第2話 小一、プール地獄の始まり

 どういう理由だったのかは記憶にないのですが、私は幼稚園から、別の保育所に移りました。その頃から私は少し明るくなっていったようです。出席の返事も出来るようになり、母はそれをすごく喜んでいました。

 保育所での友達も出来ました。いや出来たというか、たぶん母が頼んでまわって作ってくれたんじゃないかという気がします。知らない数人の男の子の後をトボトボと心細く付いていった記憶があります。その子らは保育所に着くまで何度も私の方を振り返り、『こいつ何者や』みたいな顔をしていました。その子らとはすぐに打ち解け、仲良くすることができました。

 前の幼稚園では一人の友達も出来なかったけど(て言うか誰一人ともしゃべった記憶がないけど)、新しい保育所では友達が出来たおかげか、平穏に過ごすことができました。

 この保育所には1年半か2年弱くらい通いました。もしかしたら私の人生で一番平穏で、一番幸福な時期だったのかもしれません。


 1972年、私は小学生になりました。その小学校はまだ出来て2年めくらいで、校舎が足りませんでした。僕たちピカピカの新一年生は、1年間プレハブの教室で過ごすことになりました。


 その頃毎日、きのうの出来事を少しずつみんなの前で発表しなきゃいけませんでした。けど私はそれが出来ませんでした。保育所の時は出来てたのに、なぜか小学校に入ってからしゃべれなくなりました。そのことでは母にずいぶん責められました。毎日、家に帰るなり「今日はゆうたか?」と聞かれました。

 一度ウソをついて「ゆうた」と言ったことがあります。すると母は、確かめるために学校に電話すると言い出したんです。電話口まで行き受話器を取った時、あわてて私はウソだと白状しました。


 夏になり、プールの授業が始まりました。私にとっては地獄の時間の始まりでした。何しろ私は顔を水につけることさえ出来なかったのです。顔どころか、胸まで水につかってるだけで息苦しくなりました。

 みんながプールの端から端までバタ足をしてる時、私は歩いていました。みんなの水しぶきを避け、足を滑らせないように注意しながら、歩いてました。プールの授業は一学年の全クラス一緒に行われたので、百何十人かの前でさらし者でした。

 私は恥ずかしくてたまらなかった。『みんな、こんな風になっちゃいけませんよ』と言われてるようだった。

 そしてそれは6年間、毎年続くことになるのでした。


 話は変わりますが、幼少の頃から私は、絵を描くのが好きでした。

 小一の終わり頃、漫画を描き始めました。

 天才バカボンの漫画の中で、締め切りに追われた漫画家がホテルにカンヅメにされてるのを見て、漫画家という職業を知りました。毎日漫画を描いてればいいだけなんて、なんて素晴らしいんだろうと思いました。

 将来は漫画家になりたいと思うようになっていきました。

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