【8話】終わる反逆
風が吹いたのか上から落ちてきたのか、目を覚ますと広葉樹のすべすべした葉っぱが顔に張り付いていた。雨はもう降っていない様子で、木々の隙間から優しい日の光が差し込んでいる。上体を起こそうとすると昨日の雨で濡れた身体の気持ち悪さが増し、身体のあちこちにくっついた葉っぱなどのごみを払っているとひどくイライラした。
横を見ると逆さにした荷車からリコの足だけが出ている。どうやら2人とも魔獣などには襲われずに済んだようだ。
「リコ。おい、リコ起きろ」
荷車の車輪越しにリコに声を掛けると、彼女の顔がわずかにこちらを向いた。
「起きてたか、そろそろ……」
「……ぁ…」
すぐさま分かった。異常だ。
「……リコっ」
荷車を退かしてその額に手の平を当てた。手の裏側まで伝わって来るような、そんな熱を感じる。
彼女の顔は真っ赤に上気し、短く熱い息が顔にかかる。
「すまんっ」
そう言ってリコの背中とひざ裏に腕を入れ、彼女を抱きかかえた。身体が熱い。こちらが汗をかいてしまいそうなくらいだ。
荷車に寝かせて麻布を掛け、俺は走り出した。
揺れでリコが荷車から落ちてやしないか振り返りながら、とにかく走った。ここから次の街、ユートレットまでは少なくとも1日は掛かるはず。それでも走った。林を抜け、また草原に出てしばらく走った頃、俺のシャツが乾いていた。それを脱いでリコに掛けようとしたら、後ろの方から帽子を被った男女2人が歩いてきた。大きな鞄を背負っている。商人だと思って大声で叫んだ。
「あのっ…ハッ…熱がっ!あるんですっ!薬か何かっ……、ありませんかっ!」
顔を見合わせた2人が駆け寄ってきてくれた。
2人とも中年で、色違いのイスラムワッチのようなニット帽子を被っている。夫婦だろうか。
女性がリコに近寄り、彼女のわきの下に手を入れた。それから脈を計るように首元に指を当て、口の中と目を確認した。
「魔獣に襲われたの?」
「いえっ……、たぶんっ……、雨でっ……、濡れたせいだと……」
「……毒とかそういうのじゃなさそうね。服を着替えさせないと」
そう言うと、彼女は鞄の中からシャツのようなものを取り出し、男性の方に目配せした。
「あのっ、俺……」
「さ、着替えるんだとさ」
彼に促されて俺もリコたちに背を向けると、男性が声をかけてきた。
「俺たちはユートレットに行商に向かう途中さ。商売人でね。こんな場所を歩いてるってことは、行先が同じなのかな?所持品は見た所なさそうだが……おカネはあるのかい?」
「銅貨が1枚……だけです」
ポケットから銅貨を取り出して見せると、彼はあご先を掻きながら少し呆れたような顔をした。
彼の反応も理解できる。ここは異世界で、街を出てしまえばそこは草原か森か山道で、前世と違ってコンビニもなければ民家もない。運が悪ければ人間を襲う魔獣だって出てくる。カネがあればどうにかなるものでもないが、1台の荷車とたった1枚の銅貨だけで次の街まで行くというのだ。バカにもほどがある。
かといってリコを責めるつもりは毛頭ない。これは俺を街から脱出させるための最善の策として選んでくれた方法だし、ちゃんと説明してもらえた今となっては感謝しかないのだ。
「お願いしますっ!これで着替えだけでも譲ってください!」
できることはそれだけだった。頭を下げて助けを乞うことだけだった。
後悔していた。当たり前だ。俺と違ってリコは現代人だ。雨で濡れた身体でそのまま寝たらどうなるかくらい分かっただろう。荷車の上で目を覚ました時点で、引き返そう、と言うべきだった。恐らくリコは街での最後の夜、男の俺を一人で抱え、荷車に乗せ、雨の中徹夜でそれを引いたんだ。
リコは、自分の未完成な作品に他人を巻き込んでしまったことに対して責任を取ろうとしていた。何とか主人公を自由にしようと、ここまで引っ張ってくれた。
壊れた水飲み鳥のように、俺は何度も頭を下げた。それじゃ足りないと思って土下座をした。小石が額にめり込んで痛みがあった。ひざも少しすりむいた。でもその痛みがもっと増せば良いと思った。リコに助けられ、見知らぬ商人にすがりつくことしかできない自分に罰がほしいと願った。
「お願いしますっ!お願いしますっ!」
彼らもまた同様に、街から街への移動という危険を冒した上で商売をしている。いわば客に代わって危険を冒し、それをカネに変えることで生計を立てているのだ。
「お願いしますっ!」
カネも持たない者に頭を下げられて返答に困っているのだろう。彼は何も言わなかった。
「お願いし――」
「もうこっち向いても良いわよ」
バカみたいに連呼していたら、女性の方が声を掛けた。リコは薄ピンク色のシャツに着替え、女性の手を借りて荷車に横になるところだった。
「着ていた服はここに置いておくから」
彼女はそう言うと、畳んだリコの制服を荷車の上に置いた。
「あ…」
「ハッ、しょうがないな。じゃあ、お代は銅貨1枚。これ以上はまけられないからな」
女性に礼を言おうとしたところで、男性の方が短いため息まじりに言った。
「す……、あ、ありがとうございますっ!」
すみませんと謝るのか、お礼を言えば良いのか選ぶのに躊躇した。嬉しかった。銅貨1枚以下なんてないのに。
銅貨を彼に渡すと、女性がまた鞄を漁り始めた。
「じゃあ、サービスでこれも付けちゃおうかしら」
取り出したのはガラス瓶に入ったポーション。体力回復薬だ。
「おい。それじゃ、大赤字だぞ」
「いいじゃない。女の子のために男の子がこんなに必死になってるんだもの」
「まいったな……、ったく」
男性の返事も待たず、女性の方はポーションの瓶の蓋を開けてしまった。男性の方は帽子を脱いで困り顔のままその様子を見ていたが、やがて「よし」と言うと自分の鞄を漁り始めた。
「俺も負けてられんな。ああ、あったあった。ほれっ」
「これは?」
彼が投げて渡してきたのは見たことのない黒い小瓶だった。ラベルもなにもなく、中身が液体であること以外は何も分からない。
「キミもずいぶん疲れが溜まっているようだ。なに、栄養剤みたいなものだよ。まだ先は長いんだから、すぐに飲んだ方が良い」
強い無力感を感じていた。大した取り柄もなく、お姫様も救えず、年下の女の子には助けられ、力にもなれない。感謝の言葉を繰り返すことで自分の無力さを痛感させられてしまう。
そんなウジウジした感情になってしまったことで特に警戒するでもなく、言われるがまま瓶を開け、一気に飲み干してしまった。
「んっ……ッハァ。あイがとうございます。こエで街までスばらく頑張エホう……?がんばエホう…?エ…エ…。あ、あエ?」
口が、舌がだんだん動かなくなってきた。
「大丈夫かい?少し屈んだ方が良い」
男性に支えられながら屈んだところで、足もジーンと痺れるような感覚があった。痺れは急激に強くなり、気付けば全身の筋肉の動かし方が分からなくなったようになってその場で倒れてしまった。
「ま、マヒ……」
「すまんね、少年。君には捜索依頼が出ていたんだ。懸賞金付きだったもんでね」
「私たちは商売人なのよ。おカネにならないことなんかしないわ。ああ、女の子の方はじき元気になると思うから大丈夫よ」
地面を伝って、馬の蹄の音が聴こえてくる。
嘘だろ。せっかくここまで来たのに。
「お迎えが来たみたいだな」
「あまり心配はいらないわ。アルバイトのさぼりなんて大した罪にならないと思うから」
そうか、昨日でバイトの3連休が終わって、今日は本来なら出勤日だった。
しくじった、のか。
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