第37話 馬車の中
正直なところ、外の景色が見えない馬車ほど、慣れないものは無かった。
周囲の気配を探ることも出来ず、道程はどこまで来たのか分からず、見えるのはひたすら無機質な室内のみ。
「ねえ、ニール」
「どうした?」
マシだと思えるのは、一緒に乗っているのがエレンだけという事だ。
「久しぶりに二人きりですもの、少し寛がせてもらっても良いかしら?」
「ああ、そういうことか――どうぞ領主様、わたくしめの膝をお貸ししましょう」
少し畏まって体を動かすと、エレンは席を移動して膝に頭をあずけてきた。
冒険者になる前は、よくこんな調子でエレンと昼寝をしていた。いつまでも変わらない若き領主を見て、俺は自然と頬がほころんでいた。
「左目、痛みますの?」
彼女が手を伸ばして、その細い指先で左目の傷をなぞる。既に傷口は塞がっており、撫でられたところで少しくすぐったいくらいだった。
「いいえ、領主様、不便はありますが痛みはありません。ガロア神父の治療が良かったのでしょう」
公の場にいるときと、こうして二人きり(たまにユナもいるが)のとき、二つの場合で俺はエレンに敬語で接している。
前者は当然、領主と平民の違いを、しっかりと分けるため、後者は単純に、その方がお互いに面白いからだ。
彼女は仰々しい口調で甘えて、俺は恭しい態度でそれに従う。それがいつの間にか決まりになっていた。
「領主様、わたくしたちはこれから会合に向かうと仰られましたが、具体的にそれはどのようなものなのでしょう?」
「あら、こんな時に仕事の話をするのね?」
俺の問いに、エレンは頬を膨らませて、不満そうに眉を寄せる。
「これは失礼を」
「いいですわ、ええ、もちろん。貴方もこれから何度か出ることになるでしょうから、知っておきなさい」
だが、お互いにそれはただの冗談だと知っている。エレンは寝ころんだまま、リラックスした状態で俺の質問に答えてくれた。
年に一度、領内の発展具合や地域の治安状況を報告し合い、治安委員の派遣や連合基金への出資比率、さらには共和国の内政に関する様々なことを、直接の会合で調整することになっている。とのことだった。
「……俺よりも、ユナの方が良かったんじゃないのか?」
「あまり連れていくと、不死種の傀儡領主なんていう不名誉を与えられるんですの、特に引継ぎした直後の去年は酷かったですわ」
エレンはそう言ってふてくされる。確かに、ユナは長く仕えているだけあって色々と勝手がわかっている。だからこそ常に一緒にいるわけにいかないのだろう。
ちなみに口調は二人とも、話しているうちにいつもの調子に戻ってしまっていた。
「全く……私はお父様が居なくなって大変だというのに、あの髭面は『ついに不死種が乗っ取りを始めたのかと思った』とか『君は若いのだから来る必要も無いだろう』とか……」
あの髭面がどの髭面か分からないが、彼女も何かと思う所があるらしい。エレンの愚痴に付き合いながら、俺は中央議会に到着するのを待つことにした。
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