~。

 だからといって、別にアタシが晴れ女だという意味じゃあないわよ。

 なにしろアタシが生まれた日は、超ドシャブリだったみたいだからね。それで感謝感激のお父さんが、泥だらけのズボンでかけつけてきて、中原総合病院の人たちにイヤな顔されたとかどうとか。

 みっともない話ではあるけれど、生まれたばかりの無垢な弥勒菩薩みたいなアタシに会うために一目散だなんて、それはそれでよしとしよう、許す。


 喫茶店に着いて、お馴染みになりつつあるベルの音をカララァ~ン♪ やっぱり腕が疲れるのよねえ~。この扉ってムダに重いから。

 ここは地下シェルターじゃあないんだからね! アタシみたいなパワー不足気味の女性に優しく作ってもらいたいものだわ。もうマサコちゃんプンプン!


   $


 先週の夜、お寿司屋さんでのこと。お父さんに話したのよ。


「もっとヒューマンエンジニアリング、つまり人間工学を学ぶべきよ、あの喫茶店の経営者さんは」

「バカだな正子、ああいう昔ながらの重い扉があってこそ、『今から入るのは俺の特別な空間なんだ』という気分が湧いてくるんだ。喫茶店というのは、まず入るところから楽しむ場所ということだ。あの扉に文句があるなら、店内カフェのあるコンビニへ行ってろ。手を使わなくても入れるぞ」

「……」

「お前のような青二才には、こういう高級店も早かったな。正男の方がよっぽど大人だ」


 ヤブヘビ。ここまでいわれちゃあ、マサコちゃん立つ瀬がない!


   $


 で、ここの喫茶店には入ってすぐ横にパキラ君がいて、なんとなく愛着が湧いてきてる感じかも。ノンビリと指を広げているような、なんの不満も不安もないような葉っぱどもにね。そして奥の方を眺めると、ブタみたいな鼻の女の顔がある。


「なんでトンコがきてるの! ていうか、パワーショベルの達人さんは?」

「まだこられてないわ。その達人さんに、今日はワタシも用件があるの」


 猪野さんがいつも30分前にきてババロアを食べるとは限らないか。


「ねえトンコ、もしかして猪野さんとつき合ってるとか?」

「そんなわけないでしょう。お仕事だけの関係です」


 ふぅ~、それはそうよね。

 すると背後から、カラァン、ランララァァ~~ン♪ とアタシより3倍くらい大きいパワーで開けて入ってくる男1匹、その名は猪野獅子郎。

 先週は少しラフな格好してたのに、今日はスーツにネクタイ。手にはいつものアタッシュケースがある。


「どうもお待たせしました。すみません、遅くなりまして」

「まだ約束の5分前ですから、遅くはありませんよ」

「いいえ。僕は母から『決して女性を待たせてはなりませんよ』と、きつく教えられてきたのです。母は厳格な祖父の教育を受けましたから、ある意味それは祖父の教えでもあるのです」

「……」


 やっぱりお固い家系なのね。

 少年時代の猪野さん、ちょっとでも背中が曲がっていたら、モノサシとかでピシャリとやられてたかもよ。1度も引っ叩かれなかったという吾郎なんぞとは育ちが違うわけだね。


「お立ちになってないで、お座りになれば?」


 トンコがティーカップを片手に、すまし顔を見せている。それはダージリン、マスカットフレーバーのやつだな。

 そういうわけでアタシがトンコの隣の席に座り、猪野さんは対面へとまわる。

 と、ここへ男性店員と水がきたので、そのお兄さんの顔を眺めつつ、可憐な声でホットレモネードを注文する。女の場合は、いちいち顔なんて見ませんけどね~。

 で、猪野さんの方はホットカフェオレだってさ。今日は食べなしノーフーズですか?


「取りあえず京極さんの方を先にしましょうか。申しわけありませんが大森さん、少しお待ちください」

「はい?」

「契約書を書いて、お持ちくださったの」

「契約書? ウルトラ読み専アプリの?」


 トンコめ、謀りおったか! アタシは15万2千円なんて払わんぞ!!


「違うの。猪野さんの次のお仕事よ。正子は契約しないのでしょう?」

「あっ、はあ、そういうこと……」


 別の会社のお仕事を請けるんだね。

 その猪野さんが、アタッシュケースから薄茶色の書類袋を1つ抜き取り、アタシの隣人に差し出す。

 トンコが受け取って中身の確認を始める。


「大森さん、お待たせしました」

「いえそんな、ものの10秒ですから」


 今度はUSBメモリを取り出してアタシに手渡してくれる。


「初版と修正版の両方をテキストファイルにして入れてあります。念のため文字コードは〈UTF-8〉にしました」

「そうなんですか、ありがとうございます! あ、てことは初版の方に〈R18〉レベルの過激描写があるんですね?」

「その通りです。ぜひお読みくらべなさってください」

「はい、楽しみです!」


 初版もちゃんと残してるだなんて、猪野さんやるじゃん!


「頂きました契約書の記載内容に問題はございません。引き続き弊社は、猪野さんのお仕事のバックアップに力を注いで参ります。今後ともなにとぞ、よろしくお願い致します」

「はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」


 契約が無事に締結したみたい。これもまたオメデタだね。


「ところで正子、なにを頂いたの?」

「聞いて驚けトンコ、あの消えた名作『人気だす草なぎ君!』の完結までの生ファイルをもらったのよ。しかも、女の子になっちゃった草なぎ君の、〈R18〉レベルの初エッチシーンまで読めるという、超激レアUSBメモリなのよ、これ!」

「ウソウソ! やだ正子、それってマジなの!?」


 おいおいトンコ、小説のことになると目の色がかわるのは許すけど、口調まで変化を起こしてるよ。

 ここは1つ、さらなる変身をもたらしてやるか。


「しかもトンコ、もっと驚け。なんと猪野さんが、『人気だす草なぎ君!』の作者〈虚史詩うろしし〉さんだったのよ!」

「えっえええぇーっ!? マジですか猪野さん、それ本当の本当ですか!」

「は、はい、その通りですが……、えっと京極さん?」

「きゃあ~~、ワタシ読みたい読みたい、虚史詩さんの作品読みたい!!」

「…………」


 猪野さんドン引き! トンコ完全に砕けちゃってますから。

 いつもの真面目営業人仮面も、ついにぶっ飛んだわね。ざまぁ見ろ。

 こりゃあかなりの見物イベントだよ。うぷぷぷ、なんだかマサコちゃん超スッキリ!

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