妹の彼女

三郎

第1話:無知で愚かだったあの頃の俺たち

 LGBTに関する知識も興味関心も、ほとんどなかった。BとTに至っては、それがなんの略なのかさえ曖昧だった。覚える必要なんて無いと思っていた。他人事だから。LGBTと呼ばれる人達なんて、テレビでしか見たことがないから。周りにはいない。居るわけない。そう、心の底から思っていたからこそ「お前ホモかよ。キモいな」「なわけねぇだろ」なんて言い合って笑えていたのだろう。

 今なら分かる。あの頃の俺は差別をしていた。無意識に、人の尊厳を——同性愛者である妹の尊厳を踏み躙っていた。そのことを思い返す度に、あの頃の俺最低だなと自己嫌悪に苛まれる。

 最低なことをしていたと気付けたのは、彼女の一言がきっかけだった。





「うわ、お前ホモかよ」


「ちげぇし!やめろって」


「お前らちょっとうるさい」


 その日、いつものようにホモだのキモいだの戯れあっていた悪友に、一人の女の子が冷たい声で言い放った。声の主は、ヤンキー集団の中に似つかわしくない可愛らしい美少女。側から見たら、絡まれているのかと心配されてしまいそうなほど浮いている彼女の名前は月島つきしまみちる。年は俺より二つ下。俺の妹と同い年。可愛らしい顔に似合わず、近所のヤンキー達が束になっても勝てないほど喧嘩が強い。故に、年下にも関わらず姐さんと呼ばれ、慕われていた。


「不愉快だからちょっと黙ってくれないか」


 彼女は冷たい声でそう言いながら、彼女は戯れあっていた男子達にゆっくりと近づいた。場の空気が凍る。彼らも含めて、その場にいたほとんどが、何が彼女の琴線に触れたのか理解できていなかったと思う。彼女は、はぁ……とため息を吐き、こう言い放った。


「私の親友が同性愛者なんだ。だから、笑い物にされるとすっげぇ不快」


 サラッとしたカミングアウトに、周りはぽかんとしてしまう。


「ちなみに、私もそれに近いから。つまりだ。お前達は今、間接的に私を侮辱したわけだ。だからキレてる」


「は!?い、いや、俺らはそんなつもりじゃ——「ごちゃごちゃ言う前に言うことない?」


 悪友達は顔を見合わせ、彼女に頭を下げた。多分、普通の歳下の女の子だったら謝らずに逆ギレしていたと思う。彼らが素直に謝ったのは、彼女の方が立場的にも力的にも上だったからだ。


「よし。許そう。私は寛大だからな」


「……つまり、姐さんはレズってこと?」


 誰かが恐る恐る手を挙げて質問をした。周りは恐れ知らずなこと聞くなとどよめいたが、彼女はむしろ、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに機嫌良く笑った。


「せっかくだ。無知で愚かなお前達に学ぶ機会をやろう」


 俺たちの中では、力こそが正義だった。故に、彼女がどんな偉そうな態度を取ろうが、口答え出来なかった。姐さんと呼ばれて慕われる彼女の権力は、グループ内トップだったから。

 神のような横暴な態度とは裏腹に、彼女は真面目にLGBTについての授業を始めた。


「私はここには入らないんだが、男性は恋愛対象外だと思う。まだはっきりとは分からんが、異性愛者じゃないのは確かだな」


「って言われてもさ、同性を好きになるとか、身体の性別と心の性別が違うとか、理解出来ねぇよ」


 誰かが言い、ほぼ全員が頷く。すると彼女は「それは私も同じだよ」と応えた。


「姐さんはLGBTなんじゃ?」


「男にときめかないってだけ。私は異性愛同性愛以前に、恋が分からないんだ。そういう人間も居るらしい」


「姐さん、中三だろ?まだ知らないだけだろ」


「あぁ。その可能性はある。あるけど、大人になったって、誰もが必ず誰かに恋をするわけじゃない。世の中には恋をしない人間もいるらしい」


「恋なら俺が教えてあげようか」


 そう言って口説こうと近づいた男子を、彼女は済ました顔で投げ倒した。そして倒れた彼の頭を掴んで、小馬鹿にするようにふっと笑ってこう言い放った。


「お前が女だったら抱いてやっても良かったんだがな」


 そして、悔しそうに睨んだ彼の頭を離し、背中に座って足を組んで頬杖をついた。ちなみに、当時の彼女は中三だ。


「……姐さん、ほんとはいくつ?」


「14」


「14の女が『女だったら抱いてやっても良かった』とか言うわけないだろ」


「てか姐さん、恋したことないんじゃ?」


「性欲はある。後は察しろ」


「……女同士ってどうやってセッ「自分で調べろカス」」


 もう一度言うが、当時の彼女は中学三年生だ。妹も割とマセてはいたが、これほどでは無かった。


「まぁ、世の中にはいろんな奴がいるってことだ。同性愛者をネタにして笑える時代はもうとっくに終わってんだよ。そんなことで笑ってたって、無知を晒す痛い奴になるだけだからやめとけってこと」


「いや、流石にあんたはクセ強すぎだろ……」


 椅子にされた男子が言い、周りも全員頷く。


「そうか?」


 歳上のヤンキーを投げ倒して椅子にして上から目線で説教をする女子中学生とか漫画でも見たことない。後にも先にも、そんな女は彼女以外に知らない。


「……なぁ姐さん、LGBTについてさ、もうちょっと詳しく教えてくれね?」


 そう言い出したのは、グループのカーストの上位にいた、俺の親友のウメこと梅宮うめみや信幸のぶゆき。彼はその日初めて、友人の男子から告白された話を打ち明けてくれた。彼と仲が良い自信があった俺でさえ初めて聞く話だった。もう一人の親友であるタケこと竹本たけもと大樹だいきと顔を見合わせた。彼も目を丸くして、初めて聞いたという顔をしていた。

 その時ウメは「冗談だろ」と突き放したことをずっと後悔していたらしい。姐さんはそれを聞いて、彼の懺悔を受け入れるように優しく笑った。


「今度私の親友を連れてくる。私よりあいつの方がわかりやすく話してくれると思うから」

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