2、契約と誓約



マリアとベトニアチェルが魔除科に向かっていた頃、

学園内にあるとある場所では不穏な情報が慌ただしく飛び交っていた。


「なぜ監視を怠った、担当は何をしていたのだ!」


薄暗い室内で皺だらけの老人が叫んでいる。

しかしその叱咤も聞こえないくらい、周囲には焦燥と怒号が溢れていた。


「封印が解かれたのはいつだ、誰がやったのか見当は付かんのか!」

「それよりも奴はどこに消えたんだ。早く見つけなければ皆殺しにされるぞ」


職員たちは血眼になりながら学園を監視する魔晶画面を覗き込んでいた。


ここは国立退魔学園の隠密機関の一つ、

危険物管理課。

学園の一部の人間しか知らないような特殊な情報や物品の管理を任されている部署だ。


最先端の情報は外部に漏れないように手厚く保護されてはいるが、偉人たちの残した呪宝や封鬼の管理はずさんな傾向にあった。

往々にしてある怠慢。しかしとうとう胡坐をかいていたツケが来た。


文献ではかの初代聖王が闇に屠ったとされる三大悪鬼の一つ、万毒の鮮花 ベトニアチェル。

しかし実際は葬ることは叶わず、千人の犠牲と引き換えにこの学園の敷地に封じていたというのが事実。

だが、何重にも掛け重ねた呪縛は高位の魔術師でも解けない強固なもので、滅したと言っても過言では無かったのだ。


それなのに、そのベトニアチェルの封印がいつの間にか解かれていたと監視員の一人が気付いたのが今し方。

いつ、だれが、どうやって封印を破ったのか。

情報の圧倒的不足に現場は混乱していた。


調査記録は現地視察が一年前、魔晶による監視記録は最新でも三日前。記録内容も十年遡っても【以前変わらず良好】と同じ言葉の繰り返しだった。

この穴だらけの監視体制を今どれだけ悔やんだところで状況は良くなることはない。


「監視長、一刻も早く上層部に報告を。そして全教職員に警護依頼と生徒に避難指示を出しましょう」


監視員の女性が叫んだが、監視長と呼ばれた老人は渋面をつくり沈黙している。

この不始末の責任問題もそうだが、もし生徒や一般市民にベトニアチェルが生きていたと知れれば混乱が起きる。

それは初代聖王の顔に泥を塗る行為にもなり、指針なき民の混乱は一層増すことだろう。いや、その前にベトニアチェルの報復を恐れるべきだ。


いくら祓魔調伏の専門家が揃う聖教学園とはいえ、大戦の最凶兵器を相手にどこまで戦えるか……


「監視長!」


他の監視員たちも監視長の号令を急かす。

監視長はひくひくと顔を痙攣させながら、震える声で決断を下した。


「……警戒レベルSS、いや、混乱を避けるためひとまずSだ。直ちに、各方面へ連絡と指示の通達を」

「はいっ」


監視員たちが方々へ散っていく中、監視長はその場にへたり込み、暗い天井を仰いだ。




<<


「あっ、花枝だ」


ベトニアチェルの案内のおかげでようやくクラスに帰れたと思ったら、時刻はもう昼飯時だった。


「あはは、ただいまー」

「ちょっとマリア、あんた授業受けずにご飯だけ食べて卒業できると思ってるわけ?」


私の姿を見るなりそう噛みついてきたのは、いつもお世話になっている木尾 アンナだった。


「あははー、アンナ。朝は起こしてくれたのに起きれなくてごめんね」

「私は別にマリアが進級できなくてもいいのよ。でもね、私の時間を無駄にされた事は腹立たしいわ」

「ごめんごめんてば、もう寝坊しないから」


私が一生懸命アンナに謝る姿を見てクラスメイトが漫才を見ているかのように笑った。


「それにしても、あんたすごいボロボロね。どこまで迷子になってたの……あら、何かいい匂い」

「あっ、そう、聞いて。私ね――」


そう言って耳元で髪ゴム代わりになっているベトニアチェルをちらりと見た時だった。突如、学校中に警報のサイレンが鳴り響く。


《生徒のみなさん、ただいま避難警報が発令されました。担任の先生の指示に従い速やかに避難を開始してください。繰り返します――》


「えっ、何?」


やっと教室たどり着いたというのに今度は何が起こったんだろう。

突然のことにおろおろしている私の手をアンナが強く引っ張った。


「バカ、何があったか知らないけど避難警報よ。みんな、先生が来てくれるまでに必要なものを持って、避難の準備を!」


避難訓練かと楽観的な反応だった生徒たちも、冷静なアンナの号令に弾かれるように弁当を放り出し、杖や魔導書などの必需品を身に着けて準備を整え始めた。


そしてみんなの準備が整う頃、いつもは気だるげな雨宮先生が走って教室にやってきた。


「おい、みんな。ちょっとやべえ事が起きたみたいだ。避難の準備はできてるか」

「はい、全員揃ってます!」


雨宮先生はさっと生徒を確認すると「行くぞ」とみんなを引率した。

私は訳が分からないままアンナの後ろを付いて走った。


『まあ、何があったのでしょうね、火事?』


耳元でベトニアチェルが潜め声で囁いた。

心底嫌がっているような声だったので、私は火の気に精神を集中させてみる。


「うーん。火が出てる感覚は……無いなぁ」

『良かった。私、火事とか燃える系のイベントが大嫌いなんです』


燃えるイベント……それはキャンプファイアの類の事だろうか。体育祭などの情熱イベントは範囲外であってほしい。


「じゃあ火事が起きたら私が守ってあげるね」


ベトニアチェルに微笑みかけると彼女は期待できないとばかりに花を俯かせる。 


『……精々頑張って下さいませ』

「ちょっと、少しは信頼してよ。私、火を扱うのは得意なの――」

「マリア! こんな時に独り言なんて言ってないで、今は安全に避難できるように努めなさい!」


アンナの叱責をくらって私はひぃっと身ををすくませた。『あら、怒られましたね』というベトニアチェルの声にも口を結んで引率に続いた。


緊張感のある空気の中、私たちは校舎を出て渡り廊下を小走りに演習場へと向かう。


「よし、お前ら、この先の演習場に入って避難してろ。俺は招集かかってるから行ってくる。木尾、着いたらそこらへんの監督生に処置を聞いてくれ」

「はい!」


そして走り去る雨宮先生を見送って私達は演習場に逃げ込んだ。


演習場は石造りの大きなコロシアムになっていて、上級魔法の演習にも使われるというくらい頑丈なものらしい。

私たちが一息つく間にアンナは上級生の元へ行き、魔除科一年の避難完了の報告と待機場所の指示を貰って戻ってきた。


「みんな、私たち一年生は何もすることはないから、あっちの隅で待機しておけって指示をもらったわ。上級生の邪魔にならないように今は静かに待機しておきましょう」


そして私たちはアンナの示した場所にしゃがみこむ。クラスの誰もが不安の為か口数が少なく、心なしか顔色も悪い気がする。


「ねえアンナ。何が起きてるのか教えてもらった?」

「いいえ、待機の指示しか貰わなかったわ」

「そっか、何があったんだろうね」

「私に分かる訳がないじゃない」


ピリピリとしたアンナに素気無くあしらわれてしょんぼりしていると、演習場の厚い扉が閉められる音がした。

監督生や教師たちが演習場の中を等間隔に陣取ると、彼らは各々呪文を唱え始める。

バラバラの声が次第にまとまり、一つの声となって演習場に反響する。


「これは、退魔の境界かしら」


呪文を聞いていたアンナがぽつりと言った。


「退魔の境界?」


私が尋ね返すと、聞き取りに集中していたアンナは口元に人差し指を立てて「ちょっと待って」と制した。


『マリア、この退魔の境界という魔法はですね、一定空間外からの悪魔の侵入を防ぐ護法の一つですよ』


耳元でベトニアチェルがこそっと説明をしてくれた。


「そうなんだ。ベートって物知りね」

『こんなのは初歩ですよ。道に迷う暇があったら勉強頑張って下さいね』

「はは、」


ベトニアチェルに皮肉を言われたところで、アンナも概要を理解できたようだ。


「マリア、退魔の境界っていうのはね――」

「はいっ、一定空間外から悪魔の侵入を防ぐ護法の一つです」

「あら、知ってたの。でも重ね掛けされた護法が気になるのよ」


アンナの言葉にベトニアチェルも『うんうん』と同意する。


『退魔の境界に加えて発火トラップと除染の印が組み込まれてた気がするんですよね』

「発火トラップと除染?」


ベトニアチェルの呟きに問いかけると、アンナが私を見て目を丸くした。


「ふーん、マリアあなた意外と優秀だったのね。でもそんな魔法で何を撃退しようとしてるのかしら」


ベトニアチェルはアンナの問いかけを話題に変えて一人で思い出話をし始めた。


『そう、植物系はみんなそうなんですけど、私この手の護法が嫌いでしたわ。あっついし気持ち悪いんですよ』

「そっか、植物には相性悪そうだもんね」


私の呟きにアンナがひらめく。


「そうか植物系。こんな規模で避難するほど危険性が高いなら、Aクラスの悪魔の群れ、かしら」

「Aクラスの群れ……」


それを聞いていた魔除科のみんなが息を飲む音が聞こえた。誰も声を発そうとするものは居らず、監督生の詠唱だけが淡々と耳を抉っていく。


私が襲われた木精は最下位のEクラス。

Aクラスといえば、黴粉(モルディ)とか妖花(ゴーストブルム)とか気性が激しく攻撃性の高い悪魔だ。

その群れなんて、考えただけでも恐ろしい。


その時、演習場の扉がゆっくり軋む音がした。

同時に心なしか退魔の詠唱が強くなった気がする。


私たちは「もしかしたら」の思いに押しつぶされそうになりながら扉から現れる者の姿を見た。


「あ、雨宮先生」


素早く演習場に入ってきたのは数人の教師たち。

雨宮先生は私たちの姿を確認するや否やこちらに駆けてきた。


「お前たち、落ち着いてよく聞くんだ。今、この学校の近くにSクラスの悪魔がいる可能性が高いと学長から報告が上がった」

「…えっ、Sクラス」


雨宮先生の言葉に私たちは動揺を隠せないでいた。

先生は説明を続けるが、もうその言葉は私の耳に入ってこない。

文献にも記載の少ない未知の領域、それがSクラスの悪魔。


雨宮先生は説明を終えると向こうへと走って行ってしまう。きっと水属性を得意とする雨宮先生では植物系に不利だから演習場内部の警護に配置されたのだろう。


「ねえアンナ、私たち大丈夫かな……」


見ると気丈なアンナでさえ顔を真っ青にしていた。

その恐怖が伝染するようにクラス中に不穏が広がっていく。

私も底知れぬ恐怖に身震いしていると、滑らかな花弁で首元を撫でながらベトニアチェルが優しく声をかけてきた。


『安心なさいマリア。私、最近の序列には疎いですが、かつては番付の最上級。今で言うSSくらいの実力なのですよ。何が襲って来ても私が必ず追い払ってあげます』


ベトニアチェルの優しい声音に恐怖を溶かされながら、私は自分を励ますように彼女の言葉を反芻した。


(そうだよ、ベートが助けてくれる。だってベートはとっても強い悪魔なんだもん)


「………………は?」


SSクラス。

それは世界に数えるほどしかいないSクラスの亜種。この世で最も恐怖される悪魔の最上階級だ。


(犯人はお前か)


おそらくこの緊急事態はここにいる花が原因だろう。

早くも馴染んでしまって忘れていたが、最凶の植物兵器と言われるベトニアチェルの封印が解けたからこの厳戒態勢なのだ。


私はアンナに聞こえないよう声を押さえてベトニアチェルに尋ねた。


「ねえベート。これってあなた対策なんじゃないの?」


よーしよーしと私を撫でていたベトニアチェルが、はたと動きを止めた。


『……あららまぁ! それは盲点。ちょっと、こんな大事になってますけど、どうしましょう』

「いやいや、それ私が聞きたいよ。雨宮先生に言った方がいいのかな」

『先生? ああ、あの格好良い方。私すごくタイプなんです』


雨宮先生が格好いいなんて、悪魔のセンスは少し変わっている。

しかしそこらの監督の先生たちにいきなりこんなこと話せない。


この状況にあって、雨宮先生を探してルンルンとしているベトニアチェルが憎らしく、私は耳元の花を軽く頭で押しつぶした。


『あ痛、マリア何するんですか』

「ルンルンしないで! もう、このまま黙ってても何にもならないよ、早くみんなを安心させないと」

『ええ、善は急げですね』


私はそっと立ち上がり、他の生徒に事態を説明している雨宮先生の元へと走った。


「せ、先生。ちょっといいですか」

「あ、何だ花枝か。良かった。お前午前消えてたから心配したんだぞ」

「すみません。寝坊して迷子になってました」

「無事ならいいさ。で、何だ?」


改めて問われると何と説明したらよいものか、私は耳元に咲くベトニアチェルをちらりと見て口ごもる。


「えっと、あの。この花なんですけど」

「んっ? 花枝、おま、それ」


先生は私の視線を辿り、赤い花を見た瞬間に何事かを悟り、素早く後ずさりながら詠唱を始める。


「水檻(オウゲイジ)っ!」


先生が何か叫んだ瞬間、目の前がぐにゃりと歪んで身体が浮き上がる。

気付くと私は水の玉の中にいた。

驚きに息を呑むが、飲み込んだのは大量の水。


「ぐっ、せんせ、んんっ!」


ぶくぶくと吐く息で歪んでいく視界の先、雨宮先生は動揺し、生徒たちは突然の事に悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように四方に逃げていく。


(苦しい)


飲んだ水が肺に刺さる。

吐き出すことも出来ない苦しさに身を屈めた時、首元で『うふっ』と微かに楽しそうに笑う声が聞こえた。


(えっ?)


ごくりと水を飲む音が聞こえた。

瞬間、手のひら大だったベトニアチェルの赤が拡がり、みるみる大きくなるのが見えた。

大きくなったベトニアチェルは茨で水の檻を払うと、外に放り出された私を素早く支え、鎌首を擡げるように、ゆっくりと雨宮先生に対峙する。


『……やっぱり、私好みの味がしましたわ、先生』

「やっぱり鮮花か」


先生が鮮花と口にすると同時に周囲の生徒から恐怖の悲鳴が上がった。

私はベトニアチェルに支えられながらごほごほと飲み込んだ水を吐き出す。


「おい、花枝、それどうしたんだ、憑かれたのか!」


雨宮先生は咳き込む私に問いかける。

その間にも背後では監督生の低い詠唱の声が聞こてきた。

これは炎の詠唱だ。

早く先生に教えなくてはベトニアチェルが焼かれてしまう。


「はあ、先生、違います、ベートは私のともだ」

「鮮花、覚悟!」


背後から詠唱の終わった監督生たちの攻撃が放たれた。

濡れた背中も一瞬で蒸発するような熱量が迫る。


『ああもう、火は嫌です!』


ベトニアチェルはうんざりしたような声で炎に向かって身構えた。私は振り返り、炎に立ち向かうベトニアチェルの前に立つと、迫りくる炎の壁に手をかざす。


「ベート、下がって、炎旱(えんかん)!」


私は炎に呑まれる直前でかざした手を振り上げた。

誘導されるように舞い上がった炎は普通なら蒸発してしまうのに、監督生の作った強力な炎は火の雨になって私たちを襲う。


『まあ、すごいじゃないですかマリア。じゃあ残りは私が』


私の背中に隠れてたベトニアチェルはひょこりと出てきたかと思うと、先ほど飲み込んだ水を水鉄砲のように吐き出した。

水と炎がじゅわっと相殺される音がして水蒸気が辺りに立ち込める。

蒸気が晴れるとベトニアチェルは火炎魔法の詠唱をする監督生たちに向かって薄黄色の花粉を吹き付けた。

一瞬で辺りを黄色に霞ませた花粉を見て私の背筋が凍る。


「ベートだめ、毒は使わないで!」


私はベトニアチェルの葉っぱを掴んで叫んだ。

しかしそれを察していたのか、ベトニアチェルは伸ばした枝葉で私の背中を撫でるように包み込んだ。


『お聞きなさい人間たち。それはただの催涙粉ですが、仮に炎を放てばその花粉はその場で燃え上がることでしょう、よく考えて攻撃を選びなさい』


粉塵爆発を狙ったベトニアチェルの攻撃に監督生たちは炎の詠唱を止めて他の呪文を唱えはじめた。

その少しの間に、私は雨宮先生に向かって再び叫ぶ。


「先生、ベートは私の友達です。ちゃんと契約もしました。だから大丈夫です。攻撃をやめてください」


私は袖をまくり上げ、自分の左手の甲に赤く咲いた契約の印を先生に見せた。


「は、マジかよ。ちょっとタンマ! そこ、攻撃やめ」


契約の印を確認した雨宮先生は、戸惑いつつも魔法の詠唱をしていた監督生たちに合図を送った。

先生の合図で詠唱が止み、私はほっと安堵のため息をつく。


「雨宮先生、ありがとうございます」


雨宮先生は私を見て深く息を吐くと、ぼさぼさの頭をボリボリ掻いた。


「花枝、お前、鮮花がどんな悪魔か知ってるのか?」


雨宮先生は私の方に歩み寄り、一定の距離で立ち止まる。

先生の質問に、私はどう答えたものかと、背後に咲く真っ赤な大輪の花を振り仰いだ。


「どんなって、植物系の、花の悪魔?」


見たまま通りの私の答えに雨宮先生はがっくりと肩を落とす。


「まあ、そうなんだが、鮮花ってのはSランクの希少種で、出会ったら最期と言われるような悪魔だぞ。そんな奴に遭遇して生き残ってるだけでも奇跡なのに、お前が使役って……マジかよ」

『マジですわよ先生。マリアったら私に一目惚れしたらしくて、お友達からでいいと熱烈な交際を申し込まれて、つい』

「ベート、それ大分違う」

『いえ、概ね合致します』

「いや、まったく違うから」


私たちがくねくねぎゃあぎゃあと騒ぐ様子に、先生はただ灰になるしかなかった。


「はあ、ところでお前ら。こういう結果でいいのか俺には分からんが、鮮花出没は見た通りかなりの大事件だ」


先生の言葉に、私はそういえばと辺りを見渡す。

演習場内にいた大勢の生徒は門の周りで泣き叫び、教師たちは慌てながら方々へ走り回っている。


「たぶん事の経緯を審問委員に尋ねられると思うが、その時は真面目に答えろよ」


雨宮先生がそう忠告すると、タイミングを見計らったかのように演習場の扉が大きく開かれた。

そして人波を割るようにして重装備の魔法師たちが続々と中に入ってきた。


「わっ、なに、あの人たち……」

『予想はしてましたが、面倒なのが来ましたね』


私はとっさにベトニアチェルに寄り添った。

彼女も警戒を強めたのか、地に触れる枝を木のように硬化させて根を張り、枝葉を茂らせ場を固めると、構えるように花径を増して威嚇する。


「待て待て鮮花。おい花枝、そこで黙ってろ。俺が話してみるから」


雨宮先生はそう言って魔法師たちの方へ駆けていった。

魔法師は全部で三十人程だろうか、その総てから向けられる敵意と威圧の視線。そしてその後ろで開いた扉から我先に逃げ出そうとする生徒たちの姿。

なんだか私が化け物扱いされているみたいで、心の中に乾いた感情が吹いていった。


『マリア……大丈夫ですよ、恐がらないで』


ベトニアチェルは柔らかな蔦で私を守るように覆うと、深く優しい声で囁いた。


「ベート……」


出会ったばっかりだというのに、彼女は本当に私に善くしてくれる。

悪魔とは全て危険で残酷なものだと思っていたけど、私は今、この冷たい蔓の温もりを暖かいと感じている。


「……うん」


私はベトニアチェルのしなやかな枝を握って胸に抱いた。


魔法師たちは雨宮先生の説得も蔑ろに、私たちの方へと向かってくる。

そしてその列を割って、私たちの目の前に大剣を佩いた屈強な具術者が現れた。


「契約者、花枝 マリア。そしてその使魔である鮮花」


男は低い声で名指し、鋭い目つきで私たちを交互に睨みつける。


「双方、事情を聞かせてもらう。大人しく我々に従い、一切の真実を話すことを今ここで誓ってもらおうか」

「えっ、わ、分かりま――むぐぅ」

『マリア、お待ちなさい』


具術者の男が放つ有無を言わせぬ雰囲気に気圧されて了承を口にしようとしたとき、ベトニアチェルの葉が私の口を塞ぐ。


『そこの、この誓約内容の詳細を述べてみなさい』


ベトニアチェルに尋ねられた男はピクリと眉を上げる。男が後ろに視線を寄越すと、背後から目深にフードをかぶった魔法師が彼に耳打ちをしてきた。


「……双方が出会った時から契約までの経緯を話してもらう」

『よい、誓約を受けるのは私とマリアの二人、交わすのは誰です?」

「我々審問委員と、聴取を行うもの全てだ」

『ふうん、まあ良いでしょう。では聴取を行う全ての者の名簿を渡しなさい。あとはこちらの提示する条件をのめば応じます』


ベトニアチェルは強気の姿勢を崩さずに男に畳みかける。道案内の外にもこんなにも頼もしい所があるなんて、さすが何百年の年の功だ。


「……そちらの条件とは?」

『まず、説明後は速やかに私たちを解放すること』

「了承した」

『また、聴取に際して私たちに魔法等の外的干渉や束縛はしないこと』

「了承した」

『最後に、この事態の収束のために記録を公に開示すること』

「……了承した。では今日の日没より、こちらの指定する議場で審問会議を開始する」

『承知しました。では、以上の承服を持って誓約を了とします。時が来たら迎えを寄越しなさい』


ベトニアチェルは誓約を取り交わすと、『下がりなさい』と魔法師たちに一瞥をくれた。

魔法師たちは渋々といった様子で演習場を去って行く。


そして、ただっ広い演習場に残されたのは私と、ベトニアチェルと雨宮先生だけになってしまった。


何だか疲れたような安心したような気分になり、私はその場にへたり込む。


「はは、ベートすごいね。私何にも考えてなかった」

『全く、マリアは気圧されすぎです。ダメですよ、悪魔とか魔法師の持ちかける契約や誓約には概ね罠が含まれているんですから。パッと見て好条件でも、ちゃんと考えて返事しないと大変なことになりますよ』


ベトニアチェルは葉っぱでぺしぺしと私の頬を叩く。


「それ、ベートと私の契約もそうなの?」

『まあ当然ですね』

「え、ええっ、私騙された?」

『まさか、私がこんなに尽くそうとしてるのに、疑われるなんて心外です』

「ああ、ごめん」

『マリアが望むなら、何度でも再契約に応じますよ』

「花枝、そんなんでよくこんな大物と契約できたよな」


その話を黙って聞いていた雨宮先生が堪らずにぽつりとこぼす。


「うー、私も今そう思いました」

『まあまあ、何事も練習です』


ベトニアチェルはそう言うと嬉しそうに花を揺らした。


「ところで花枝。日没からの審問会どうするつもりだ?」

「え、どうするって、聞かれたことを説明すればいいだけですよね?」


私の回答に二人の動きが止まった。


「花枝ぇ、お前それじゃ奴らの思う壺じゃねえか」

『マリア、先ほども言いましたけど、ちゃんと考えて発言なさいな』


当然の事を言ったつもりなのに何故か二人に窘(たしな)められてしまった。

私はその意図が全然わからずに、自然と小首が傾いてしまう。

二人が深い溜息を吐いた。


「俺は何も聞きたくないからちょっと外れるわ」

『お気遣いありがとうございます。そうして下さいませ』


雨宮先生は背中を向けて演習場を後にした。


『では、簡単に打ち合わせいたしましょう。マリアは私と出会った場面から契約したところまでの説明をする。私はあれらが投げかける質問の応答をします』

「うん、分かった」

『では軽く練習しましょう。私と出会った経緯を説明していただけますか?』

「えっと、教室に行こうとしたら迷子になって、木精に襲われた時に声が聞こえて、えーっと、助けてくれた人を探そうと教会に行ったらベートと会って……契約した?」

『――あ、ああ、まあそれくらい単純な方が、むしろ突っ込み所も少なくていいと思います』


ベトニアチェルは枝葉をばさばさ振ってフォローをする。

私の説明ってそんなにダメなのかな。


『ですが、【出会う】というのは対面した時からの事を指すので、声が聞こえた件については伏せておいた方がよろしいでしょうね。もういっそ、迷子になって教会に入ったら私がいたので契約した。くらい省略していいと思います』

「ベート、そんな説明じゃ審問委員の人たちにバカにされそうよ」

『心配しなくても、おそらく場内で一番お馬鹿なのはあなたです。余計なことを言うと足を掬われるだけなので、堂々と簡素な説明をなさって下さい』


ベトニアチェルはいっそ清々しいほど言葉のトゲを隠そうとしない。言っていることは尤もなのだが素直に納得するのは辛かった。


『あと一点よろしいです?』


ベトニアチェルは俯く私を覗き込むようにして言った。


「なに?」

『困ったことに、多分私、審問の最初に真名を公表しないといけないんですよね』

「いいじゃん、名乗っちゃえば」

『お馬鹿。先ほどのあの先生の反応を見ると、私ただの鮮花って扱いみたいなんですよね。万毒の鮮花 ベトニアチェルが生きていることはごく少数の人間しか知らされていないようです。そんな中、聖教王によって倒されたはずの悪魔だと言ったら、マリアの立ち位置がすごーく悪くなりますよ』

「あ、それはすごく困る」


きっと私の方が悪魔以上の悪として世間に認知されること請け合いだ。


『でしょう。そこで、私はあのベトニアチェルではなく、その名を肖(あやか)るものとしてベトニアチェルと名乗るつもりです』

「どういうこと?」


私が首を傾げると、ベトニアチェルは演習場の土に茨でかりかりと絵を描いて説明してくれた。


『あなたが聖母の名を肖るように、私も偉大な万毒の鮮花の名を貰ったということです。つまり私と大戦で倒されたという鮮花は別の個体と言いたいわけ』

「はあ、はあ、なるほど。それならみんなに白い眼されずに学校生活を送れるし、聖王様の嘘もバレないね」

『全く。マリアのためとはいえ、私が聖王の肩を持つ羽目になるとは』


そして私たちは談笑も交え、緩いながらも打ち合わせを続けた。


頭上から降る光が弱くなってきたころ、突然私たちの前に丸い光がふっと燈った。


「わっ、なにこれ!」

『これは誘導灯の魔法です。あっちも準備ができたようですね』


そう言うとベトニアチェルは私の背中を這い、髪を結うように巻き付くと首元に花を咲かせた。


『さあ、参りましょう』


ふわふわと進行を始めた誘導灯に続きながら、さも当然のように私に巻き付いてきた彼女に問う。


「……ねえ、ベートって歩くの嫌いなの?」

『嫌いというか、植物系の悪魔の移動方法の基本は寄生ですもの。もちろん歩くことは出来ますが、長距離には適しません』

「ちょっと待って、これって寄生なの?」


歩調に合わせて揺れる彼女は、私の質問にやれやれと息をついた。


『何にせよ日照時間外ですし、体力は温存しませんと。場合によればマリアに協力を仰ぐやもしれません』


そう言って耳元の赤い花はくすくすと笑った。


「な、なによそれ、どういうこと?」


ベトニアチェルの含みのある笑いに危険を感じ、顔を引いて彼女と僅かに距離をとる。


『私、起きた時はそこまでお腹減ってなかったんですけど、実はさっきの一戦から急にお腹が減っちゃって……うふ』

「うふ、じゃないよ。えっ、私、毟られるの? 齧られるの? 食べられるの?」

『いえ、ちょっと吸うだけです。もう本当~に、ちょっと』

「やだ、信じられない。そうなったら絶対吸い尽くされるもん」

『大丈夫、大丈夫』

「もーやだぁ、はーなーれーてっ」


私は髪に巻き付くベトニアチェルを取ろうと奮闘するが『無理ですね』とすげなく却下された。


「あー、もうやだ。泣きそう」

『まあまあ、これが悪魔と契約するってことですし。私たちを知る良い機会と思ってみなさいな』


さっき言っていた契約の穴とはこの事だったのか。なんか馬鹿にされっぱなしで悔しくなってきた。

私は楽観的な悪魔を、薄く涙の浮いた目でじとっと睨みつける。

次はベトニアチェルが僅かに身を引いた。


『ま、まあ、マリア。そんな泣かなくても、怖い事はいたしませんよ』


ベトニアチェルは慌てたように言うと細い蔦で私の涙を拭ってくれた。でも、その跡を消すように私は目尻をごしごしと擦る。それを見て彼女は萎れたように呟いた。


「怖いのが嫌なんじゃない、私だって、考え無しに生きてる訳じゃないのに」

『そうですよね、ごめんなさい。でも、もし、私と居るのが辛いのなら、私、どこかに身を潜めます。マリアが恐がることは、したくありませんから……』


ベトニアチェルは項垂れながらぽつぽつと言葉を続けた。そして彼女がしおしおと真っ赤な花弁を一枚散らすものだから、次に慌てたのは私の方だった。


「違っ、ベートの事は嫌じゃない。だから待って、枯れないで!」


私はベトニアチェルの柔らかな花弁を手のひらで覆った。

完全に手の平に収まってしまった彼女はぴくりとも動かない。

恐る恐る手を開くと、ベトニアチェルの真っ赤な花びらは私の手の平でバラバラになっていた。


「べ、ベート?」


枯れた花弁の塊は応えず、急に吹いた風に攫われ、夕暮れの赤に混じりながら手の届かないところへ舞い上がっていく。


「ベート、ベートっ。ねえ、ねえってば!」


自分の手の平、首元、背中。さっきまで彼女が居たあらゆるところに呼びかけたが返事はない。


「……本当に、枯れちゃったの?」


私は地面にへたり込み途方に暮れた。ぽっかりと心に穴が開いたようだった。

今日会ったばかりだったけど、もうこんなにも辛くなっている。きっと私はもっと彼女と一緒に居るべきだったのだ。そう後悔が叫んだ。


「……私、あなたともっと一緒に居たかった」


意図なく呟かれた言葉が消えるころ、地面がぽつりと返事を返した。


『私もです』


声がしたのは視点の真下、地面の中からだった。


「ベート?」


声をかけると、小さく地面が盛り上がり、そこから小さな双葉が顔を出した。


『私もマリアと一緒に居たいです。なぜかそう思うのです』


双葉はにょろにょろと背を伸ばし、柔らかな若芽が私の頬を撫でた。


『聞いてくださいマリア。私は悪魔で、その本質には逆らえません。だからあなたはこれから何度もこの悪魔の本質を恐れ、失望することでしょう。でも、私があなたに伝えた気持ちに嘘はありません』


私はベトニアチェルの蔦に触れ、その言葉にこくりと頷く。


「私もごめんね。私、まだ何も分からないからベートに呆れられたり、あなたを恐がったりすると思う。だけど、それでも一緒に居たい。なんでだろうね」


私が笑いながら問いかけると、目の前の蕾がほころび、瑞々しい赤色を咲かせた。


『きっとそれが運命なんです。何事も勉強だと思って面倒がらずに傍に置いてくださいませね』


ベトニアチェルは柔らかな花弁を私の頬に押し当てると、そのままするすると肩口へ上って定位置に落ち着いた。


「ねえ、ずいぶん日が暮れちゃったけど、審問会大丈夫かな?」

『構いませんよ、主役は遅れて登場するものです。せいぜい待たせましょう』


私が立ち上がると、今まで止まっていた誘導灯がすうっと進み、再び私たちを先導する。


この光の行く先に何があるのか分からないけど、私らベトニアチェルと一緒なら何があっても大丈夫のような気がして、私は歩き始めた。



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