10.錯綜

 西園寺さいおんじ瑠壱るいには友達と呼べる存在がほとんどいない。


 つかず離れずの距離感を保っている朝霞あさか文五郎ぶんごろうを除けば、学校で会話をする同級生はほぼほぼ皆無に等しいし、一日を通じて一番言葉を交わした相手が冠木かぶらぎであるということも決して珍しくはない。


 両手どころか片手の指で数え切れる交友関係については、今日の今日まで不自由を感じたことはなかったし、コンプレックスの類を覚えたこともなかった。


 その悲しいまでに少ない交友関係がもたらす唯一のデメリットと言えば、冠木に「友達作りなよ」と諭されるというイベントが年がら年中発生するということくらいのもので、これまでは一切気にしていなかったと、心の底から断言できる。


 が、この日ばかりは自分の「顔の狭さ」を呪った。


 簡単な話である。


 山科やましな沙智さちとの連絡が取れないのである。


 痛恨事だった。事の始まりが「二人でカラオケにいく」という実に日常感あふれるものだったばかりに、連絡先位そのうち交換するものだとばかり思っていたし、なんなら翌日の昼食を一緒に食べる約束を交わして分かれるくらいのイベントはあると思っていた。


 ところが現実というやつはそう上手くできていないもので、実際の瑠壱はといえば、開始からわずか十数分でいきなり、思い出と憧れの混ざり合った感情の海に投げ落とされてしまったのだ。


 本来あり得るはずのない声が、あまりにも想定外の人物から出てきたことにすっかり面食らってしまった。


 結果として、沙智が“white memories”を歌い終わって以降の瑠壱はろくな思考など出来なくなってしまっていた。連絡先どころではない。なにせ目の前に立っていたのはあの月見里やまなし朱灯あかりで、


 ため息。


 考えても仕方の無いことだ。


 いくら過去を振り返ったとしても、スマートフォンの「連絡先」に「山科沙智」という文字が追加されるわけでもなければ、唐突に、それこそ天啓のように、彼女の個人情報が思い浮かぶわけでもない。

 

 一応、どこのクラスに所属しているかくらいは知っている。


 が、それとこれとは話が別である。瑠壱と沙智の関係性に関する理解は、冠木などの一部の人間を除けば「赤の他人」ということになるだろうし、そんな彼女の元にいきなり足を運ぶというのは余りいい行為ではないだろう。瑠壱にとってもそうだが、沙智にとってもまた、そうであるに違いない。


 しかし、そうなると、何らかの形で連絡先を知る必要が出てくる。

 

 そして、本人に聞けない以上、「沙智の連絡先を知っている誰か」に聞くこととなる。

 

 真っ先に思い浮かぶのが朝霞である。


 朝霞ならば知っているだろうし、聞けば教えてくれるかもしれないが、代価を求められる可能性が高い。


 彼には「友達が困っているから無償で手助けする」という機能は、恐らく搭載されていない。


 そうなると、これまた面倒ごとをしょい込むことは間違いがないが冠木に聞くのが一番いいだろう。


 きっとなんで連絡先を聞かなかったのかを根掘り葉掘り聞きだされ、挙句の果てにヘタレかひねくれもの呼ばわりされるのが関の山ではあるが、朝霞に聞くよりは代償が少なく済むはずだ。少なくとも彼女は、代価に金品や情報を求めたりしないと思う。


 そうと決まれば話は早い。彼女が確実に学生相談室に顔を出すのは昼休みと放課後だから、昼休みになったら顔を出してみよう。


なんなら沙智も来るかもしれない。彼女がまた瑠壱と会いたいと思っていてくれれば、の話だが。


 考え事をしながらえっちらおっちらと階段を上がり、廊下をずるずると教室に向かって歩いていく。


 歩きながら「運よく沙智に出くわさないだろうか」と考えもしたが、そう簡単にはいかないものだった。


 やがて、普段の倍近く時間をかけてたどり着いた我らが三年A組の扉をがらりと開け、


「…………ん?」


 最初に抱いたのは微かな違和感だった。


 その場の空気、というのはなんとなくでも感じ取れるもので、例えば葬式後に催された親戚の集まりと、結婚式後に催された親戚の集まりと言うのは遠目から見てもなんとなく雰囲気が違うものなのだ。


 もちろん、装いが違ったり、会話の内容が違うという差も確かにある。


 しかしそういった「分かりやすい差」を取り除いていったとしてもなお、その場の“空気感”というものは違うものなのだ。


 違和感、というのはまさにその“空気感”の違いだった。


 通常、瑠壱が教室に入って来たところで、誰かが注目するということはまずない。


 視線を寄越すとすれば、まだ登校していない友達を待っていたため、扉が開いた音を「友人の来訪」ではないかと期待を寄せた者と、物音がしたからなんとなく振り向いてみた暇人と、確認したうえで、わざと顔を背けて見せる佐藤智花くらいのものなのだ。


 ところが、この日は違った。


 別に、全員が全員、瑠壱の方を見たわけではない。


 中にはイヤフォンをつけたまま机に突っ伏しているやつもいたし、手元の文庫本に視線を落としたままピクリともしない文学少女もいることはいた。


 しかし、それらはどちらかといえば少数派で、過半数のクラスメートは、扉を開け、中に入って来た瑠壱の姿を確認し、その大半が瑠壱の視線を感じると視線を逸らしたのである。


 おかしい。


 瑠壱は基本、注目されることをしない。だからこそ、クラスメートから注目されることもない。


 意見を求められればそれなりに主張はするし。隣のやつが教科書を忘れていたら見せてやることだってする。その逆だってまたしかりである。


 ぼっちはぼっちなりに、三年A組という保護色の中に溶け込む努力はしてきたつもりだ。


 それが今はどうだろうか。


 瑠壱を覆っていた擬態がはぎとられ、その正体が露になったかのような変わりっぷりだ。


 相手の感情までは分からない。


 ただ少なくとも、今の反応は明らかに「注目されている」と言って相違ないはずだ。


 なぜだ。


 そして、その答えは誰に聞いたらいいんだ。


 そんなことを考えながら視線を泳がせていると、クラスメートの一人が歩み寄り、


「おはよ」


「あ、ああ」


 名前は……なんだっただろうか。申し訳ないが覚えていない。


 以前隣の席になったとき、それはそれは熱く野球について語ってくれたことがあったのだが、残念ながら瑠壱はその内容ごと彼という存在を頭から抹消していた。取り合えずそうだな……田中たなか(仮)という事にしておこう。


 その田中(仮)が二言目に、


「お前、合コン主催したんだって?なんだよ、俺も誘ってくれよ」


 とんでもないことを言いだした。

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