第18話 // スタッフの嘆きと怨念

 会議室内にある机は、ロの字形に並べられている。

 三十名近くの者が、室内中央を向くように着席している。

 彼らは企画開発部にてCGを担当しているスタッフ達である。

 中央奥に着席している人物は引戸。この打ち合わせの主催者。

 引戸の右隣には紺倉がいて、ノートパソコンと向き合っており、ディスプレイには文書作成ソフトの画面が表示されている。

 引戸の左隣には堀後がいる。

 引戸、紺倉、堀後以外の人物は、全てN社所属とされる常駐スタッフ――下請けや派遣も含む――であるが、あえて彼らにも集まってもらった。


 引戸が口を開く。

「みなさん、お疲れ様です。本日、お集まりいただいた理由は、今後の方針について是非とも、お話しておきたいからです。今回のプロジェクトは、私にとっても前例が無いくらい、極めてタイトなものになっています。正直な話、まともにやっていたのでは、納期に間に合いません。そこで、目立つところ以外は、手を抜く事を検討しています」

 手を抜く、という言葉が引戸の口から出た途端、室内がざわついた。

「紺倉さん」

「はい」

「手を抜く、という言葉は議事録から省いといて」

「わかりました」

 紺倉はキーボードを叩き、引戸の発言を記録する。

「引戸さん」

「どうした? 堀後君」

「どうしても、細かく描きたいところがあるのですけど、そこは手を抜かなくてもいいですかね」

「細かく描きたいところって?」

 引戸が質問すると、周囲に聞かれたくないのか、堀後は引戸にぼそぼそと耳打ちした。すると、引戸は指でOKサインを作って、ニコニコしながら堀後に示した。

「すみませんけど、格樹さんや菊軽部長辺りから指摘されたら、どうすればいいんですか?」

 常駐スタッフの一人が、引戸に質問した。

「その時は、私の指示でそのようにした、と言ってください」

 引戸は質問に答えた。

「本当にいいんですか? 引戸さん」

 紺倉は心配そうな顔をして引戸に尋ねた。

「いいんだよ。俺が責任を取る。クビになるかもしれないけど、こんな状態じゃ、この会社は長く持たないだろうし」

「……」

 引戸の発言に紺倉は絶句した。

 紺倉に限らず、この発言を聞いた他のスタッフ達も、驚きと不安が混じったような顔をしている。


「今回からこの会社は、おかしくなってしまったように見えるけど、その下地は以前からあったのかもしれないな」

「下地ですか?」

「そう、下地。紺倉さんも気付いてるかもしれないが、格樹さんは以前から今回のプロジェクトを考えてたみたいだし、それに、格樹さんは社員のほとんどが逆らえない事を知ってるふしがある。せめて社長が反対してくれればよかったんだけど、社長も乗り気で、しかも手段を選ばないという……」

 引戸は、ため息をついた。



 休憩所のソファーに重坂と黒伏が腰掛けて、缶コーヒーを飲みながら話している。

「黒伏さんは以前、SIerに勤めていたと、おっしゃっていましたけど、どこに勤めていたんですか?」

運磁うんじソフトです」

「運磁ソフト!? 大手じゃないですか!」

「一応、大手なんですけど、下請けの仕事ばかりで、しかも、この前言ったように、請負なのに派遣みたいな事させるし、他所から人を引っ張ってきては多重派遣させるし、残業時間は多いしで、ロクなもんじゃなかったですよ。大手だからいいとは限りませんね。今は少しマシになっているみたいですけど、掲示板サイトを見ると、昔の悪行が色々と書かれていますよ」

「そうですか……大手だからいいとは限らないんですね。わかりました」

「そういえば、重坂さんのは、どうなんですか? 正社員なんでしょ」

「私の所は、常用型派遣がメインで、昇給はほとんどありません。ボーナスもごく僅かで、数万円程度しか出ないです。管理職は、他社の管理職経験者がやっていますので、自社の正社員が昇進して管理職になるなんて、まずありません。後、年齢と共に仕事が減ってきて、やがてクビになる事が多いと聞いています。だからか、ある程度勤めたら転職する人が多いです。あまりいい会社じゃありませんね」

 やがてクビになる事が多い――重坂は特定派遣時代のT社について話をしている。


 特定派遣の廃止に伴い、一般派遣と同様な許可をもらったT社だが、今後の事は知らない。

 ――昇進か。このままじゃ俺とは無縁だな。だが……

 昇進せず、万年平社員でも最後まで雇用が守られているのなら、いい身分だよな、と重坂は思う。

 昇進が無くても、クビにならないのなら、重坂が所属する会社よりはマシなのだ。

 逆に、雇用面が怪しくても、昇進のチャンスがあれば、それもまた重坂の会社よりマシといえる。

 ――本当にロクな会社じゃないな。

「なるほど。昇進がある分、僕が務めていた所の方が、少しはマシっぽいですね」

「スキあらば、どこかいい所に転職したいですね」

「転職か……若い人が羨ましいです。重坂さんなら、そう遠くないうちにできるんじゃないですか」

「そう祈っていますよ」

 重坂は宙を見上げる。



 企画開発部オフィス内に怒鳴り声が響いている。

「須分! お前、これで何度目だ!」

「すみません」

 今日、須分は仕事をする上でわからないところを何回も鞭岡に聞いていた。

 だから、怒られている。

「須分、以前、俺が何て言ったか、覚えてるか?」

「『俺の背中を見て覚えろ』ですか?」

「そうだよ! お前、全然できてないじゃねーか!」

 鞭岡はシステム開発チームのリーダーである。

「俺の背中を見て覚えろ」という言葉は、二十世紀、多くの労働者が終身雇用で守られていた頃の考え方である。

 二十世紀末頃から終身雇用で守られない労働者が増え、派遣や請負、契約社員、フリーランスといった多様かつ流動的な形で働く人が多数現れ、高度な技術や多様な情報が飛び交っている現在、「俺の背中を見て覚えろ」という考え方は、時代錯誤極まりないものである。

 新人である須分を導く事も、リーダーである鞭岡の仕事なので、これは職務放棄とも取れる言葉である。

 しかし、多忙を極める鞭岡は、後輩である須分に色々と教える余裕が無かった。

 二十一世紀を生きる、それもまだ若いと言えなくもない鞭岡の口から、そういう言葉が出るのは、仕方のない事かもしれない。


「すみません」

「お前、それ何度言った!? もう、お前の『すみません』は、あてになんねーぞ!」

「……」

 須分は何か考え事をしているようだ。

「……どうした!?」

「……これ、教えていただけないでしょうか?」

「お前に、いちいち教えてたら、キリがねーんだよ! 他をあたれ! この学習能力ゼロのド阿呆あほうが!」

「はい」


 須分は席から離れる。

 後ろの席には黒伏が座っている。

 現在、黒伏が座っている席は、かつて川鳩が座っていた席である。

 川鳩が解約されて、ここを去った後、黒伏がここの席に着く事になった。川鳩から引き継いだ業務内容ゆえ、重坂の隣にいると都合がいいのだ。

「すみません」

 黒伏のそばに須分が立っている。

「何でしょうか?」

「教えていただきたいところがあります。お手数ですが、私の所に来ていただけないでしょうか」

「わかりました」

 黒伏は立ち上がり、背後にある須分の席に向かった。


「ここのところです。コードを追ってみてもわからなくて……」

 ディスプレイ内にはソースコードが表示されている。

 須分はパソコンを操作して、カーソルでソースコードのわからない箇所を示した。

「どれどれ……」

 黒伏は頭を回転させ、これまでに培ったノウハウを引き出し、自分の経験を例に挙げながら須分に説明した。

 口で説明するだけではなく、須分のノートに文章や図も書いて解説した。

「ありがとうございました」

 心なしか須分の目は潤んでいるようだった。

「どういたしまして」

 須分から感謝された黒伏は、自席に戻った。



 世間一般では夏休み。通常なら、お盆辺りに一週間程度の休みがあるのだが、今年は無かった。

 それにもかかわらず、毎日終電近くまで残業させられる彼らのストレスは、尋常ではないくらい溜まっていた。


// 何なんだこの職場は!?

// 畜生! 休みよこせ!


 プログラムを担当するスタッフが使用する言語は、C++が主である。

 C++では「//」を入れる事により、コメントを記入できる。

 コメントの箇所は、プログラムの動作に一切影響しない。

 複数のスタッフが作業する事を想定し、誰にでもわかる簡単な解説を記入するのが一般的な使い方である。

 素人から見たら難解な上、膨大な量のソースコード。プロが見ても、そのままでは解読困難だろう。

 そこで、随所にコメントを記入して、多くのスタッフが理解できるようにするのである。

 多くのスタッフの中には、書いた本人も含まれている。後から見た時に、わからないようでは困るのだ。

 このようにコメントの活用により、複数のスタッフが、コーディングの作業に携わる事ができるようになる。

 しかし、彼らは本来の用途以外でコメントを記入していた。

 ストレスフルな彼らは、コメントを活用して、ソースコードに愚痴を書いていた。

 誰が書き始めたのかは、わからないが、一人が書き始めると、俺も、私も、というように多くの人が書き始めた。

 このような使い方は論外であり、レビューをやろうものなら、間違いなく怒られて、書き直しさせられるだろう。

 しかし最近、コードレビューは行われていない。

 本来なら、実施して、ソースコードの正当性を確認すべきだが、忙しさのあまり、次第にやらなくなっていった。

 リーダーである鞭岡も黙認していた。

 新人研修時に行われたQCの講義は何だったのか、以前、怒られながらやっていたレビューは何だったのか、と須分は思ったが、歯向かう気は起きなかった。

 酷い目に遭いそうな上、いちいち歯向かっていたら仕事が片付かない、と思ったからである。

 プログラムなんて、動いて問題が出なければ、それでいいという考え方が、彼らの間に蔓延まんえんしていた。


// 残業代、ピンハネしてんじゃねえぞ!

// ここの社長は頭がおかしい。

// 今回のプロジェクトは、椎尾格樹が立ち上げたんだっけか? 社長の息子だからといって、好き勝手やってんじゃねーぞ!

// 戦犯は椎尾親子。

// 去年は、こんなんじゃなかったのに。

// 俺はなぜ、こんな所に派遣されたんだ?

// 実質、多重派遣だな。

// エヌデストウルに派遣されたかと思ったら、いつの間にかディスクリミネーションソフトで働かされていた。

// 千弥島技研に派遣されたかと思ったら、いつの間にかディスクリミネーションソフトで働かされていた。

// テキヤシース→エヌデストウル→ディスクリミネーションソフトで二重派遣。

// ケケナカン→千弥島技研→エヌデストウル→ディスクリミネーションソフトで三重派遣。

// もしかして、エヌデストウルと千弥島技研って、いらないんじゃね?

// いや、少ししかいないけど、エヌデストウルと千弥島技研の正社員もこき使われてるよ。

// この会社、違法行為しまくり。

// 過重労働、サービス残業、偽装請負、多重派遣……

// 後、パワハラもあるよ。

// 社長はキャバ嬢にセクハラしてるという噂。

// ここまで酷い職場とは思わなかった。

// なんで鞭岡が直接指示してんの? うちら請負じゃん。

// 鞭岡、須分いじめてんじゃねーぞ! 何だよ「俺の背中を見て覚えろ」って! 人の流れが激しい時代に! アホか!

// それ以前に鞭岡の態度がムカツク。イキってんじゃねーぞ!

// 鞭岡、少しは菊軽さんや引戸さんを見習え。


「あいつら……っ! ふざけんな!」

 自分の悪口も含め、ソースコードに書かれた様々な愚痴を見た鞭岡は、激怒しながら机を叩いた。

 だが鞭岡は、修正の依頼はおろか、注意すらしなかった。

 修正したところで、プログラムの動作が変わるわけではない、むしろ時間の無駄だ、と考えたからだ。

 それどころか、鞭岡も彼らにならって、を記入する。

 ――あいつはプログラムなんてやらないから、見る事はまず無いだろう。


// 死ね! 椎尾格樹! 糞プロジェクトの張本人が!

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