緑色のソファー

 僕らは体育館を後にして、溝口さんがいるであろう美術教室へ向かう。

 それにしても、妹たちは部外者なのに学校に居ても、特に何も言われたりしないな。

 さっきも柔道部顧問の先生に、この件については指摘されなかった。


 校舎内を移動して美術教室の扉の前に来た。

 扉を開ける前から、絵の具の独特な臭いが鼻につく。

 僕は扉をノックして開けた。

 すると中には、案の定、溝口さんがいた。

 その傍らには、半分ピンクで半分金髪の派手な髪色の女子生徒=蜂須賀さんが椅子に座り、イーゼルに載せたにキャンバスに何やら絵を描いていた。

 蜂須賀さん以外には、美術部の生徒はいないようだ。


 蜂須賀さんは絵を描くのに集中しているのか、僕らのほうを振り返ることはしなかった。

 蜂須賀さんが書いているのは、彼女の前の机の上に置いてある、リンゴとバナナと何かの瓶。

 僕はキャンバスを覗き込んだ。

 上手い。

 さすが美術部。


 5分程、見物していると、蜂須賀さんは筆をおいて休憩に入る。

 彼女は振り返って僕らを見た。

「誰かと思えば、武田君と織田さんに…、あとは誰?」


 僕は妹とその友達を1人1人紹介して、それぞれが挨拶を交わす。


「絵、上手いね」

 僕は褒めた。


「まあまあの出来だね」

 蜂須賀さんはちょっと納得いってない感じ。


「そうなの?」


「もう少し仕上げに時間をかけようと思ってね。春休みは毎日、ここに来る予定だよ」


「大変だね」


「まあね。ほかにも色々やりたいことあるんだけど、この絵はコンクールに出す作品だから、手を抜けないんだ」


「コンクール以外にも、絵を描いたりするんだ?」


「うん。マンガとか」


「え? マンガ?」


「そうそう、同人マンガだよ。漫研にもたまに顔を出しているからね」


「へー。どんなマンガを描いているの?」


「去年の学園祭で売ったやつなら、そこの棚にあるよ」

 蜂須賀さんは教室の奥の棚を指さした。


「学園祭?」

 ちょっと興味があったので、僕は棚の方に向う。

 そして、棚に並べてある数冊の同人マンガを見る。


「あっ!」

 見覚えのあるマンガがあったので、思わず声が出た。

 僕はそれを手に取った。


『距離0.01mm』


 表紙に書かれている、原作と作画の名前を見た。


 原作:アンナ・鶴ゲーネフ

 作画:バタフライ・ビー


「これ、持ってるよ!」


「そうなんだ。買ってくれたんだね」

 基本無表情の蜂須賀さんだが、今は、ちょっと嬉しそうにほほ笑んだ。


「ということは、“バタフライ・ビー” が蜂須賀さんのペンネーム?」


「そう。蜂須賀の蜂で“ビー”でしょ。名前が蝶々だから、“バタフライ”」


「蜂須賀蝶々って名前なんだ?」


「そうだよ、知らなかった?」


「蜂須賀さんの下の名前まで知らなかったよ」

 思わぬところで、『距離0.01mm』の謎が解けたな。


 妹が近づいてきて、僕が持っていた『距離0.01mm』を奪い取った。

「あっ」

 エロい作品だけど、まあ、良いか。

 最近は普通の少女漫画でも過激なものがあるらしいからな。

 妹、前田さんは同人マンガを回し読みし始めた。


 一方、溝口さんは、蜂須賀さん対して絵や絵の具について色々質問を始めた。

 僕は、絵には興味がないので、その場を離れた。

 雪乃は?とあたりを見回すと、彼女は教室の壁際に置いてある緑色のソファーに座って休んでいた。

 僕は彼女の隣に座り、溝口さんと蜂須賀さんの会話が終わるのを待つことにした。

 それにしても、こんなところにソファーがあるとは…?


 蜂須賀さんと溝口さんの話を終わると僕は、ソファーに腰かけたまま尋ねた。

「何で、ここにソファーが置いてあるの?」


「休んだり、昼寝したりするので使っているよ。木の椅子に長い間座っていると、お尻も痛くなるし、疲れるからね。」


「へー」


「それに、美術室に緑色のソファーがあるのは、当たり前だよ」


「え? 当たり前なの?」


「そうだよ。知らなかった?」


 知るわけない。


 蜂須賀さんは再び絵を描き始めるというので、僕らは挨拶をして美術教室を後にする。

 そして、ショートムービーの最後のシーンを撮影をする空き教室に向かう。


 それにしても、美術室に緑色のソファーがあるのは、本当に当たり前なんだろうか?

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