1.〈 07 〉

 正男の部屋に入った。灯りはついてるけど、ここの殿はベッドに寝転がっている。


「アンタ寝てんの?」

「休憩中」

「そういえば、ご飯の時間ちょっと長くなかった? 遠くまで行ってたの?」

「焼肉食ってから、カラオケ行ったんだよ」

「は? お父さんと?」

「そうだけど、悪いかよ?」


 いや悪くはないんだけど、男2人で楽しいか? しかも相手は30歳以上離れたオジサンなんだよ。


「それで盛りあがったの?」

「そこそこな」

「ふうん……」


 ロボットアニメの主題歌とか熱唱してたのかしら?

 こいつって絶対お父さんに影響されてるわ。だから工学部を目指してんのよ。もちろん「父親の背中を見て育つ」というのはわかるけど、こいつの場合は「父親の好むアニメを見て育つ」みたいな感じなのよね。


「アンタお父さんの勤めてる工業大にすればいいのに。近いんだし、そんでお父さんと仲よくロボット作ればいいじゃん? 2次に国語ないし、今のアンタなら楽々受かるでしょうよ」

「楽々ってことはねえよ、工学部の偏差値ランク4位だぜ。それにもう願書出願期間は過ぎてるし、前からオレは航空宇宙工学科に決めてたんだ。それは父さんの大学にはないからな」

「航空宇宙!? アンタまさか宇宙船の設計とかしたいの?」

「まあな。どうだ、カッコいいだろ?」

「別に」


 そうだったのか。アタシはてっきり、こいつもお父さんと同じ機械工学博士になりたいんだと思ってたよ。


「アンタもしかしてUFOが攻めてくるとか本気で思ってる?」

「そういう危機もあるかもしれないぞ」

「バカじゃないの。日本政府だって、今後やってくるとしても、今からなにか対策しておくつもりはないらしいよ?」

「そうなのか? でもアメリカはそうじゃないだろ?」

「あちらさんは、向かってくる敵はなんでも相手にするわよ。でもUFO相手に戦うとか、そんなのマンガや小説や映画やらの中のことよ」


 それで全米を感動させたいだけなの。そういうのあったでしょ、最後は核兵器使って打ち勝つとか。


「そんなことわかってるさ。オレが開発したい宇宙船は別に戦闘用じゃない」

「うん、それならいいけど……、あ、そんなことよりも、アンタ受験勉強は? 3週間後に2次でしょ?」

「いわれなくてもオレは計画的にやってるよ。実は今日でやっと35か年の過去問、全部やり遂げたんだぜ。もうすんげぇ疲れたわ~」

「過去問やってお疲れじゃダメダメ!」

「はぁ?」


 こいつは去年、志望校別2次試験過去問題集『茶本』の現代文、古典、数学、英語、物理、化学をすべて買い揃えた。それらを新しい年度から遡って進めていたけど、どれも半分くらいで試験日を迎えた。

 それで今年〈全問補完計画〉を企てて、残ってた分をどうにか消化したようだ。まあ本番の3週間前に終わらせたという、そのガムシャラさだけは青二才の象徴として認めてやることにしよう、許す。

 でもね、例えば現代文の評論なんて、35年も前の時代遅れになったのを読んでるようじゃダメなの。じゃあ、いつのを読む? ――ここ数年のでしょ!


「過去問やってもダメなら、このオレにどうしろってんだ!!」

「浪人、吠えるでない。そしてお姉ちゃんの言葉をよくお聞きなさい。評論文なんてのは最近のを読まないといけないよ。だから過去問でも直近5年分くらいをもう1度やってみて、ちゃんと自力で正答できるか確かめなさい。あと出題数トップクラスの著者が書いた最近の文章も読みなよ。もちろん新聞も」

「あのなあ姉ちゃん、オレは予備校に通ってるんだ。そんなアドバイス、そこの先生から聞いて知ってるよ。これからの3週間でそういうことをビシッとやるんだ」


 こいつ知ってやがったか。それならいいけど……。


「あと姉ちゃんは国語の先生だからって偉そうなんだよ。さほど大きくも有名でもない近所の学習塾で、小中学生に教えてるだけだろ?」

「そうよ、悪いかよ?」

「いやあ悪かねえけど、オレ今年は手応え感じてんだ。この前の共通テストはちょっとあれだったけど、オレって2次で挽回するタイプだから、まだ十分逆転の可能性があるんだ。だから姉ちゃんも心配しないで、温かく見守っていてくれ。な?」

「べ、別にアタシ、アンタのこと心配してやってるわけじゃあないわよ」


 バカ正男のくせに! 昨日だって、古文の問題で苦戦してるみたいだったし、わからないところ教えてやろうと思ってたのに……。

 でもまあ、本人が自信あるならいいか、許す。


「じゃあしっかりやりな。それと、カゼひかないようにしなきゃ。ほら寝るんならちゃんとお布団に入りなって。そのまま寝ちゃったら、起きたとき喉痛かったり、熱出てたりするんだよ?」

「わかってるよ。もうすぐ起きて勉強再開するんだ」

「そう、じゃあね」

「ちょい待ち!」

「は、古文の質問?」

「違うよ。姉ちゃんそのプリン食ったろ?」


 あ、忘れてた! 空容器を置いたままだ。ていうか、プリンじゃないけど。


「アタシ食べてないよ。食べたのはババロアだもんね~」

「どっちでもいいだろ! ていうか小学生か! オレがいいたいのは、食ったら容器をちゃんと自分の部屋のゴミバケツに入れろってことなんだよ」

「わかったわよ。あっ、ゴミバケツ!? そうよゴミバケツだよっ!」


 大急ぎでパソコンを起動させる。ワインダーズOSには〈ゴミバケツ〉の機能があるんだった。初心者でも知ってるそれを忘れていた。ていうか、今まで存在は知ってても使ったことないわ。

 このアタシの突然の行動に正男も驚き、ベッドから飛び出てきた。


「姉ちゃん、どうした!?」

「マサオちゃん、アンタ偉い!」

「は?」


 ログインして、デスクトップ画面の〈ゴミバケツ〉をダブルクリックする。


「あれ……!?」


 空っぽだ。ファイルなんて1つもない。すうーっと全身の力が抜ける。


「なんだ? なにか必要なファイル、間違って削除したのか?」

「小説ファイル、デジタルフォトフレームのメモリカードに入れてたやつ……」

「ああそういうことか。姉ちゃん知らないんだな。普通リムーバブルメディアのファイルは、削除しても〈ゴミバケツ〉に入らないんだよ」

「えっ、そうなの?」

「そうだよ、だから空なんだろ?」


 1度輝いた希望の光がもうない。ものの40秒で消えちゃった……。


「マサオちゃん、お姉ちゃん寝るわ」

「おお、お休み」

「アンタも睡眠と水分と糖分はしっかり取りなよ。そして点数も……」

「わ、わかったよ」


 アタシはババロアの空容器を持って自分の部屋に戻り、それを〈100均〉の部屋用ゴミバケツに捨てた。

 それからパジャマになってお布団に潜り込んだ。すぐ眠りについた。

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