第15話 悲しみの裸踊り

 週刊ウォミ通編集部の取材があった週の金曜日、企画開発部と営業部は、合同で飲み会をやる事になった。

 なので、最近にしては珍しく、早めに仕事を切り上げる予定である。社長も了解済み。

 商標チェックに問題が無かった事、バグがあるものの、ゲームの基本的な部分ができて、『週刊ウォミ通』に記事が掲載された事、これらを祝う事と、スタッフをねぎらう事が、飲み会の主旨である。


 デスクにて作業中の重坂宛てに回覧が届いた。

 回覧の内容は、飲み会への出席の可否。D社正社員だけではなく、契約社員、パートタイマー、の名前まで書かれている。

 D社正社員は全員出席。契約社員の堀後、パートタイマーの岩蟻、N社の石窓も出席。他は未記入。

 ――とりあえず、今のところは全員出席のようだな。

 今晩、特に用事は無いので、重坂は出席の方に丸を付けた。

「川鳩君、これ」

「はい」

 川鳩は重坂から回覧を受け取った。川鳩も出席の方に丸を付け、隣の席に回覧を回した。



 午後六時四十分頃。空はまだ少し明るい。梅雨時にしては珍しく晴れている。半分くらい雲で覆われており、ピンク色の夕焼けが幻想的である。

 二十人程の人が、D社のエントランスから歩いてくる。企画開発部と営業部、及び関係者である。

 彼らが正門の近くに差し掛かると、守衛は「お疲れ様でした」と言いながらお辞儀した。


 少し不思議な色をした空の下を歩く人々。彼らの大半は企画開発部オフィスで働いているスタッフである。

 企画開発部オフィスでは、もっと多くの人が働いているのだが、全てが飲み会に参加するわけではない。

 用事があるから参加しない人もいれば、単純に参加したくないだけという人もいる。人それぞれである。

「久々に早く上がれましたね」

「たまには、こういう日もないとな」

 いつも遅くまで仕事をしている川鳩と重坂は、久しぶりに早く上がれたので、のびのびとした気分になっている。

 駅に辿り着き、そこを素通りしてから、少しだけ歩くと居酒屋がある。

「すみません、ディスクリミネーションソフトの引戸です」

「お待ちしていました。それでは、こちらへ」

 幹事である引戸は、会社名と予約者である自分の名前を伝えた。店員が案内を始めると、外にいた者達が、ぞろぞろと中に入っていった。


 居酒屋店内は明るい。酒を飲んでゴキゲンになっているのか、客達からは陽気さが伝わってくる。

 D社一行は座敷に案内された。テーブルの近くには、いくつもの座布団があり、テーブルの上には、割りばしと小ぶりなビールグラス、紙ナプキン、おしぼりが、いくつもある。

 一行は適当な席に着く。正社員達の塊と常駐者達の塊ができた。須分は鞭岡が苦手なのか、鞭岡から離れ、同期である地園の近くに座った。

 店員が数本の瓶ビールと人数分の小鉢を持ってきた。小鉢は各人の前に配られ、ビールはテーブル上の要所に置かれた。

 各人自ら進んで他者のグラスにビールを注ぐ。全員のグラスにビールが注がれたところで、引戸が立ち上がった。

「本日は、お忙しいところ、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。これより、親睦会を始めさせていただきます。始めに菊軽部長より、ご挨拶をいただきます。菊軽部長、一言よろしくお願いします」

 菊軽が立ち上がった。

「みなさん、お疲れ様です。毎日、遅くまで一生懸命頑張っていただき、誠にありがとうございます。『49アドベンチャーズ』の『週刊ウォミ通』掲載を祝して、そしてヒットを願って、乾杯!」

 菊軽がビールの入ったグラスを掲げると、一同は口々に「乾杯!」と言い、互いにグラスを合わせた。


 枝豆、鶏の唐揚げ、刺身、龍蝦片ロンシャーペン――中華えびせん――等々、様々な料理が運ばれてくる。その度に、彼らはそれらを口にしていく。

 運ばれてきたのは、食べ物だけではない。

 ビール、日本酒、ワイン、焼酎、ウイスキー、カクテル、ジュース、ウーロン茶等の飲み物も運ばれてきた。

 格樹はカクテルが好きらしく、早々にジン・トニックを注文した。格樹の元に、カットされたライムの入った飲み物が運ばれてきた。


 部屋の端にカラオケ機器がある。業務用の大きなものだ。

 格樹が立ち上がり、カラオケ機器に向かって歩き出す。

 カラオケ機器に備え付けられているリモコンを取って選曲し、マイクを手に取る。

 ノリの良い8エイトビートのリズムと共にエレキギターの音が聞こえてくる。

 格樹は歌い出した。大きく、はっきりとした歌声だ。歌声にはエコーがかかっている。

 カラオケ機器の画面には曲名、アーティスト名、作曲者名、作詞者名が表示されている。

 曲のタイトルは『Brave from Another World』、アーティスト名はジャイアントサラマンダー、作曲者名と作詞者名は炎代譲治である。

「なるほど。だから、炎代譲治に作曲を依頼したのか」

 地園が、つぶやいた。格樹はジャイアントサラマンダーのファンである、と考えたのだろう。

 格樹が歌い終えると、一同は彼に向かって拍手した。


 格樹が歌い終わった後、他の者も歌い始めた。

 曲のジャンルはロック、ポップス、EDM、演歌等様々である。

 だが、一向に歌おうとしない者がいる。

 須分である。彼は流行歌に関心を示さない。

 だが、音楽に全く興味がないというわけではなく、ゲームミュージックなら暇さえあれば、好んで聴いている。

 ゲームミュージックのほとんどは、インストゥルメンタル。歌が付いたものも、ある事はあるが、まれである。

 自ら歌おうという気にはなれない。聴いている方が、彼にとっては心地よい。

 歌っていない者は、彼だけになった。

「須分、お前も歌え」

 鞭岡が須分に声を掛けた。

「すみませんけど、僕は……」

「いいから、歌え。誰も怒らんから」

「はい……」

 鞭岡から促された須分は、渋々とカラオケ機器に向かって歩き出した。

 リモコンで知っている曲を適当に選ぶ。

 シンセサイザーによる軽やかなイントロが流れた後、マイクを手に取って歌い出す。

 しかし、知っているとはいえ、歌った事が無いからか、適切に歌えているとはいえない。

 一同は沈黙する。ほとんどの人が微妙な表情をしている。

 鞭岡は渋い表情をしている。「チッ!」という声が聞こえてきそうだ。

 須分の隣に大柄な男が現れた。

 地園である。

 地園は何を思ったのか、須分と一緒にデュエットし始めた。

 須分とは違い、はっきりとした声で歌っており、音程も適切である。

 本来、このような行為は、迷惑かつ失礼だと思う者が多いのだが、今回の須分に限っては、そうでもないようだ。

 歌が終わると、須分は小声で「ありがとう」と地園に言った。


 飲み会は進み、一同の中には、だいぶ酔っている者がいる。

 菊軽の前に、空になったグラスがいくつも置かれていたので、それに気づいた店員は、グラスをまとめて片付けた。

「社長……社長……、いくらなんれも、偽装請負は……サービス残業は……らめれすよ……」

 菊軽が、うめくような呂律ろれつの回らない声でつぶやいている。

「ろうしれ、そんなころまれしれ、やらなきゃいけないん……すか……今まれ、うまくやっれきられはない……すか……」

 そうつぶやいた後、菊軽は少しの間だけ口をつぐむ。顔は真っ赤になっており、視線は変な方向を向いている。

「ひくしょー! うおー! なんれー! ろうしれー!」

 菊軽は叫び出した。周囲の者達は、何事かと思って、彼に視線を向けている。

 菊軽は立ち上がり、ネクタイを外した。ネクタイだけではなく、ワイシャツのボタンも外していく。

「あすい……あすい……」

 靴下を脱ぎ、ベルトも外す。

「いかん! すいませーん! お盆を二つ! 大至急!」

 引戸が慌てて店員に声を掛けると、店員は「かしこまりました!」と返事した。その後、奥の方から「お盆、二つありませんかー!」という声が、引戸の耳に入ってきた。

 お盆が二つ届いた頃、菊軽は既にパンツ一丁になっており、それをも脱ごうとしていた。

 菊軽の骨ばった体から垂れ下がる大事なものが、さらけ出されそうになっている。

 菊軽の酔い癖を知らない者達の顔は、引きつっており、紺倉をはじめとした数少ない女性陣は、両目を手で覆っている。

 引戸は、お盆で菊軽の股間をすかさず隠す。


「何とか間に合ったな……」

 引戸は安堵した。

「ひきろ君」

「何でしょうか? 部長」

「それ、貸しらまえ」

「どうぞ」

 引戸は菊軽にお盆二つを渡した。

 菊軽は、それぞれの手にお盆を一つずつ持ちながら、左手のお盆で股間を隠し、右手と右足を上げる。

 右手と右足を下ろし、右手のお盆でも股間を隠したら、左手と左足を上げる。

 このような動作を繰り返しながら、菊軽は躍り続ける。いわゆる裸踊りである。

 周囲は、あぜんとしながら菊軽の様子を見ている。

「ろうしれ、ろうしれ、いけないころ、しなけりゃいけないん……すか~♪ なんれ~♪ ろうして~♪ 俺は~いやれすよ~♪」

 菊軽は踊りながら即興で歌を歌っている。歌には彼の本音が現れているようだ。酔っ払いらしい可笑しさと共に悲哀も感じられる。

 引戸が「また始まったな」と愚痴をこぼすと、鞭岡は「社長よりはマシだぜ。社長なんか、キャバクラ行く度にキャバ嬢にお触りだぜ」と引戸にささやいた。

 菊軽は気の済むまで裸踊りをすると、その場に崩れ落ちて眠りこけてしまった。

 引戸達は急いで菊軽に服を着せた。


 時間は過ぎ、ラストオーダーとなり、デザートのアイスクリームが配られる。

 スフレカップに入っているアイスクリームの量は多くない。デザートとしてちょうどいい量だ。

 配られたアイスクリームを多くの者が食べ終え、最後の飲み物に口を付けているところで、引戸が立ち上がる。

「みなさん、お時間になりました。宴もたけなわではございますが、そろそろお開きにさせていただきたいと思います。締めの挨拶を菊軽部長に……どうやら、お休みのようですね」

 菊軽は壁にもたれながら、ぐっすりと眠っている。

「それでは、松地部長……も、お休みのようですね」

 菊軽と同様にぐっすりと眠っている小太りの男がいる。年齢は五十代くらい。営業部部長の松地竜人まつちりゅうとである。

「最後に一本締めをお願いします。いよーっ!」

 ぱぱぱんっ! ぱぱぱんっ! ぱぱぱんっ! ぱんっ!

 部長二人を除き、一同は一斉に手拍子を叩いた。座敷内に手拍子の音が響き渡った。

「どうも、ありがとうございましたー!」

 引戸は一同に礼を言った。

 一同は荷物を持って、座敷を後にし、店を出て駅に向かう。



 駅前に一同が集まっている。

 時刻は午後九時半頃。真っ暗な空に星がいくつか見える。

 部長二人は、未だに意識が怪しいらしい。

 引戸は菊軽の腕を、地園は松地の腕を、それぞれ肩に回している。

「お疲れ様でした!」

 各人がそう言って別れると、引戸は菊軽を、地園は松地を連れて、改札口に向かっていった。

「地園って奴は、新人なのに偉いな……それに比べ、うちの須分は……」

 地園達の様子を見ていた鞭岡は、愚痴をこぼした。



「ヤバイ! ヤバイ!」

 早足で自宅のアパートに向かっていた重坂は、鞄の中から鍵を取り出し、自宅の扉を開けた。

 中に入ると、扉を急いで閉めて、鍵を掛ける。

 早足で便所に向かい、扉を開けて、中に入る。

 ズボンとパンツを下ろし、便器に腰掛ける。

 ぶりっ! ぶぼぼぼぼぼっとん! ぶうっ!

 大便が物凄い勢いで排出された。大便の他、屁も放たれた。

「間に合った……」

 彼は安堵の息を漏らした。

 先程の飲み会で大量に口にした食べ物とアルコールにより、帰宅途中、激しい便意に襲われたのだが、無事に解決した。

「それにしても、菊軽部長……」

 重坂は便器に腰掛けながら考え事をしている。

 菊軽の裸踊りは、インパクトがあったが、それ以上に気になったのは、菊軽の発言や歌である。

 違法行為に付き合わされ、ストレスがたまっているのかもしれない。

 ――よし、決めた。

 彼は何かを決心したようだ。



 土曜日。朝から雨が降っている。しかもザーザー降りである。

 しかし、重坂は出かけた。降りしきる雨の中、傘をさして。

 彼は現在、大型家電量販店の中にいる。

 D社最寄駅のそばにある大型家電量販店。以前、炎代親子が買い物をしたのは、ここである。

 今日は、企画開発部内スタッフにとって貴重な休日。次は、いつ休めるか、わかったものではない。

 以前から買うべきか否か迷っているものがあったが、結局、買う事にした。

 昨日の菊軽の様子が、重坂に購入を決意させたのかもしれない。

 重坂がいるフロアでは、オーディオ機器が売られている。

 彼はフロア内を歩き回る。

「あった、あった……」

 目的のものを見つけた彼は、カウンターに行き、会計を済ませた。

 彼が買ったものは、ICレコーダー。ポケットに入れられるコンパクトなものを選んだ。


 目的を済ませた彼は、駅近くのレストランで食事を済ませてから、雨が降る中、帰宅した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る