chapter.2
8.妬心
“庶民的”というのが一体何を意味するのかは人それぞれだけど、どうも彼ら彼女らからみた智花は良いところのお嬢様で、学校への送り迎えの車がいて、家も門から玄関までを車で通ることが出来るレベルの豪邸で、ファーストフードなど口にしたことはなくて、ハンバーガーなど食べさせようものなら「まあ、これがハンバーガーですの?」といいそうに見えるようなのだ。
ところが蓋を開けてみればそんなことはなくて、学校への通学も普通に徒歩だし、家もマンションの一室でしかないし、ファーストフード店に至ってはクーポンを駆使して値引きして楽しむほどの“常連”ぶりを見せるものだから、結果として皆、口をそろえて「庶民的だね」という言葉を口にするのだった。
もちろん、その要因が自分にあるのを智花は自覚をしていた。
ハーフでもないのに髪は金髪で、瞳は碧眼。海外にいた経験もあるものだから、英語も片言ながらしゃべることが出来る……どころか、時々ぽろっと英語が出てしまうことがあるくらいなのだ。
加えて──これは智花自身の努力によるところが大きいが──スタイルも良い上に、私服のセンスも抜群と来ているものだから、休日の彼女を見た友人は良いところのお嬢様だろう、という想定を立ててしまうのだと思う。
ただ、そういった表に出る部分以外は極めて庶民的で、今日も「料金が安い上に、ソフトクリームコーナーが充実してていいから」という理由で、藤ヶ崎の学生がまず寄り付くことのないカラオケハウス
「いやぁ、しかしここは良いですねぇ……最初に連れてこられたときはどういうことかと思いましたけど、入ってみれば納得です。そんなに混んでないし、ドリンクバーは無料だし、おまけになんといってもソフトクリームコーナーが充実してるってのがいいですよ、ね、しずしず?」
「しずしず」と呼ばれた女子はほっぺたをリスのように膨らませた状態で、
「ふぉふふぁふぇ」
「いやいや……聞きとれないって」
ごきゅりと心地の良い音を立てて口の中に入ってるものを飲み込んだしずしずは、
「そうだねって、言った」
「だよねだよね?いやぁ、良いところを教えてもらったなぁー」
しずしずは話の流れなど完全に無視して、
「智花。美味しかった。やっぱり智花はすごい。絵も上手ければ、味のセンスもいい。今すぐにでも国家勲章を授与すべき」
「お、始まったね。まあ智花が凄いのは私もよく知ってるけど」
智花はひとつ息を吐いて、
「貴方たちはほんとにマイペースね……ま、そこがいいところなんだけど」
そう。
彼女たちは智花にとって大事な後輩であり、友人なのだ。
最初にカラオケ店をほめてきたのは
知り合ったのは去年のまさに今頃。遅咲きの桜が最後のひと踏ん張りとばかりに花を開かせ、各部活動がこぞって新入生勧誘に躍起になっていた時期だった。
そんな時期に、彼女は、誰に誘われるでもなく自ら漫画研究会部室の扉を叩いたのだのだ。去年の新入生の中では二番目の早さだったような気がする。
髪は肩よりやや短めのセミロング。色は明るめの茶色だが、染めているわけではなくて地毛なのだという(ちなみにその説明を新学期に必ず一回はすることになるらしい)。
目鼻立ちははっきりとしていて、きちんと着飾れば美人の部類に入るような気がするのだが、未だかつて彼女の私服が「垢ぬけていた」ところを見たことがない。
特に注文を付けなければ、冠婚葬祭ですら着慣れたジャージか、これまた着慣れたジーパンと、「どこで見つけてきたんだ」と聞きたくなるくらいの奇妙なTシャツかの二択になってしまうのではないか?と思うほどの飾り気のなさである。
とどめのように黒縁の丸眼鏡までかけているものだから、遠目から見た印象は「髪以外全部地味」である。それは「髪染めてる?」と聞かれるだろう。全体からすれば、茶髪側が「イレギュラー」に近い。
性格は割と「竹を割ったような」っていうフレーズを地で行くタイプだ。
ただ、本人がその本質を余り表に出さないようにしているせいか、周囲からは「いまいちつかみどころがない」という評価を貰うことが多いみたいだ。
それは仕方の無いことじゃないかと思う。だって彼女は相手によって接し方を全然変えるから。
でもその本質は、「とにかく相手と仲良くなりたい」ってことなんだって分かったら、結構話しやすくなった。最初は……ちょっと苦手だったけど。
そして、もう一人。
ついさっきまでパフェに夢中だったのが
やはり彼女も漫画研究会の所属で二年生。そして、去年の新入生で、一番最初に部室を訪れたのが彼女なのだ。
あの時のことは今でもよく覚えている。なにせ、第一声がまず凄かった。
「あなたが……あなたが神か」
どこぞの殺人ノート所持者よろしく、智花のことを「神」認定してきたのだ。
聞けば彼女はアマチュア時代から智花の大ファンで、一体どこから聞きつけてきたのか、通っている学校が藤ヶ崎学園であるとい情報をキャッチしたうえで、お世辞にも良いとは言えなかった偏差値をたった半年足らずで合格ラインに引き上げてみせ、無事に合格したうえで、何よりも先に漫画研究会の部室を訪れたというのだった。
自らのことを智花の“狂信者”であると自称していて、無事に学年という垣根を超えて友達になった今でもなお、その姿勢は崩していないのだ。
正直、最初はこっちも結構怖かった。
もちろん、智花とて一人の創作者であるし、ファンの存在は嬉しいに決まっている。
が、それも限度と言うものがある。
人間の思考回路というのは面白いもので、ある一定以上の熱量は処理しきれないように出来ているらしい。
端的に換言するのであれば「熱すぎてちょっと引いた」という感じ。
けど、それも、そのうち慣れていった。
話を重ねているうちに、白河の熱意は本物なんだなということが理解できるようになった。出会った直後に比べれば熱が落ち着いたというのもあるかもしれない。
容姿の方はある意味神楽坂と対照的といってよかった。
神楽坂が「染めたのではないかと思われるほど全体の印象から浮きまくっている茶髪」だったのに対し、白河は「地毛なのではないかと思うほど馴染みきった白髪」なのだ。
常に頭の後ろで縛って、ポニーテールにしているので、完全に下ろした際の長さは分かりにくいが、腰ほどまではあると思われる。そして、その全てが綺麗な白に染め上げられているのだった。
地毛の色は智花が聞いても教えてはくれなかった。その余りにも幻想的な色と、示し合わせたように色の薄い肌は、余計に地毛なのではないかという錯覚を起こさせるのだった。
ちなみに、学校に通っている時はこれだけだが、休日などに会う際にはカラーコンタクトに加えて、ウェディングドレスのような純白のワンピースを着てくることがほとんどだ。
智花は詳しくないのだが、あれもまたいわゆる「ゴスロリ」の一種であるらしい。
そんな個性の塊みたいな二人は、智花の大事な後輩にして友人なのだ。
そして、めっきり少なくなってしまった「藤ヶ崎学園漫画研究会の高校二年生組」の生き残り、でもある。
智花は立ち上がり、
「飲み物、取ってくるわ。何かいるものある?」
神楽坂が遠慮せずに手を挙げて、
「はいっ!コーラが欲しいです!氷一杯入ったいつもの感じで」
いつもの感じ、というのは彼女がコーラを飲むときのやり方である。
コップの中に限界まで氷を詰め込んで、そこにコーラを注ぎ込んで飲むのだ。
量が少なくなったり、味が薄くなるんじゃないかと言う指摘を智花と白河の二人から受けているのだが、今現在まで全く変える気配を見せていない。なかなかのこだわりっぷりだ。
他方で、白河はというと、
「こら、そんな要求をするんじゃないよ。ごめんな、智花。この無作法者が。後でよく言って聞かせておくから。あ、あと、私は自分で取りに行くから気にしなくて大丈夫だ」
神楽坂がほっぺたを膨らませ、
「誰が無作法者だよ、誰が」
智花はふふっと笑い、
「いいのよ。ついでだから。コーラをいつもの感じでいいのよね?」
「はい!お願いしまっす!」
そういって、思いっきり頭を下げる神楽坂。彼女からは時々体育会系っぽい空気を感じる。気のせいだろうか。
そんな二人を部屋に残したまま、智花はドリンクバーコーナーへと足を運ぶ。いつもどおりと言うべきか、人はほとんどいない。
普段は店長がカウンターにいることも多いのだが、今日は奥に引っ込んでいた。まあ常時張り付いていなければならないほどの客も来ないからいいのだろう。
飲み物を取って帰ろう。ソフトクリームもと思ったが、それは後でもいいだろう。
頼まれたコーラと、自分用のルイボスティーを注ぎ、コップを両手に、ドリンクバーを後にして、一号室へと、
「…………あれ?」
気が付いた。
智花たちのいる二つ隣。三号室の扉が閉まっている。
いつからだろう。少なくとも智花たちが来た時には空いていたと思う。「相変わらず閑古鳥が鳴いているな」と思ったのをよく覚えている。その記憶に間違いはないはずである。
ではなぜ?
そんな疑問が溶け切る前に、部屋の扉が開きだした。智花は思わず対岸にあった部屋に入り、扉の陰に隠れる。
これなら空室だと思って気にはしないはずである。なぜ隠れてしまったのかは自分でもよく分からないが「動物的勘」というやつなのだろうか。
「まあ、いいけど……遠慮しなくていいぞ?確かお盆だってあったし、俺一人でも、」
「い、いいえ!そんな!おきになさらず!」
声だった。
聞き覚えがあるものと、聞き覚えがないもの。
聞き覚えがある方は
聞き覚えの無い方は、隙間からその姿を確認しても名前が思い出せなかった。
制服からして藤ヶ崎の三年生なのは間違いがない。多分、見かけたことくらいはあると思う。
小さ目の背に、黒髪ロングでいかにも瑠壱みたいな童貞が好きそうなタイプ。もっとも瑠壱が未だに童貞なのかは智花もあずかり知るところではないのだが、なんとなくそんな気がしている。そして、もっと重要なのが、
「何人いるのよ、あれ……」
件の女子生徒が持っていたトレーには飲み物がこれでもか、というくらいに乗っていた。そのバリエーションは実に豊富で、とても一人で飲む量ではない。二人でもちょっと多すぎる。
「ふーん……」
智花の眉間に、しわが寄った。深く、長く、一度だけ息を吐いた。
別に、瑠壱がどこで何をしていようが関係はない。そんなことは当たり前の話で、理屈としては分かっている。
ただ、人間の感情と理屈というのは時として乖離するものだ。結果として、智花はこの日、最後までずっとご機嫌斜めだった。
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