第33話

 しばらくの間私達の間には夜の静けさが漂っていた。

 空気はヒンヤリとしていて本格的に夏が抜けていった事を実感する。

 冷たさは指先からまるで心の奥まで伝わってくるようだった。


「ねぇ、小鳥遊さん、」

「どうしました?」

「もしだけどさ、俺が小鳥遊さんの欲しい言葉をあげられなかったら小鳥遊さんはどうするの?」

「そうですね···」


 私の中でその答えは多分元からあった。

 だけど、それを言うとなるとどうしても躊躇ってしまう。

 辛くなるのは、苦しくなるのは私ではなく秋山さんだからだ。

 聞かなければきっとそうなる事はないだろう。

 それでも、私は秋山さんに····

 だってそれは私達の小さな約束。

 秋山さんは覚えていないのかもしれないが私は今でも覚えている。

 凛さんに会った時にはつい知らないふりをしてしまったがあの時、あの場所でした約束はずっと私の心に根付いている。

 だから言ってしまう。


「それはきっと終点にですかね····」


 これを聞いたら秋山さんが引くに引けなくなることをある程度わかっていた。

 だから言いたくなかった。

 だから、言ってしまいたかった。


「·······」


 ある程度予想が付いていたのか秋山さんはそこまで驚いたリアクションはしなかった。

 その事に私は少しの安堵と寂しさを覚える。


「驚かないんですか?」

「先生からある程度の事は聞いてたから····」

「あぁ、そう言う事ですか····」


 秋山さんがどんな話をされたかは分からないがあの頃は誰の目でもわかるほど不安定だった。

 だからきっと青山先生もそういう風に話したのだろう。


「それを聞いた時秋山さんはどう思ったんですか?」


 この質問に深い意味はなかった。

 ただ、どうしようもなくその答えが欲しかった。


「うーん、····もったいないなって思ったかな··

せっかく貰った命なんだからさ」

「そう、ですか···」


 その言葉自体は何度も聞いてきた。

 周りの大人たちはそう言って私に何とか生かせようとしていた。

 でも、私が欲しかった言葉はそんな事じゃなかった。

 もったいないのは、産んでくれた両親に申し訳ないのは最初からわかっていたことだ。

 それでも私はこんな世界にもういたくないと思っていたからあの時は死んでしまおうと考えていたのだ。

 私の目に色が映らなくなったのは何も生まれつきのことでは無いのだ。

 あの時、世界から色が消え失せていってしまったその日から私は味も色も感じなくなったのだ。

 だから、私は色を····


「それにさ、」


 悲しい顔をしているであろう私に秋山さんはポツリと呟く。


「こんなに可愛い子が死んじゃうなんてもったいないよ」

「····え?」


 予想外な言葉に私は思わずポカンとする。


「冗談でも面白く無いですよ?」

「別に冗談じゃ····」

「ならもっと面白くないですね」


 きっと秋山さんは純粋な気持ちで言ってくれたのだろう。

 それでも、私の汚れた心はそれをそのままの意味では受け取れない。


「なんで····なんでそんなこと言うんですか?」

「え?」

「可愛い?そうやってみんなして私を特別扱いして!

前に言ったじゃないですか!私は天才とか言われるのは嫌いなんですよ!

アルビノだから、可愛いから、天才だから!

そんな言葉で私を除け者にして!小鳥遊さんはしょうがないって!

私が不安定だったからって他の人よりも優しくして!

私はただ、みんなと同じように居られたら良かったんです!

でも、私が私としてこの世界で生きていくのなら当たり前は手に入らない!

だったらもう····死んでしまった方が····いいじゃないですか···」


 夜の公園には似合わない大きな声が辺りに木霊する。

 お腹の底から言葉を吐き出した。

 声はやがて消えていく。

 私の目から零れた涙は地面を固めていく。

 なのに私の心はグラグラと揺れて今にも崩れ去ってしまいそうだった。

 可愛いも天才も誰もがかけて欲しい言葉なのだ。

 誰だって他の人よりも優れていたいものだ。

 でも、だからこそ知らない。

 その言葉しか貰えなかった人がどう思うのかを。

 孤独、いや、孤高に近いのかもしれない。

 拒絶という壁が私の周りを囲んで見えていたはずの景色を遮る。


「私は····みんなと···一緒がいい····」


 今にも消えてしまいそうな声が何とか形を成して生まれ出てくる。

 そんな小さな揺れは、何かを揺らせたのだろうか。


◇▢◇▢◇


「私は····みんなと···一緒がいい····」


 周りと馴染めないからこそ周りに人という壁を感じる。

 それはきっと酷く辛く苦しい事なんだとその弱々しい声が自分の心を揺らしているのを感じた。

 俺じゃなければならない理由はない。

 なんせ俺は1週間前からよく話すようになっただけのただのクラスメイトだ。

 自分に責任が取れるのかも分からない。

 そして、彼女を助ける方法なんて俺にはこれっぽっちもわからない。

 どんなに優れた医者だって見えない傷は直せないのだから。

 だから俺は泣いてしまった彼女にこう言うしかない。


「小鳥遊さん、もう少しだけ時間をくれない?」


 彼女が生きているならいくらでも考える機会はある。

 そもそもそんなに急げることではない。

 彼女を助けるにしたってその心は長い時間をかけてヒビが入っていたのだから治すためにはもっと長い時間が必要だ。

 それを聞いた小鳥遊さんはゆっくりと俺の方を振り向く。


「····ちょっとだけですよ?」


 その真っ赤な瞳は彼女の異質さを物語っていた。

 他の人とは全然違う。

 多くの人が特別を乞い、特別に扱われた彼女は苦しんでいる。

 正解はない。

 だから間違いもきっとないんだろう。

 なら俺は自分が後悔しない道を選ぶだけだ。


◇▢◇▢◇


「さっきぶりですね、青山先生」

「あれ?白愛ちゃんは?」

「家まですぐ近くなんで流石に1人で帰しましたよ」

「それで?白愛ちゃんは大丈夫そうだった?

いきなり倒れたなんて電話をくれるもんだから私は慌てて来たんだけど」


 俺がその公園でしばらく待ってると現れたのは完全に部屋着のままの青山先生だった。


「まぁ一応は···」

「引っかかる言い方ね。

まぁいいわ、こうして待っててくれたってことは聞きたいことができたんでしょ?もう寒くなってきたんだし手短に済ませましょ」


 青山先生は腕を擦りながら公園に設置されている時計を見ると俺に向き直る。


「美紀のことです」

「美紀ちゃんが何?」

「どうするつもりなんですか?やり方によっては誰も得しないと思いまして」

「世の中そういうものよ」

「肝に銘じて起きますよ。

それで?どうやって対処するつもりなんですか?」

「私はあなた達の先生なの」


 青山先生は突然当たり前のことを言ってくる。

 でも、この時の言葉は普通に受け取るべきじゃないことくらい分かっていた。


「先生だから、先生でいるしかない。

だから、私に出来るのはどう足掻いてもその域を出ない。

だから、私は美紀ちゃん達が白愛ちゃんに手を出しづらくなるように牽制するしかない」

「事前に止めれないんですか?」

「警察と同じよ。証拠がなければ何も出来ない。

むしろ証拠もないのに美紀ちゃん達を止めようとしたら無駄に大事になるかもしれない」

「だから先生でいる内はほとんど何もできないと?」


 青山先生の言い分は最もだ。

 そもそもこの人は第一に俺たち生徒のことを考えてくれている。

 だから、出来ることが限られてしまう。

 それは青山先生が先生だから。

 勿論それは青山先生自信が1番理解しているのだろう。

 だから、凛には事情を話したのだろう。

 まぁそもそも話さなくても知っていそうな感じはするんだが。


「まぁそういうこと、だから秋山くんに頼んだんだよ。

できるだけ多くの時間を白愛ちゃんと過ごしてほしいって」

「そういう意味だったんですね」

「それで?秋山くんは協力してくれるの?」

「どうしましょうかね。

自分に何ができてどうすればいいのか全く分かりません」

「そう、なら存分に悩みなさい。

それがあなた達学生の本文であり、それを守るのが教師の役目なんだから」


 嫌でも時間は過ぎていく。

 そう遠くない内に俺は大きな決断をしているだろう。

 北条祭を前に俺はそう心に思う。


 そして、北条祭までの2週間は静かにそして確実に幕を上げ始める。

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