046 決着

「いいの、カティちゃん」


「………」



 淡い光と涙で包まれて、今にも混ざり溶けて消えてしまいそうな二人を眺めながら、エルメェスがわたしに問いかける。



「……いいのよ。あの二人の邪魔は、できないわ」


「結果、どういう風に転んだとしても?」


「……選ぶのは、彼よ。わたしじゃない」


「あーくんの彼女として、それは許せるの?」


「……エル、知っていたの?」


「当然。二人を見てればわかるよ。——だから、あの子が暴走した」



 当初の印象から打って変わり、まるで聖母のように微笑み、慈愛の目をアルマに捧ぐシャルル。

 彼の愛を、瞳を、何がなんでも振り向かせようとしていた卑しい女という印象は、既にない。

 


「ずっと好きだったの。純粋に。壊れてしまうほどに、あーくんを求めてた。勇者パーティを追放されたという噂が、あの子の枷をズタズタに壊した。トドメは二人がくっついたこと」


「……あなたはいいの?」


「私?」



 とぼけるように小首をかしげるエルメェス。どこか掴み所のない、雲のような彼女は穏やかな様相を崩さずに、わたしを視た。



「わたしが言うのはアレだけど……あなたはいいの?」


「んー。それはあなた次第かも」


「わたし……?」


「あの子が選んだ〝先輩想いの困った後輩〟という道。カティちゃんの〝選ばれた正妻ポジション〟。どちらも神聖で、犯しがたい純粋な愛。そこに踏み入り勝利をもぎ取るには、刹那の穴をつくことぐらい——」


「……つまり、どういうこと?」


「逃げ道、だよ」


「逃げ道?」


「二人に堪えられなくて、困った時に頼りになる先輩」



 なるほど、と頷いた。

 実に彼女らしい性癖だった。



「私もね、あーくん以外の男と結ばれるつもりはないの。彼に選ばれないのなら、孤独なままでいい。都合のいい女でもいい。体だけの関係でもいい。カティちゃんがあーくんをモノにできないのなら、シャルが一歩退き続けているのなら……隙を見せた瞬間に掻っ攫う」



 至極真面目に、感情の機微もなく、当たり前のことを当たり前にやる——目前の彼女なら本当にやりかねないという凄みを、メガネの奥から感じた。



「だからあーくんのこと、よろしくね。誰にも隙を見せちゃダメだよ。彼、すごくモテるから。目移りできないくらい誘惑し続けてないと、あっという間に落とすよ」


「……助言、感謝するわ」


「ん。先輩だからね」



 そう言って、エルメェスは口角を釣り上げた。







「——いやいや、本当に攻略してくれるとは思わなかったよ」



 主を失った最終階層のフロアに、複数の拍手が響いた。

 


「しかし、悲しいかな。これで僕は、名誉を守るために道を踏み外すことになるワケだが」



 声の主——オルヴィアンシは、貼り付けた笑みとは対局に位置する感情を瞳に宿して、槍をす。

 標的は、この場において最も余裕のある人物……エルメェスへと向いていた。



「なぜ……あなたがここに……? オルヴィアンシ……っ」


「やあカティ。お疲れ様、よく踏破してくれた。これで僕たちのクランは更なるステップへと進める」


「……それは構わないわ。わたしたちではなく、あなたたちクランで踏破したと言いふらしても構わない」


「おいおい……〝斬撃公ヘル・クォーツ〟ともあろう副団長サマが、命乞いかい? それも当然か。キミは疲労に溺れ、あっちはズタボロ。残ったのは後衛二人で、一人は手が離せない」



 舐るように、嘲るように状況を分析するオルヴィアンシ。その背後に集まっていた団員たちが、卑しく唇を舐める。



「この数相手に、そのコンディション。捌き切れるかい?」


「っ——」



 見た目はシャルルのおかげで取り繕えてはいる。しかし、疲労までは癒せない。

 奮戦していたエルメェスも表情は崩していないものの、これまで消費してきた魔力は相当なもののはず。

 この人数を、しかも経験豊富な歴戦の強者を、倒せるだけの余力はなかった。


 

 いや、たとえ万全の状況だったとしても、勝率は危うい。

 せめて、アルマがいてくれれば——



「殺さないよ。安心してほしい、カティ」



 優しい声音。

 そのあまりにも場違いな声が、カティアを困惑させた。



「え……?」



 しかし、それも一瞬のこと。

 醜い欲望をさらけ出したオルヴィアンシが、牙を剥く。



「そこで倒れてるボロ雑巾の四肢を切り落とした後、そいつの目の前でキミたちを辱めるって決めてるから」


「——下衆ね」


「キミに割いた労力を考えれば、当然の見返りさ。——さあ、蹂躙を始めよう。逃げても構わないよ。むしろそうしてくれた方が興奮度が高まる」


「……ッ」



 そして、オルヴィアンシの号令を受けて地を駆け出す団員たち。

 理性を失った獣のように涎を垂らして、カティアへ——エルメェスへ——シャルルへと手を伸ばす。



「あははははははははははははッッッ!!!!」



 絶声を響かせて——オルヴィアンシは、酔い痴れる。



 己がクランを守れたこと。

 己がクランが更なる高みへ近づいたこと。

 己が最後まで拒んでいた枷を解き放った快感に、胸が痺れる。



 もっと早くこうしていればよかった。

 いいや、このタイミングだからこそ正しい。

 


「母さん……父さん。僕は、クランを———」



 今は亡き両親へ、報告するように祈った刹那——。

 視界を覆うほどの赤が身に降りかかった。



「……? なん……だ…………これは」



 全身に散った赤。

 夥しい量の液体が、自身を染め上げる。



「なんだ、これは。おい、誰か説明し——」



 そして、気がつく。

 二〇名はいた団員たちが、どこにもいないことを。



「……は?」



 その代わりに、一人の男が立っていた。

 ほぼ半裸だ。

 幾重もの傷跡と鍛え抜かれた良質な筋肉を搭載した、一人の男。

 つい先程まで、そこで倒れていたはずの、男だ。



 幽鬼のように立つ男の周囲——ほとばしり黒紫色の稲妻が空間を歪ませていた。

 その奥——蠢く歪みから、双頭の竜が威光を走らせる。

 


「ヒィ———ぁぁぁぁッ!!?」



 オルヴィアンシの右腕が吹き飛ぶ。

 何をされたのかもわからない。理解できない。

 双頭の竜が——。

 なんで、こんなところに。

 最終階層のボスは、倒されたはずではなかったのか……?



「……ぁ、ぁ、ぁぁッ」



 悲鳴すら上げられない。

 名状し難き恐怖に肉体カラダがすくみ上がり、指一本まともに動かせない。

 まるで金縛りにあったかのように。

 双竜が、黄金の瞳を輝かせる。



「おまえに関してはもう、かける言葉が何もねえ」


「———」



 歪みが収束されていく。

 それはちょうど、双頭の竜が開く顎門アギトの奥底。



 螺旋する暴威は、さながら竜種の伊吹ドラゴン・ブレスのように——



く逝ね——それが最善だ」



 言葉とともに放たれた竜の砲撃が、黒紫を爆ぜさせオルヴィアンシを呑み込む。

 進行方向上の通路を、壁を、魔物をものともせず屠り、一瞬の抵抗すら許さず殲滅されていく。



 やがて——残ったのはただの無。

 円形に開かれた穴の奥には、ただの暗闇が広がっているだけだった。


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