★夏至祭 Ⅱ(英栱英)
※性描写有
※キャラクターによる差別的発言有(作者の思想を反映させたものではありません)
初めて肌を合わせた一夜は、おどろくほどゆっくりと明けた。
栱梛はぞっとするほどいつも通り、英の世話を焼こうとした。大きな掌は英の新しい下着をつかみ、ベッドの傍らに置く。
昨夜、──栱梛の口の中で射精したあと、波が引くようにすぅっと冷めていく熱のなかで、服を投げつけながら「キッモ、帰れよ」と言ったのに、帰っていなかったらしい。
恐らく、いや確実に栱梛が掃除したのだろう床の上に、背骨まわりの痛みを覚えながら横たわっていると「ほら、飲め」とミネラルウォーターを差し出された。惰性で受け取り、三口ほど飲んでしまってから、はっと気づいて口を離して乱暴に拭いた。
「──マジでありえねえ、栱梛ってずっと俺のことそういう目で見てたわけ?」
「いや、それはない」
真顔で首を振る栱梛に、英はへろへろの手つきでペットボトルを投げる。ぺこん、と間のぬけた音を立て、だいぶ手前に落っこちた。
「無理があんだろ! そのケがなくて急に野郎のチンコフェラできるかってんだよ!」
「できたんだよ」
少し困ったように、しかし真剣な顔で返してきた栱梛の頭を思わずはたいてしまった。意に介さず、栱梛は膝もとにころころ転がってきたペットボトルを、拾い上げて冷蔵庫へ戻しに行った。
「──つか、それお前も一緒だからな。
そのケがなくて、急に男にフェラしろとか言わねえから」
「あぁ!? 俺は絶対できるわけねえこの世で一番キモいこととして言ったんだっつの! 比喩だ、ひーゆ!」
もうこのベッド寝れねえ、と毒を吐いて、おりようと床についた脚がかくんと折れて強かに膝を打つ。いたっ、と声が出て、まるで言うことを聞かない下半身にさあっと血の気が失せた。昨日、どこまでして、させたんだっけ。酔いで濁った記憶に、追い討ちをかけるように栱梛が口を開いた。
「さっき、それはないって言ったけどさ」
なんのことだよ、と睨む視線で問おうとして、はっと思い至る。──『栱梛ってずっと俺のことそういう目で見てたわけ?』
栱梛はまっすぐに、ただまっすぐに英の両眼を見つめていた。こちらを貫く闇の筒のような──真っ黒い瞳の孔のおそろしさを、青い目の英は初めて思い知ったのだった。
「俺、英以外の男とああいうことしようとは思えないわ」
九月の夜だった。
闇の中で、雨が降る音が響いていた。
月夜の雨は青く、ブラインドの落とす蒼い影と交差するように幽かに降り続けていた。
ぴちゃん、と水が落ちる。
男の背中、隆起する背筋の陰影が、汗で湿ってはりついたTシャツのせいではっきりと際立って見える。腋から広がる汗の染みに、どうしてこんなに生々しい肉欲をそそられるのだろう。
厚い舌がねっとりと熱くて、ねぶるという言葉の温度感を正しく知る。あー、男とヤってる、気持ち
もろい風船に水を注ぐように、頭のなかで宙ぶらりんに揺れて膨れていく快楽に身を委ねるうち、体があったかい海にとぷんと飲み込まれて現実が遠くなる。
あったかい、水と、空気。
なつかしい、停滞の気配。
水のなかに、いらないものまで溶けだして、血でぐらぐら煮立った頭のなかにふっと浸透してくる。
──英の母は看護師をしていて、一人でも生きていける女だったが、一人でも子育てができる女ではなかった。
那覇の国際通り、熱気に凝ったあの苦しげな賑わい、英にとっての幼少期の記憶はあの透明なくせ水飴のように質量をもってまとわりついてくる亜熱帯の澱んだ空気そのものだった。
母親は恐らく、その空気のなかで米兵と遊びの亜熱帯寝台夜話を過ごし、そして望まずに英を
赤ん坊の髪は、昏い金色だった。
児相が介入したという話は知らないし、少なくとも英は母親に暴力を振るわれたり、
それでも、愛されたという気持ちはない。
祖母の記憶もない。英が高校生のとき、訃報が遠い親戚から電話で告げられた。それだけだった。
栱梛ぁ、と呼ぶと、うがいをしに洗面所のほうへ行こうとしていた栱梛が「…なんだ」と話しにくそうに云う。あ、舐めさせてたっけ、と正気に返ってちょっと気色悪く思いながら「俺のばーちゃん死んだのっていつだっけ」
「あ? たしか─高二の冬とかだろ。ほら、初めて校内で模試があったけど、お前サボったじゃん。あのあたり」
こともなげに答える栱梛の、汗ばんだ額やこめかみの潮くささが、過去を塗りつぶしていく気がした。
英のなかに溜まっていくはずのよどんだ過去が、英の軽い肉体を素通りして、栱梛のなかに溜まっていく。英の母親の誕生日も、英の部屋のコンドームの場所も、栱梛に訊けばわかる。
その蓄積された、あったかいなにかがたぷんと揺れる幻聴を、こうして腥く絡まり合うたびに聞く。
そして、二度目の夏至がきた。
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