鼓動の音

門前払 勝無

第1話

 僕が産まれた夜は雪が降っていて、父は来なかった。 母は父に瓜二つな僕を憎んだ。

 父は母が僕を産む直前に女を作っていて、母が僕を産婦人科から連れ帰ったその日に出ていった。

 母は僕が成長するに連れて父に似てくるのが堪らなく嫌で、僕が中学を卒業すると母は出ていった。

 僕は祖母の援助を受けながら働いた。新聞配達とコンビニで働きながら僕が育ったアパートで暮らした。


 コンビニの二つ年上の女性に誘われて居酒屋に行った。初めてのビールであった。僕は酔っ払って、そのままその女性とホテルに行った。薄れる意識の中で僕は女性の体温だけを感じていた。女性は僕の身体を使って何度も泣きそうな表情を浮かべていた。


 その後も、その女性とは何度も性行為をした。ほとんどが僕の家であった。


 その女性と会わなくなったのが、その女性が大学進学の為に引っ越したからであった。その女性は僕に「愛してるよ」と何度もいっていたが、僕にはその意味が解らなかった。

 僕は、コンビニの店長の紹介で製本屋で働き出した。製本屋には十歳年上の先輩がいて、よくご飯をごちそうになった。その先輩が高田馬場の風俗に連れていってくれた。


 幸男とレン


 鉄腕アトムのメロディーが僕らの思い出だ。

 ゆっくり乗り込むときも駆け込み乗車するときも鉄腕アトムであった。雨に濡れて二人、はしゃいで帰るときも、喧嘩しながら帰るときも、無言で手を繋いで帰るときも、鉄腕アトムのメロディーが僕らの思い出だ。

 僕は毎晩レンを迎えに行った。僕はレンの好きなドトールのミルクレープを買って、改札のキヨスク前で待っている。ミルクレープのコーヒー味があって、僕はそっちが好きであったが、レンはコーヒーが苦手だから、普通のを買うのである。

 レンは僕を見つけるとニコニコしながら走ってくる。僕の腕に絡み付いて、僕の顔を見上げるのだ。この時、僕は恥ずかしいけどレンをギュッとする。僕とレンの世界は一つであって誰も入れないカプセルなのである。だから、僕達は寒くても暑くても同じ空気を吸うのである。


 レンは実家に住んでいるから夜の十二時までに帰らなくてはいけなくて、僕の家からはいつもタクシーで帰っている。僕達は限られた時間を100%以上で思い会うのである。レンの小指から髪の毛の先まで僕は把握したいと思っている。レンも僕の内臓から目の血管まで知りたいと言ってくれる。

 僕達は完成形である。


 レンのお兄さん


 ある日、レンとウォーキングデッドを観ているとレンの携帯が鳴った。レンは携帯を無視していたが、三回目で電話に出た。


電話の声

 なにやってんだよ!電話出ろよ!早く飯買って帰ってこいよバカヤロウ!


 確かに聞こえた。大きな声であった。


 その日レンは珍しく僕の家に泊まった。一緒にドン・キホーテに日用品とレンの化粧品や部屋着を買いに行った。

 レンは新しい部屋着を着て僕にずっとくっついていた。寝るまでずっとくっついていた。レンを膝枕していると、レンの瞳から涙が流れていた。

 僕はその涙をぬぐり続けた。

 朝は、僕より早くレンが起きていて、朝御飯を作っていてくれた。一緒にご飯を食べて、仕事の準備をしている時にレンのバッグの中に破壊された携帯がチラッと見えた。 僕は、レンに昨日の電話は誰かと聞いた。レンは「お兄ちゃん…」と言っていた。


 夕方、部屋に帰るとレンがカレーを作っていた。

 カレーをかき混ぜるレンを僕はじっと見つめた。


 僕が後ろに立っていることに気付かないままカレーを混ぜている。


 レンの鼓動が激しく鳴っているのが聴こえてきた。

 僕にレンの悲しみが入り込んできた。不安と悲しみと絶望が同時に来て、僕の胸を締め付けてきたのである。

 僕はレンを後ろからそっと抱き締めた。

 レンはカレーをかき混ぜる手を止めて僕に笑顔を向けて「おかえり」と言った。とても痛々しい作り笑いであった…。


 二人でダイアリーオブザデッドを観ながらカレーを食べているとき、レンはわざとらしい会話を永遠と続けてきた。今日は忙しかったか?天気良かったね、カレー美味しい?ゾンビ怖いね…僕は「うん」しか答えない…。

 レンに何があったのか知りたいけど、何を聞いたら良いのか解らない。


「ごめんね…アタシいたら幸男は迷惑だよね」

「なんで」

「だって…いつもと違うから…」

「僕は…レンが、なにか違うと思ってて…でも、どうやったらレンの事を知れるかと思ってたんだよ…ごめん…上手く言えないや…」

「…アタシね…幸男に嘘をついてた…本当は実家じゃなくて…彼氏と住んでるの…でも、幸男が好きで彼とは別れたいの…わがままだよね」

「僕のどこが好きなの?」

「全部…なんな嘘くさいよね……でも、全部が好きなの」

「じゃあ…このまま、ここにいれば良いよ…仕事も辞めてここで暮らせば良いよ」

「いてもいいの?」

「レンが飽きるまでいて良いよ…」

「ありがとう…飽きないよ」

僕達はカレー味のキスをした。


 登り行く二人


 薄暗い部屋の中、僕は目を覚ました。隣にレンが寝ている。レンを見つめていると、レンも目を開けた。レンが抱きついてきた。僕も抱き締める。そして、また眠る。

 お米を炊いている…レン。洗濯物を取り入れる…僕。野菜炒めを作る…僕。洗濯物をたたむ…レン。ご飯を食べる…二人。食後にプリンを食べる僕達はドーンオブザデッドを観る。

 レンは仕事を辞めた。僕は毎月の給料をレンに渡す。

 僕達の生活は安定しているのであった。

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