第17話必ず連れ帰る

 姉の墓参りを終えて、蝶次郎と瀬美は別の寺に移動した。

 そこは先ほどの寂しい墓地と違い、澄んだ空気が漂う、荘厳で清らかなところだった。いかにも武家が檀家でありますと言わんばかりな雰囲気で、心なしか寺も格式が高く見える。


 蝶次郎は『青葉家先祖代々の墓』の前に止まって、姉の墓のように掃除を始めた。

 瀬美は「どうしてさなぎ様はご一緒ではないのですか?」と聞きづらいことを機械的に訊ねた。


「姉は養子なんだ。青葉家の係累ではあるが、この墓には入れない。だから新しく墓を建てる必要があったんだ。ま、おかげで二回墓参りしなくちゃいけなくなったから面倒ではある」


 蝶次郎はそのことで引け目を感じるような人ではないと分かっていた。

 だからきっと、自殺の原因とは関係ないのだろう。

 それは少し、蝶次郎を救った考え方だった。姉は引け目を感じなくても、弟は負い目を感じることはある。


「……よし。これで終わりだな。それじゃ帰ろうか」

「了解しました。お昼ご飯は何にしますか?」

「軽めのものがいい。あまり食欲がないから」


 墓地のある寺を出て、自宅へと向かう蝶次郎と瀬美。二人の間には会話はなく、無言で並んで歩いている。蝶次郎は瀬美に聞きたいこと――自分の死因や未来のことだ――が山ほどあったが、往来の多い道で話せる内容ではないので自重した。


 一方の瀬美は例によって例のごとく、自発的に会話をしようとする思考はない。昼飯以外、聞くべきことはあまりなかった。普通の人間ならば、姉のさなぎのことが気になるところだが、ロボットである瀬美にはそんな好奇心は存在しない。


 二人が沈黙したまま、目抜き通りに差し掛かったとき、焦った様子の妙齢の女性、おしろが走っているのが見えた。こちらに近づいてくるが、気づく素振りはない。


「おい。おしろ、どうかしたのか?」

「あ! 蝶次郎様! 大変ですよ!」


 気になった蝶次郎が声をかけると、おしろが速度を変えずに寄ってきた。

 立ち止まって、息を整えてから「大変なことがありました!」と同じ言葉を繰り返す。


「たまちゃんととん坊が……怪我して戻ってきたんです!」

「なんだと? それは本当か!?」

「今、源五郎さんが診ているのですが、薬が足りないらしくて。それで私が取りに行く最中です!」


 あれだけ危ないところに行くなと忠告したのに。蝶次郎は舌打ちしたい気持ちでいっぱいになった。


「それで、たまさんととん坊さんは今どこに?」


 冷静かつ機械的に質問する瀬美に「蝶次郎様の家です!」とおしろは即答した。


「蝶次郎様の家の前で倒れていたのです! たまちゃんは泣いていて、とん坊は酷く傷つけられて……」

「待て。傷つけられた? つまり、誰かに殴られたのか?」


 敏感に反応する蝶次郎。おしろは「詳しくはわかりません」と汗をかいた髪をかき上げた。


「たまちゃんが『とん坊が庇ってくれた』としか……」

「蝶次郎様。急いで家に帰りましょう」


 瀬美の提案を聞いてすぐに蝶次郎は町人長屋のほうへは駆け出した。

 おしろは「私、どうしたらいいのかしら?」と無表情の瀬美に訊ねた。


「まずは薬を取ってくるのが最優先ですね」

「そうね……急がないと」

「私は蝶次郎様の後を追います。そこで合流しましょう」


 促される形で、おしろは源五郎の診療所へと再び走った。

 瀬美も蝶次郎の後を追う。

 しかし彼女は失念していた。

 たまととん坊、二人が連れていた子犬、タダシの安否を――



◆◇◆◇



 たまの怪我は大したことはなかった。突き飛ばされたものの、軽い擦り傷で済んだ。

 一方のとん坊は、おしろの言ったとおり、ひどく痛めつけられていた。

 殴られ蹴られたらしい。顔には青あざもあり、骨折はしていないものの、誰かが支えてくれないと立てないほど重傷だった。


「通りかかった人に負ぶってもらって、ここまで来たの……」


 たまが泣きじゃくりながら、家に着いた蝶次郎と瀬美に説明する。彼はたまの頭を撫でながら「何があったんだ?」とできる限り優しく訊ねる。するととん坊の治療をしていた、町医者の源五郎が「七伏川に二人で行ったらしい」と苦い薬を飲んだような顔で答えた。


「あれほどコドク町に近づくなと言ったのに、この娘は……」

「だ、だって……」

「だってじゃあない! 見ろ! とん坊を! こんなに大怪我して! 治るのにどれくらいかかると思うんだ!」


 怒鳴った源五郎に肩を震わせて泣き出すたま。

 蝶次郎は「待ってください、源五郎殿」と訊ねた。


「コドク町の住人に、やられたということですか?」

「ああそうだ。詳しい話はまだ聞いてないが、あらかた知っている」

「たまさん。私たちにも詳しく教えてもらえませんか?」


 瀬美が布を絞ってとん坊の患部に当てた。とん坊はぐったりと寝ている。さっきまで意識はあったものの、安心したせいか眠ってしまったようだ。


「うん。実は、私ととん坊は、タダシを連れて、七伏川に行ったの……」

「タダシ? 誰だそいつは」

「源五郎殿。そいつはうちで飼っている子犬で……そういや、タダシはどうしたんだ?」


 今更ながら気づいた蝶次郎に、たまは大声をあげて泣き出した。

 瀬美はとん坊から離れて、たまを背中から抱きしめる。


「落ち着いて。ゆっくりと呼吸してください」

「せ、瀬美さん……」

「大丈夫です。ここは安全ですから。そして誰も責めません」


 瀬美の最大限の気遣いと優しさに満ち溢れた行為を見て、蝶次郎は意外だなと驚いた。絡繰なのにまるで心を持っているようだと感じた。そういえば、子守りが本来の役目だと言っていたことを思い出す。


 源五郎は得体の知れない女が自分の娘を慰めているのを複雑な思いで見つめていた。人間ではないと分かっている瀬美が、菩薩のような行ないをする。何を思えばいいのか、彼には判然としなかった。


「えっとね、タダシは――連れていかれたの」


 瀬美に抱きしめられながら、たまは経緯を説明する。

 昨日見つけた綺麗な鉱石――黄鉄鉱を集めていたたまたちは、夢中になってコドク町の近くまで行ってしまったらしい。

 そこで、とある男と出会った。何年も洗ってなさそう着物、髭は伸びっぱなし、髷も結っていないぼさぼさ頭の汚らしい風貌で、腐った卵のような臭いのする、右頬に赤痣のある中年の男だった。


 男はにやつきながら――歯がだいぶ汚れていた――たまを突き飛ばして、タダシを抱えた。とん坊が必死に奪い返そうとして、男の膝当たりを殴ったりした。最初はせせら笑っていた男だったが、急にとん坊を殴って足蹴にした。


 たまがもうやめてと泣き叫ぶと、男は面倒臭そうに地面に唾を吐いて、そのままタダシを連れ去ってしまった。タダシは震えて吠えることすらできなかったようだった。


「明らかにコドク町の人間だな。一体、タダシをどうするつもりなのか……」


 蝶次郎は気づかなかったし、瀬美も思いつかなかったが、源五郎だけはなんとなく想像がついた。だから「お前たち、どうする?」と訊ねた。


「このままタダシとやらを見捨てるのか?」


 敢えて厳しい言い方をしたのは、彼なりの配慮だった。

 蝶次郎は「コドク町に乗り込むのはな……」と躊躇する。


「あそこの住人は危うい奴らだから、俺が乗り込んでも……」

「そんな! タダシ、どうなっちゃうの!?」


 悲鳴に近い声で喚くたまを見て、蝶次郎は何と言えばいいのか分からない。

 しかし瀬美は「ご安心ください」とたまに言う。

 目を合わせて、しっかりと約束した。


「必ず、連れ帰ります」

「本当……?」

「イエス。ですから今はゆっくりとお休みください」


 蝶次郎はそのやりとりを見て「ああもう、しょうがねえなあ!」と半ば自棄になって言う。


「瀬美が行くなら俺も行かなきゃいけないじゃないか」

「蝶次郎様は、ここにいてもよろしいのですよ」

「女一人でコドク町に行かせられるか。源五郎殿、二人を頼みましたよ」


 蝶次郎と瀬美が立ち上がり、家を出ようとすると、源五郎が「蝶次郎、よく聞け」と止めた。


「どんな結末になっても、決して目を逸らすな。お前の姉ではないが――逃げたりするなよ」


 どうしてそんなことを言うのか、蝶次郎には全く分からなかったけど、とりあえず「分かりました」と答えた。

 適当に言ったわけではなく、かといって真摯に答えたわけではない。

 だから、蝶次郎は足りなかった覚悟の報いを受けることになる。

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