パンツ泥棒と少女騎士

ぶらいあん

プロローグ

 走る、走る、走る――



「ちょっとアンタ、そっちはダメだってば!」


 少女の切迫した声が響く。


 石造りの城の廊下。蝋燭の灯りが揺れるなか、板金製の全身鎧が疾走している。

 その両腕が一人の少女を抱きかかえていた。腰から上までの鎧をまとい、長い髪をなびかせている。さながら若き女騎士のようだ。

 だが、鎧の人物越しに後方を見すえた少女の顔は引きつっていた。


「いたぞ、捕らえろ!」


 視線の先に数名の追手が湧いた。逃げる二人を追って階段を駆け上がってきたのだ。

 全員が逃げる人物と同じ鎧と、ご丁寧に兜まで着込んでいる。城内の衛兵にしては大げさすぎる装いだ。普段なら馬鹿馬鹿しいとすら思えるが、いまは何とも言えない威圧感があった。

 もっともそれは、少女を抱えて走っている鎧の男にも言えることだが。


「おい、止まれ!」


 怒鳴り声が聞こえ、少女の心臓が縮み上がる。見れば廊下の先に槍を構えた衛兵が現れていた。


 まずい、囲まれた――⁉


「フレーズ、兜だ!」

 

 至近距離で別の声が怒鳴る。少女を抱えて走る男の声だ。

 フレーズと呼ばれた少女は即座に理解し、行動した。

 間近で揺れる鉄兜を両手で掴み、男の頭から脱がしざま思い切り投げつける。

 スコーン! と小気味のいい音が響き、顔面に直撃を受けた衛兵が悲鳴を上げて倒れた。

 その体を跳び越えると、男はフレーズを見てニヤリと笑った。


「やるねぇ、さすがは『自称』騎士」

「『自称』は余計よ」


 フフン、とフレーズも得意げに鼻を鳴らす。

 だが次の瞬間、彼女は男の顔を見て驚愕に目を見開いた。

「ってアンタ、なんてものを被ってるのよっ⁉」



 それは

 紛れもなく

 パンツだった。



 男が顔に被っていたのは、若い女性用の下着。

 フレーズにも見覚えのある、かわいらしい薄桃色のパンツだ。


 それを目出し帽のように被ったまま、男は白い歯をクールに輝かせた。


「ま、いろいろと事情があってな」


「なにが事情よ⁉ アンタのは痴情でしょ、このヘンタイ‼」


「うまいこと言うねぇ」


「ぶんなぐるわよ‼」


「すんません」


 フレーズが拳を振り上げると、途端に男はしおらしくなった。


 かたや二十代半ばと見える、女性用下着を被った変態。

 その変態を十代半ばの少女が完全に屈服させている。


 だが、二人の背後から聞こえてきたのはそれを笑う声ではなかった。


「賊どもめ、ようやく観念しおったか」


 野太い声に振り返れば、ひときわ立派な装いの騎士が衛兵たちの前に歩み出ていた。

 上げられた面当の下から、巌のような壮年の顔がこちらを睨んでいる。

 恐ろしいまでの威圧感。衛兵たちの長、ライデンという男だった。


「やば……」思わずフレーズは青ざめる。

 しかし、彼女を腕に抱えた男はむしろ堂々とした声で言った。



「ただの賊じゃねえ。天下の大泥棒、無一ムイチ様だ!」



「って、なに正体バラしてるのよ馬鹿――っ!」


「ひっ捕らえーい‼」


 号令とともに無数の衛兵たちが津波のように押し寄せてくる。

 無一は再び駆け出したが、数歩で立ち止まった。

 行き止まり――フレーズは眼前の石壁を見て息を呑んだ。追手の足音はもうすぐ近くまで迫っている。


「どどど、どーするのよ⁉」

「信じろ」

「はぁ⁉」


「アンタ馬鹿ぁ?」と言わんばかりにフレーズは聞き返す。

 一方の無一は額に冷や汗を浮かべながら、その瞳にスリルを楽しむような輝きを宿していた。


「シケたツラすんな、信じて笑え。そうすりゃおれが必ず助けてやる」

「パンツ被ったままカッコつけないでよ! この変態仮面っ‼」


 とはいえ、フレーズは感じていた。

 自分を守るように抱きかかえる双腕の逞しさを。

 自分を安心させるように微笑む瞳の頼もしさを。


 そしてなにより。



 このヘンタイは私を助けに来てくれた。



「……いいわ、信じるからなんとかして。逃げ切れたらなんでもしてあげるから」


 そう言ってフレーズは無一の顔を見た。

 交わるふたつの視線。

 その双方に不敵な笑みが浮かぶ。


「その言葉、忘れるなよ」


 無一は正面の石壁から少女を遠ざけるように半身になった。

 そのまま猛然と壁に突進し激突寸前で大きく跳躍。頑丈な石壁に飛び蹴りを入れる。



 ドゴオオオオオオ――――ン‼



「ぬうッ⁉」


 凄まじい轟音と衝撃に、追手は思わず足を止める。

 立ち込めた砂埃が、二人の賊の姿を一瞬のあいだ隠したかに見えた。

 だが、それが晴れると衛兵たちは一斉にどよめいた。


 賊たちの姿が忽然と消えている。


 そればかりか、そこにあったはずの壁さえもが消えていた。頑丈なはずの石壁にぽっかりと風穴が空き、夕暮れに染まる城下の風景を覗かせている。


「馬鹿な、何百年も無傷だった壁だぞ?」

「蹴破ったとでもいうのか?」

「なにかの魔法か? しかし……」


「ありえん……」


 騒然とする一同の中から歩み出ながら、兵団長のライデンは驚愕を隠さずに呟いた。


「ここは三階だぞ……?」


「ライデン卿、急ぎ追跡の手配を」


 冷静な声にライデンが振り返ると、衛兵たちの集団を割って一人の若者が歩み出るのが見えた。


「これは、ゴーシュ殿……」


 名を呼ばれた若者は恐縮する中年兵団長を一瞥し、

「あの壁を壊して逃げたのです。おそらく賊はまだ生きているでしょう。どんな魔道具を使ったか知りませんがね」


 そう言うと壁に空いた大穴を冷たい目で睨んだ。


「……否、たとえ死んでいたとしても必ず処刑台に送らなければなりません。そうでもしなければあのお方のお怒りは決して収まらないでしょう」


 そうでしょうな、とライデンは溜息まじりに言う。


 そんな声など聞こえなかったかのように、若者は自ら先の言葉を継いだ。


「なぜならあの二人は、王妃を殺害し〈神器〉を盗んだ大罪人。王国に弓引く叛逆者なのですから」



× × ×



かくして少女と盗賊は叛逆者となった。

だが、なぜ二人は国家を揺るがす大罪を犯したのか。


物語は時を少し過去にさかのぼる。

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