3.5章 5話 本の山に埋もれた青年

 俺は休日になると昼頃まで寝ている。夏休みに入ってからはずっとその生活だったのだけど、今日は朝の9時から多田篠公園で子供の相手をしている。


「お兄ちゃん。いつでも良いよ」


 そう叫ぶ赤ずきんの手には、おもちゃ屋さんで購入した鉄砲が握られている。その鉄砲から飛ばされる弾は、柔らかい素材が先に取り付けられている棒だ。

 

 俺達はオオカミ撃退訓練と言う名の遊びをしている。


 ルールは1人のオオカミ役と複数の狩人役に分かれて追いかけっこをして、捕まえられた狩人が次のオオカミになる。

 狩人は4発の弾と鉄砲を持っていて、オオカミはその弾に当たると10秒間その場で停止する。弾の補充はオオカミが交代した時に行われる。


 本当にオオカミ撃退訓練になるのかどうか分からないけど、赤ずきんがしたいと言う事に付き合って満足させてやるしか、俺が早く解放される術はない。

 

 今の俺はオオカミ役で、木陰から飛び出したらスタートだ。

 タイミングを計る為に、少しだけ顔を出して赤ずきん達の立ち位置を確認する。


 一番近い場所に赤ずきんがいて、その少し離れた場所にタンラがいる。

 そしてどういう訳か、タンラの近くには【ギャル】の加藤と、【修道院】のサングレースまで銃を構えてこちらを見ている。


 タンラに関しては、俺の家に泊まっていたから、その流れで付き合ってもらっているのだけど、加藤とサングレースは俺達3人が遊んでいるところに再び現れて、一緒に遊ぶ事となった。

 

今は午前中だぞ。2人ともする事が無いのか?


 そう聞いたみたところ、加藤は「あたしの友達はバイトだって。彼氏と一緒にね。夏休み中にお金を貯めて、一緒に旅行するらしい。後は彼氏と遊びに行くとか色々だね」と眩しい青春を聞かされ、サングレースからは「今の私に手伝える事がありませんから。むしろ邪魔になってしまいます」といたたまれない事を言われた。

 

 無下に断る事も出来ず、俺はおもちゃの銃を2人分余計に買う羽目になってしまった。


「あいっち、早く出て来ないと逃げちゃうぞ?」


「分かった。待ってくれ」


 ため息をついてから木の後ろから体を出すと、4発の弾が俺の顔に命中した。笑う加藤に頭を下げるサングレース、「10秒ね」と言って逃げる赤ずきんに、「気が緩んでいるよ」と厳しい事を言うタンラ。


 意外と痛いんだぞ。それよりも4人とも命中精度が高過ぎないか。

 顔をさすりながら10秒待った。

 

 こうしてオオカミ役を変えながら、オオカミ撃退作戦は3時間続き、時間は12時を過ぎた頃だ。


 既に疲労で動きたくない。

 

 みんなどれだけ元気なんだよ。

 運動をしているイメージの無い加藤ですら、まだまだ体力が十分に残っているようで、低い声で「お前を襲ってやる」と威嚇をしながら両手を左右いっぱいに広げて、オオカミ役になりきっている。

 

 加藤は捕まえられないギリギリの速さで3人を追いかけて、楽しませようとしているのが伝わってくる。

 俺がオオカミ役になった時は、早く狩人役になって休みたい一心で、全力で追いかけていた。


 俺と違ってとても良い人なのだろう。


 まあ俺は動くたびに弾に当たっていたから、中々交代は出来なかったんだけどな。それに比べて加藤の身のこなしは凄い。3人からの弾をギリギリで避けて、残り1発ずつになった今まで、まだ1発たりとも当たっていない。


 そんな中、俺が何をしているのかと言うと、人の陰に隠れるようにして机付きの木製ベンチに座って休憩をしている。

 

 チラリとこちらを見た加藤だが、小さく手を振ってから赤ずきんを追いかけていった。本当に良い人だ。

 これで暫くは休憩が出来そうだ。


 俺は安心して机に両肘を下ろすと、前に座っている青年が顔を上げてこちらを見る。


 木製ベンチに座っているのは俺だけじゃない。俺達が多田篠公園に来た時から、既に座っていた青年だ。俺は相席をさせてもらっている。


 その青年は俺よりも少し年上だろう。特徴的な服装や髪形をしているわけではない。どこにでもいそうな至って平凡そうな男性だ。

 

 その青年が何をしているのか。それは机の上に山のように積まれた分厚い本にある。その本は装丁が様々で、無地で簡素な物から動物の皮で作られていそうな禍々しい物まである。男性は朝からずっとその本達を、レポート用紙に書き写している。

 

 本の内容は……、全く読めない。

 どこか外国の文字がびっしりと敷き詰められている。


 休憩中に本を借りて時間をつぶそうと考えていたけど、思惑が外れてしまった。

 他に時間を潰せそうな事は、会話ぐらいしかないか。


 俺は青年と目を合わせる。


「難しそうな本ですね。何が書かれているんですか?」


 青年は手元の本に目を落とすと、小さく口角を上げた。


「僕にも分からないんだ。君は読めるかい?」


 そう言って青年は手を止めて積まれた本から1冊を、俺に差し出してきた。

その本の装丁は薄汚れた白色で、どうやら皮で出来ているようだ。


 なんだか気味が悪いから受け取りたくないけど、ここで断ると暇つぶし以前に追い出されそうだから、指2本で受け取った。

 サラサラとした感触だ。


 本を机上に置いて開いて見るけど、これもやはり何が書かれているか分からない。アラビア語がこのような形だったような気がする。

 

 更にページをめくっていくと絵が描かれている箇所もある。5角形の魔法時のような模様や、人と人が向かい合って何かをする手順らしきもの等様々であるが、オカルトっぽいという以外に読み解けない。

 

 もしかするとクラスメイトの中には読める人がいるかもしれないけど、わざわざ追及をするものでもないだろう。

 大人しく本を閉じて青年に返した。


「俺にはさっぱりです。絵を見る限りでは面白そうな事が書かれていると思うのですが、あなたも読めないのならお手上げですね」


 青年は本を受け取ると、じっと俺の顔を見る。青年と見つめ合っていると何だか恥ずかしくなって目をそらすと、青年は本を山の上に置いて再び書き写して始めた。


 会話が終わってしまった。


「えっと、先程から本を写していますけど、何か理由とかあるんですか? 借りた本を後で解読するとかですか?」


 青年から答えが返ってこない。


「それならコピーすれば良いですね。後は何でしょうか?」


 青年は手の動きを止めた後、「それはね」と口を開いてから手を動かす。


「自分の役割はこの本を解読する事では無くて、写す事にあるんだよ。写経って知っているかい?」


「般若心経を写す仏教の修行であっていますか?」


「概ねそうだね。般若心経でなくてもいいんだけどね。写経はそれをもって精神集中をして、自分を見つめなおし、心の安らぎを得る。自分はこの本を書き写すことで、精神を集中させ、そして深淵を覗き込む」


 青年が顔を上げて見せた目には鋭さが加えられ、威圧感をはらんでいる。その眼力に圧倒されかけたその時、青年は力を抜いて微笑んだ。


「なんてね。少し格好をつけすぎたかな。自分がしているのは宿題みたいなものさ。だから自分の手で写さないといけないんだよ。今までの行いで負うべき試練という事かな」


「何かしたんですか?」


「何もしなかったからと言った方が正しいかな。

 何にせよ自分は何が書かれているか分からないこの本の山を全て写さなくてはならない。これはきっと光栄なのだろうけど、自分には荷が勝ち過ぎているような気がするよ」


「それでは邪魔をしてしまいましたか。すみません」


「むしろ助かったよ。頭を使わずに本を写すというのは、とても精神が削られて本に吸い込まれそうになる。

 君と話す事で気が紛れるから、自分としては感謝を言いたい。ありがとう」


「いえいえ、こちらこそ。子供の相手に疲れてしまって、良い休憩になります」


「そうかい。でも良いのかい? その子供が恨めしそうに君を見ているけれど」


 青年はそう言って俺の隣に目線を送る。その先には赤ずきんが俺を見上げていた。


「もう、お兄ちゃん。こんなところでさぼったらダメだよ。はいタッチ。お兄ちゃんが次のオオカミ役ね」


 赤ずきんは椅子に置いていた俺の銃を掴むと、加藤達の元に走っていく。


「すいません。見つかってしまったので失礼します」


「そうだね。僕はしばらくここにいる。君もそうだろ。だからいつでも来てくれ」


「はい。その時は宜しくお願いします」


 青年に一礼をしてからベンチを後にする。


 また追いかけっこが始まるのか……。何だか憂鬱な気持ちになってきた。

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