第76話 深淵の主
「はぁ、はぁ、はぁ……」
肩で息をする誠治。
かろうじて生き残ったその場の全員が、呆然と黒竜の死体を見つめていた。
「……死んだ?」
ラーナが尋ねる。
「ゾンビじゃなければね」
誠治が応える。
「気配がかなり薄くなってますから、生き返ることはないと思います」
詩乃の言葉に、誠治は機関砲の銃座に座ったままへたりこんだ。
「はぁああああ……」
もう四時間近くも戦い続けていた。
改めて荒野に目をやると、野は見渡す限り魔物の死体で埋まり、もはや襲って来るものはいない。
味方も多数の死傷者を出し、被害は甚大であったが、辛うじてまだ組織的な戦闘が可能であった。
「……勝ったのかね?」
僅かに雲の間から漏れる日の光を見上げながら、誠治は呟いた。
「少なくとも今、私たちは生きてる。それで十分」
ラーナの言葉に、誠治が頷く。
「そうだな……」
「…………」
一人、詩乃だけが、不安げな表情で丘の向こうを見つめていた。
一時間ほどが経った。
北の市壁では救助作業が続けられており、負傷者ともはや目を開けることのない者たちが、担架と荷馬車で運ばれている。
未だ収束宣言は出されておらず厳戒態勢が敷かれていたが、町全体に安堵の空気が流れつつあった。
誠治たちも一度ノルシュタット城に戻り、食堂で遅い昼食をとったのだった。
最初にそれに気づいたのは、市壁で救助作業をしていた若い見張りの兵士だった。
荒野の向こうに、天高く砂煙がたっている。
いくつもの黒い点がこちらに向かって走っているようであり、なかでも中央の物体は周りに比べて格段に巨大であった。
「なんだ、あれは?」
彼の視線の先にあるものを見れば、百人が百人、同じことを思うだろう。
当然だ。
その個体と同種のものが出現したのは千年も前のことであり、以来、その姿を見た者は誰もいないのだから。
それは巨大な甲虫だった。
全高二十メートル、全長四十メートル。
小さめの頭部の上に伸びる長いツノ。
まさしく巨大なカブトムシ、またはクワガタといった外見である。
追随するのは、巨大甲虫をふた回りほど小ぶりにした甲虫たち。
全長約十五メートルの配下が十匹以上、並走しているのだった。
「ば、化け物だぁっっっ!!!!」
兵士はあらん限りの声で叫び、隊長に報告すべく駆け出したのだった。
敵襲来の早鐘が響き渡る。
城内は再び蜂の巣をつついたようになった。
誠治たち三人は食べかけの昼食を残し、高射機関砲が設置されている城のテラスへ出る。
「……あれか!!」
目視で巨大甲虫を確認する。
魔物たちは刻一刻とノルシュタットに迫っていた。
もはや北の市壁まで移動している時間はない。
「ここで迎撃する。詩乃ちゃん、メンタルリンクと気配探知を!」
「はい!!」
たちまちメンタルリンクが開始され、探査ビジョンが共有される。
リンクは司令部のマキシムにも共有してもらっていた。
誠治は射手に交代するように頼み、機関砲の銃座に腰をおろした。
すぐに傍らに二人の少女がやって来る。
「ラーナ、照準を頼む」
「了解」
たちまち甲虫の頭部が拡大される。
「照準完了。距離二千五百」
誠治はマキシムに伺いを立てる。
〈司令部へ。特別攻撃班は、これより城内の高射機関砲を使い、巨大甲虫に攻撃を行います〉
〈司令部了解。特別攻撃班の攻撃を了承します。あと一踏ん張り、よろしくお願いします〉
マキシムから即座に応答が返って来た。
ラーナが叫ぶ。
「セージ、距離二千!!」
「了解。攻撃を開始する!」
誠治は叫ぶと同時にグリップに魔力を通し、引き金に指を当てた。
通す魔力を増やすのに比例して、高射機関砲の銃身と銃座が放つ青白い光は強くなってゆく。
「くらえ!!」
誠治が叫び、引き金を引くと同時に、眩く光弾が放たれた。
ダダダダダダダダダダッ!!
黒竜の鱗をも剥ぎ取った攻撃が、一筋の線となり、化け物に飛んでゆく。
黒竜を滅した勇者の攻撃。
今回も甲虫の殻を打ち砕いてくれる。
見守る誰もがそう思っていた。
だが……
カカカカカカカカカカッ!!
誠治が放った光弾は、甲虫の殻により、なんと全弾が弾かれてしまった。
「うそ?!」
ラーナが叫ぶ。
皆、自分の目を疑っていた。
誠治による高射機関砲の連射は、現段階でノートバルト軍が持つ最強の必殺攻撃である。
それが為すすべもなく跳ね返されてしまったのだ。
最早ノートバルトには、甲虫に対する有効な攻撃手段はない。
間もなく、虎の子の中型爆火石による砲撃が始まる。
が、小ぶりな甲虫にいくらかのダメージを与えるだけで、巨大甲虫の方にはまるで効いている様子がない。
弾倉交換して行った誠治の二回目の攻撃も、同様だった。
皆が呆然とする中、突然巨大甲虫のツノが光る。
次の瞬間、ツノの先から光弾が撃ち出され、北の市壁に着弾する。
ドォン!
閃光、爆発。
市壁の一部がごっそり吹き飛び、地面までもが抉られる。
その惨状は、遠くノルシュタット城からも目視で十分確認できた。
かつて北門があった辺りに、新市街地にまで到る巨大な穴があいてしまっている。
魔物たちが到達すれば、その穴から市街地への進入を許してしまうだろう。
「どうすれば……」
誠治を含め、皆が途方に暮れた時だった。
「おじさま、あれは……?」
詩乃が北の空を指差した。
黒いドレスを着た長い金髪の女性が、フロアから二段ほど高くなったイスに腰掛けていた。
「なんとか間に合ったかしらね?」
彼女は前方のガラスから見える光景に眉を寄せながら、少しだけ安堵していた。
透き通るような白い肌に、輝く美貌である。
具体的には、長く垂らした艶やかな髪が、文字通り輝いていた。
溢れる魔力が光の粉となり、彼女から溢れ出しているのだ。
彼女は美貌そのものが十分な特徴と言えたが、さらにもう一つ、明らかに普通の人間とは違うものを持っていた。
エルフというには短く、人間というには尖った耳である。
その耳は、彼女の人生を語るのに必要不可欠な、言わば象徴でもあるのだが、ここでは割愛する。
彼女から一段下がったイスに腰掛けている、ずんぐりむっくりで長い口髭を蓄えた中年男が、イスごと彼女を振り返り、報告する。
「これより攻撃します」
「速やかに脅威を排除しなさい」
彼女は男に命じた。
「は!」
男はイスを回転させ前を向くと、野太い大声で号令を下した。
「対地、戦闘用意!!」
ノルシュタット城は混乱していた。
巨大甲虫の出現。
勇者による攻撃の失敗。
巨大甲虫による魔法攻撃と続き、さらに北の空から白く輝く謎の飛行物体が現れたからだ。
「謎の飛行物体?」
マキシムから報告を受けたノートバルト辺境伯は、早足で窓際まで歩いて行き、司令部となっているホール北側のバルコニーに出た。
まず目に入って来たのは、土埃を立ててノルシュタットに迫る巨大な甲虫たち。
その上空の雲の中に、目的のものを見つけた。
雲に覆われた空を行く、流線型の白い人工物。
それを見た瞬間、彼の口元が引きつった。
そして……
「ぶふぉっ!!」
およそ貴族らしくない噴き出し方をする辺境伯。
そして、くっ、くっ、と笑いを噛み締めた後、やがて堪えられないとばかりに大笑いを始めた。
「ははははははっ!! アレを引っ張り出したのか!! ははははははははははははははは!!!」
腹を抱えて悶絶する彼に、周囲の人間は「絶望的な状況が続き、ついに気が触れたのか」と心配して駆け寄るのだった。
ノルシュタットにおいて、その空飛ぶ何かを以前から知っていたという人物は、実はこの時点で辺境伯を除き十人以上存在していた。
そしてその中の一人は今、城のテラスに設置された高射機関砲の銃座横に立っている。
詩乃が差した先の空を見上げるラーナ。
その指が指し示すものを見た瞬間、彼女は目を見開いた。
「あれは……」
あんぐりと口を開き、立ち尽くす。
「ラーナ、知ってるのか?」
誠治の問いに、ラーナは空を見上げたまま、ぽつりと呟いた。
「へーか…………」
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