3章 9話 粗忽長屋

 俺たちを『蛇含草』に巻き込んだ2人は、溶けて話を聞けなくなった。こうなってしまっては居酒屋に長居をしても仕方が無いと、俺達3人は急いで店を出た。


「浦島の知っている電話番号の中に、クラスメイトが1人もいないし、安長にいたっては携帯電話を持っていない。もう少しクラスメイトと交流を図ってくれよ」


「俺が持ったのは最近なんだ。彼らに持てとしつこく言われてね」


「私は話す相手がいませんから」


 自分だけで完結している人はこれだから困る。


 他人に合わせる為の携帯電話というツールを持つ必要ないのだろう。手に負えないのは、クラスメイトの殆どが似たような理由で持っていないと言っている事だ。


 連絡手段を持ってくれ。こんな時にとても困る。


「浦島は後で連絡先交換をしよう。安長は俺が話し相手になるから持ってくれ。もし分からなかったら、俺が付き添うから」


「いいだろう。この騒動が終わったら交換しよう」


「ふふふ、よろしくお願いします。楽しみが増えました。初めての相手が委員長ですか。とても幸せに感じます」


 問題は俺の携帯電話が溶けてしまった事だけど、これは後で何とかなるだろう。

2人の連絡先を聞けるのは僥倖だが、今は騒動を片付けなければならない。


「それで居酒屋を出たけど、どこに向かうつもりだ?」


「多田篠公園にあるケイの家だ。電話で助けを求められないのなら、直接頼る。俺が家を知っているのはケイだけだ」


 安長の力は凄いけど、今回の敵は力だけで倒せる相手ではない。敵が俺達を落語の役者にするつもりなら、特殊な立場の人の頭数が欲しい。落語の登場人物を再現しやすくなれば、回避方法が増える。

 

 目的地は多田篠公園。

俺が走り出そうとすると、突然肩を掴まれた。そこにいたのは息を切らせた男性だ。


「おい、ぼさっとするんじゃね。おめえ死んでいるぞ」


 突然の意味不明な言葉に戸惑っていると、男性はまくし立てるように言う。


「まったくお前はしょうがないな。ほらこっちへ来てみな。おめえの死体があるんだ。そそっかしいやつだなあ。死んだことも忘れて帰ってしまったんだな。おめえらしいなあ」


 男性の腕を払いのける。絶対に何かがある。あまりにも展開が不自然だ。


「行くわけ無いだろ」


 その男性から離れようと足を出そうとするが、何故がその男性が引っ張っていた方向に足を踏み出してしまった。


「なに!」


「ほら早くいくぞ。ぼやぼやしていたら死体が腐っちまう。自分の物は自分で片付けないとな」


 男性に引っ張られると、どういう訳から付いていこうと足を出してしまう。


「委員長! 私が」


 安長が手を振ると、マンホールが開いて下水道から蛇のような水の塊が飛び出してきた。


「安長、待て」


 俺の声に反応して、その水の塊が空中で静止した。


「無理やり終わらされた何が起こるのか分からない。だから俺たちの手で完遂させる」


 安長が頷くと水の塊が下水道に帰っていった。


「なんだい、なんだい熊。知らない間に大道芸人と仲良くなったのか。それよりもだ。今はおまえの死体の方が一大事だ。今日ばかりは急いでくれよ」


 今は目の前の落語に乗るしかない。


「俺たちは恋人同士じゃないんだ。心配しないでも自分の事だ。見に行くから案内してくれ」


「その気があるなら構わねえ。さあ、付いてきな」


 男は度々振り返りながら細い路地を歩いていくので、その後に続く。


男は「ゆうべはどうしていた?」とか、「死んだのを忘れて帰っちまいやがって」と落語の内容を消化していく。


 俺が消化していると分かるのは、この男が再現しようとしている落語が何である見当が付いているからだ。


『粗忽長屋』


 それが目の前で再現されている落語の演目だ。その内容はこうだ。


 ある日、マメは人だかりを発見した。

その中心には行き倒れた男がいた。熊はその行き倒れを、隣に住む熊である勘違いをした。まさに粗忽である。

マメは急いで熊を呼びに行く。熊は話を聞くと、もしかすると自分は死んでいるのではないかと信じ始める。

そして熊は自分の死体を取りに行く事になる、という噺だ。


 この落語はコメディであり、登場人物が不幸な目に会う事は無い。だからこの男に従って落語を再現したところで、別段被害は無いように思える。


 だが居酒屋で明らかな敵意を向けられた。


 そうなると単純なコメディで終わらないだろう。


 『粗忽長屋』で敵意を向けられるとは考えていなかった。

 マメと思われる男から視線は外さずに、安長に小声で相談を持ち掛ける。


 安長は小さく頷くと、「承知しました。気を付けてくださいね」と返した。


「ああ。上手くいくかは分からないけどな」


「委員長なら乗り越えられますよ」


「プレッシャーだな。もし……」


 安長と話していると、マメが振りむこうとするので口を止めた。


「何をさっきから言ってるんでえ。遂にあの世のおじいでも見えたのかい? だったら急がねえとな。立つ鳥跡を濁さずってなあ。そんな事を言っている内に、目的地が見えて来たぜ。あそこの寺の前に人だかりが出来ているだろ」


 マメが指差す方向には広い敷地を持つ寺があり、その傍を川が流れている。俺達が立つこの道をほんの数分歩けば橋が架かっている筈だ。

 橋を渡って暫く歩くと多田篠公園があるのだが、今は『粗忽長屋』に付き合わなければならない。


 寺の前には人だかりがあって、その足の隙間から誰かが倒れているのが見える。マメは俺がそれを見たのを確認すると、俺の手を取ると走り出した。


「道を開けてくれ。件の死体を忘れた粗忽な野郎を連れてきた。そこのけそこのけ」


 マメが人だかりの間を無理やりにかき分けて進み、俺もその後を付いていくと中心部に到達した。そこには1人の男が倒れていて、その顔は驚くほどに俺に似ている。


「さあ、よく見てくれ。これがおめえじゃねえってんなら、何だっていうんだ。まったく粗忽な奴だぜ。なんだいこんな時にサイレンが近づいてきてやがる。早くしねえと他の奴に待っていかれちまう。さあ早く担いで帰るぞ」


 マメが俺の背中を強めに押して前に行かせようとする。

 

 目の前には俺そっくりな死体、そして俺は熊役をさせられている。

 

 そう言う事か。

 

 この噺は瓜二つの死者と生者が存在する。そしてこの噺はその2者が出会う事でサゲへと向かっていく。


 目の前の男は役割を反転させる事で、俺を死者にするつもりだ。


 この噺は最後に死体を担いて終わる。つまりは最後に担がれた方が死人となる。結果はそこで確定する。

 

 俺と瓜二つの男に、担がれるわけにはいかない。

 

「救急車が来ているのなら、そのまま運んでもらえば問題ないと思うのだけど」


「何言ってやがるんでえ。自分の不始末を他人に押し付けてはいけねえよ。それに同じ顔が並んだら、救急隊員も手を滑らせるってもんだ。

 気味悪いのはわかるけど、覚悟を決める時だ」


 と言うマメは俺を押して、俺と瓜二つの男に近づける。マメの力は強く、腕を振り回そうにも手を上げた瞬間に捕まれる。足を踏ん張ってもいとも簡単に押し出される。

 俺と瓜二つの男にどんどん近づけられていく。後2メートルほどの距離、それが俺の命の距離になっている。


「でも不気味じゃないか。マメが運んでくれよ」


 俺はひ弱な高校生だ。力や体術では太刀打ちできない。きっと俺と瓜二つの男に触った瞬間、組み伏せられて終わるだろう。だから振り返って、少し遅れて人混みを抜けて来た安長に目線を送る。


 安長は問答を繰り返す俺とマメの横を走り抜け、俺と瓜二つの男の顔に触れたる。すると、死者役だった男は目を開き安長の手を掴む。


 その男は眉根を寄せて顔を動かして俺を見ると、舌打ちをする。


 どうやら俺が触ったと勘違いをして目を開いてしまったようだ。


 男は起き上がり安長を野次馬の方へ投げ飛ばすと、俺の方へ前傾姿勢で向かってくる。その男の姿を見たマメは「まさか!」と驚愕の声を上げ、俺を掴んでいた力を弱めた。


 俺がマメの手を振りほどくと、浦島がマメの背中を蹴り押した。マメはよろけながら向かってくる男と衝突する。


 体勢を崩して更に前のめりになった男の上に、マメ役の男が覆いかぶさる。


 間髪を入れず浦島が男の前に立つと携帯電話を差し出した。


 男は咄嗟に「え! 俺は、誰だ?」と口をついてしまう。男は言ってから気が付いたようで、かぶさるマメ役の男を見上げる。


「くそ!」と呟いたマメ役の男共々、力なく地面に倒れ込んだ。


 顔をゆがませて俺達を睨む男の顔は、マメ役の男とそっくりの形となっていた。そして徐々に元の俺に似た顔に戻っていく。


「成功したのか?」


 安長が肩についた砂を払いながら、「反応は消失しました。委員長の作戦通りですね」と微笑む。


 落語が再現されるこの現象は、ある程度の融通が利くようになっている。だからこそ再現できるのだ。


 『粗忽長屋』は2人の顔が似た男が必要だ。


 だから倒れている男の顔が俺のもので無いのなら、俺が熊役になる事は無い。水を操れる安長が倒れている男の顔の水分を操って、一時的にでもマメ役の男のものに変えてもらい、熊役を交代した。


 そして男は自分の顔に似た、マメ役だった男を担いだ状態で、『粗忽長屋』のサゲである『俺はどこの誰だろう』に近いセリフ言った事で、『粗忽長屋』の演目は終了した。

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