神による小説

佐倉花梨

第一部分

「神様っていると思う?」


 僕に向けられたと思われるその可愛らしい声は、僕の彼女の声だ。

 一年前の入学したての夏、僕が一目惚れし、彼女が入っているバスケットボール部の活動が終了し、校舎裏で汗まみれの彼女に好きだと告白して、今に至る。

 その時から今まで、僕と彼女は色のない生活をともに送ってきた。恋人には少なくとも一度でもあるだろうピンクのような雰囲気も、向こうは望んでいないらしいから無かったし、青春という二字熟語に含まれる、青のような雰囲気もなかった。でも、彼女に対して倦怠感を覚えたことも、「別れよう」とか言われたことも無い。平凡なっ毎日だった。

 お互いの顔を見ることも少なく、好き嫌い関係なくいつこの関係が消滅してもおかしくない状況。

 僕は彼女のことが好きだからいいけど、彼女が僕のことを好きなのか嫌いなのか分からない。

 勿論、こうやっておなじベットの上にスマホを見ながらゴロゴロしているのだから、嫌いではないと思う。

 僕はアニメを見て、彼女は二つの背中を挟み、何らかのSNSを眺めている。

 僕もSNSは利用しているが、趣味も何もないし、呟くことも特にない。友達も別にほしくない。何かの情報を欲しているわけでもない。ただ感情を外部へ漏らすということだけに使っている。

 それに意味があるかと自問したこともあるが、それに明確な回答があったと聞かれればないと言わざるを得ない。

 彼女がした先ほどの質問は、おそらくそのSNSで見かけたことについて共有したいがために僕へ尋ねたものだろう。

 神様という存在は、所謂人類を超越し、何らかの特殊能力を持った者たちだ。一般的にはそう言われている。

 例えばユダヤ教は神であるヤハウェのみを信仰する一神教だ。ユダヤ教だけでなく、キリスト教やイスラム教はたった一つの神を信仰している。

 それらは周知の事実であり、彼らにとって神を信仰するという行為は普遍的なもの他ならない。

 だが、僕や彼女を含めた無宗教者はどうだろうか。特に日本ではそれに属する人は多く存在する。

 神の恵みを受けたことがないから、「神から許しを得た」とかいう人は、ただの妄想に過ぎないとまで思ってしまう始末だ。

 勿論、神を信仰することに何もおかしいことは無い。もし彼女がキリスト教徒だったとしてもこういう関係になっていたことは間違いないと思うし、イスラム教徒だったらラマダーン月に断食させていた。

 というか、彼女がそうなっていたら僕も同じ宗教に入信していたかもしれない。もっと近しい存在になりたかったから。神という神聖的な存在に向け、いっしょに祈ってみたいから。

 まあ、彼女は無宗教なのだから、そんなことは二度と起こることがないと思う。

 そう、無宗教の彼女が、あんな質問を僕に投げかけたのだ。

 普段なら、無駄になるような会話をすべて廃絶する彼女が、無意義な質問を。

 だけど、そんな珍しいこともあるのだと思い、僕は質問に真面目に答えようと考えた。そうすれば、このくだらない質問も、一センチか二センチ、有意義なものに近づくだろう。


「うーん。神様か。君はどう思うの? まあ、君のことだから神様なんて信じないとは思うけど」


「私は……信じてはいるよ。だって、奇跡とかたまに起こるから」


 想定外な回答だった。無駄なことはすべて廃絶し、正真正銘のエコを掲げて生きている彼女が、まさか神を信じるなんて。


「奇跡って、稀に説明のしようがない、摩訶不思議なことが起こったりするでしょ? 勿論、確率的なことかもしれないけどさ」


 彼女が言う通り、奇跡とは確率的な事象に過ぎない。いつまでもそれを信じて進んでいたら、人間は堕落する。


「だって、最初の生命が生まれる確率は十の四万乗分の一とかでしょ? 頭のいい学者でも、未だに分かっていないことだらけ。『神様が作った』としか言えないよ」


 最初の生命が生まれる確率は、『廃材置き場の上を竜巻が通過した後で、ボーイング747ジェット機が出来上がっているのとおなじ確率』とよく言われる。

 確かにこんな確率だったら、神の関与を疑わずを得ないことも納得できるが……。


「神様じゃないにしても、神様に近しい何かかもしれない」


 背中から、そんな言葉が聞こえてくる。

「そんな量子力学なんかよりももっともっと小さい確率でも、もう一生起こらないにしても、確率的に起こった事象だってことは事実だと思う。分からないことは全部神様が関与してるって決めつけるのは、ただ現実から逃げてることだと思うけどな。どちらにしろ、僕たち一般人が足を踏み入れていい領域じゃないと思う」


「じゃあ、君は神様を信じないってこと?」


 いつの間にか、先ほどより背中から聞こえる声が大きく聞こえる。恐らくこちらに振り返って話しているのだろう。

 僕は再生停止していたアニメの動画プレイヤーをタスク切りし、仰向けに寝転がる。

 彼女の声が僕の右耳にはっきりと反響してくる。


「それは……わからない。すべての事象が確率的とはいえ、神様がいないなんてことにはならないから」


 勝手に決めつけることは邪道だ。いないなんて証明もされていないし、いるなんて証明もされていない。


「じゃあ、どっちかは自分でもわからないんだ」


「うん。明確な答えが出なくてなんかごめん」


「ううん。別に大丈夫。別にそこまで重大な質問でもなかったし」


 やっぱりそうだ。まだ一年くらいしか付き合っていないけど、彼女が重大な以外を口にすることなんて皆無だった。

 そして、彼女も知っているはずだ。僕が神などという、非科学的なものをまったく信じないということ。


「本当に重大なことじゃないの?」


「うん。全然そんなことないから。気にしないで」


「でも、じゃあ、なんで話したの? 君は重大なこと以外は何も話さなかったくせに」


「そんなこと、ないよ。私は君が好きだから、こういうことを共有したいだけ」


 嘘なんて非生産的なこともしなかった筈なのに、どうしたっていうんだ。まあ、慣れてない嘘のようなので、バレバレだが。


「それで、何があったの? 君がそんなこと話すんだったら、きっと何かすごいことがあったんだろうけど」


「な、なんのこと?」


「慣れないことはやめた方がいいと思うよ。バレバレだし。この鈍感な僕でも分かったんだから」


 さて、どうしてあんな質問をしたことについてだが。考えられる可能性が多すぎるな。「親が入信しようと進めてきた」とか、「宗教勧誘が来た」とか、「神頼み以外手段がない状況に置かれている」とか。

 どちらにせよ、僕には対処できっこない問題なのは確かだ。

 まあ、彼女が悩んでいるのならば、僕はそれを聞き何らかのアドバイスをしてやらないといけない。

 相手は、僕が大好きな人だ。放ったらかしになんてできない。


「いいよ。何でも話して。悩みでも愚痴でもいいから」


「……」


 顔を横にして、考えこんでいるみたいだ。話そうか話すまいか、葛藤しているのだろう。


「わかった。話すよ」


「ありがとう」


 彼女は上半身を上げて、視線を僕の目に移す。視線が合うのは久しぶりかもしれない。

 彼女を、あそこまで動かした出来事なのだから、きっと相当なものなのだろう。それこそ、世界が滅亡するとか、そんな高次元なものではないが。


「実はね」


「うん」


 彼女の唇が少し動く。まだ葛藤しているのか、それとも勇気が出ないのか。無理はしないで欲しいが、とても気になる。

 前髪を直すと、くっきりとした黒目が現れる。まるで芸術作品に魂を与えたかのような、美しき少女は、勇気を振り絞って告白した。



「私、人を殺したの」

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