第2話
ピストルでもなく、粉でもなく、それはレースをふんだんにあしらった女物のパンティやブラジャーだった。男は慌てふためいて色とりどりの下着をかき集めると、ケースの中にしまい込み、再び両腕で大事そうに抱え込んだ。
先刻の子供はいぜん泣き止まず、いったん立ち止まった母親も「大丈夫、大丈夫」と念仏のように繰り返し、子供の手を引き小走りで横を通っていく。
この男は痴漢か強姦魔に違いない・・立ち上がったまま瑠里子は発作的に棚の旅行バッグを座席にひきずり落とし、半ば喘ぎながらチャックを開いた。料理人の彼女はこの度大抜擢を受け、大阪の一流ホテルの厨房の仕事に向かう途中だった。その為の仕事道具がバッグに収められているのだ。手早く中身をかき回し、桐箱に入ってるお目当ての物を見付けた彼女は、にやりと薄笑いを浮かべた。これさえあれば男が何をしてこようと対抗できる、そう思い、木製の長方形の箱を取り出した。それからバッグを元の棚に戻し、両手でしっかりと箱を持って悠々と座席に腰を沈めた。
新幹線はいつのまにか名古屋を過ぎていた。見慣れぬ街並みやのどかな田畑といった風景が車窓をどんどん通り過ぎていく。終点の新大阪到着まであと一時間少々だ。
缶ビールを飲み半分眠っているような男を横目で見やりながら、それでも瑠里子は緊張の糸を解きほぐせずにいた。時々、男のさりげない視線を感じ、彼が狸寝入りをしているように見えてならなかった。油断をしたら最後、飛びかかってこられそうな気がするのだ。でも、これがあれば大丈夫・・瑠里子は膝の上の木製の箱を手の平でやさしく撫でた。取りこし苦労だったのか、程なく隣の席から男の寝息が聞こえてきた。しだいに鼾といってもいいくらいの音量に上がり、それを聞いて、つい張り詰めていた気が緩んだのだろうか。瑠里子も急に強い眠気に襲われ、意識がだんだんと遠退いていった。
それからいくらも経たないうちに、驚いて目を覚ましたのは、すぐ身近で鋭い音がしたからである。何かが壊れるような物音に飛び起き、足元を見ると、膝に置いていた箱が床に落ち、外れたふたの隙間から仕事道具の包丁の尖った先端が何本ものぞいていた。
「うああああ」
奇声を上げたのは隣で寝ていたはずの男だった。その声に驚きしかし瑠里子は金縛りにあったように身動きひとつできず、ただ男を凝視していた。男はかっと両目を見開き、わなわなと身体を震わせ、さながら禁断症状の薬物患者のようだった。
刃物を見てとつぜん興奮したのだ・・何とかに刃物というではないか・・もうおしまいだ・・神様・・助けて・・
瑠里子は恐怖のあまり、虚ろな目で見えない天を仰いだ。その時だった、ジュラルミンケースを片手に男がすっくと立ちあがるなり矢のように走りだしたのは。何かに追い立てられるようにして後を振り向きもせず、あっという間に5号車の車両へと姿を消してしまった。
啞然としながらも、瑠里子は急いで包丁を木製の箱にしまい、旅行バッグを肩にかつぐと、男が行った逆の方向、7号車に向かって、脱兎のごとく走りだした。
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