第67話 アボカドディップのブルスケッタと、いぶりがっこのクリームチーズチーズ乗せオリーブオイルがけ
「お食事もいただいたことですし、わたくしはそろそろ失礼いたしますわね。」
口元を拭いながらニュートンジョン侯爵夫人がそう言った。
「もうお帰りになられるんですか?お母様。寂しいです……。」
イヴリンさんがしょんぼりする。
ニュートンジョン侯爵夫人は、イヴリンさんを見つめて優しく微笑んで、
「また近いうちに参ります。レースの靴下の作り方の続きを、あなたに教えて差し上げなくてはなりませんからね。」
と言った。
「はい!」
と笑顔のイヴリンさん。サニーさんは終始無言でうつむいたままだった。
「──馬車を待たせておりますのでお気になさらず。フィンリー。」
「はい、呼んでまいります。」
そう言ってフィンリーさんが出ていき、しばらくしてサニーさんの家に戻ってくると、表通りに馬車が待機しておりますと告げた。
「では、失礼いたします。
エイトさんも、急に息子がお呼び立てしてしまって、申し訳ありませんでした。」
気まずさから無理やり俺を同席させたことが、完全にバレているらしい。
イヴリンさんとサニーさんは、玄関までニュートンジョン侯爵夫人を見送った。
ニュートンジョン侯爵夫人が帰ると、イヴリンさんがさっそく皿洗いを開始する。
「手伝いますよ。」
「いえ、お客様なので、ゆっくり座ってらして下さい。」
「美味しいお食事のお礼と思って、これくらいさせて下さい。」
「でも、料理してくださったのは、お母様とエミリーさんですし……。」
そんなやり取りをしていると、
「わたくしも手伝います、一緒にやりましょう、ジョージさん。
イヴリンは部屋で休んでいるといい。
家に一人で心配だっただろう、……連絡もなしに、すまなかった。」
サニーさんが立ち上がって、イヴリンさんに謝罪した。
わかったわ、と言って、イヴリンさんは2階に上がっていった。
男2人で無言で皿を洗う。俺は、
「サニーさん、よろしければこのあと2人で飲みませんか?
少しお話したいこともあるので。」
と尋ねた。
「はい、もちろんです、ではこれを片付けたら、男だけで飲みましょうか。」
「じゃあ、簡単なつまみでも作りますね。
ご飯を食べたばかりなので、本当に軽くですが。」
「嬉しいです。ジョージさんの料理は、本当に美味しかったですからね。」
サニーさんは笑ってくれた。
俺は、いぶりがっこ、クリームチーズ、玉ねぎ、トマト、コリアンダー、アボカド、にんにく、冷凍のむき海老、バゲット、オリーブオイル、黒胡椒、ワカモレディップを出した。ワカモレディップは海外からの輸入品をたくさん扱っているスーパーで手に入る、外国産のもので、スパイスが大変美味しい。
いぶりがっこに適当に切ったクリームチーズを乗せ、オリーブオイルをかけた上から黒胡椒を振った。これだけでいぶりがっこのクリームチーズ乗せの完成だ。
いぶりがっこだけでも、いぶりがっこにクリームチーズを乗せただけでも美味いが、ひと手間加えるだけで、また違った美味さが楽しめる。
アボカドは柔らかめのものを出した。アボカドは硬さで使う料理を変える。
アボカドをスプーンですくって、なめらかになるまでボウルの中で潰したら、ワカモレディップを入れて混ぜる。
玉ねぎとコリアンダーをみじん切りにしたもの、トマトをさいの目に切ったものを加えてさらに混ぜ合わせる。
バケットを適当な厚みにスライスして、トースターで焼いたら、にんにくを切って断面をこすりつけ、アボカドディップを乗せ、茹でたむき海老を乗せて、お好みで更に上からコリアンダーを散らしたら、アボカドディップのブルスケッタの完成だ。サニーさんの家には平たい受け皿のトースターがなかったので、オーブンを借りて焼いた。
ワカモレディップがなければレモン汁と塩コショウでもいい。むき海老や、トマトや玉ねぎを入れなくても、にんにくがなくても、ワカモレディップとあえたアボカドだけでもじゅうぶんにうまい。見た目がきれいなので今回はそうした。
コリアンダーは香草が苦手な人ならなくてもいい。
バケットがなければクラッカーに乗せてもいいし、野菜につけて食べても美味いし、チップスなんかに乗せてもいい。焼かない食パンに乗せてサンドイッチにして食べるのもおすすめだ。冷たいと特に美味い。
俺はアボカドディップのブルスケッタと、いぶりがっこのクリームチーズチーズ乗せオリーブオイルがけとを、サニーさんの家の大皿に乗せてテーブルに置き、ノンエイジのカナディアンクラブと、ロックアイスと、アイスペールと、専用トングと、マドラーと、ミネラルウォーターを出した。
ハイボールを作るなら、年数のあるウイスキーより、ノンエイジのほうが合うんだよなあ。たまに熟成されたウイスキーでも、ハイボールを楽しむこともあるけど、熟成されたウイスキーは、ストレートで飲んだほうが美味いが、寝かせていないウイスキーは、気軽に飲めるハイボールにしたほうが美味いと思う。量が飲めないから、ストレートじゃ、あんまり飲まないけどな。
サニーさんの家のグラスを借りてハイボールを作り、サニーさんに差し出す。
一口飲んだサニーさんは、
「……!
美味しいです。わたくしワインより、こちらの方が飲みやすいと感じます。」
と、グラスの中を見つめながら言った。
アボカドディップのブルスケッタを一口で食べると、すぐにグビリとハイボールを流し込んだ。
「とてもお酒にあいますね……!
こちらも食べてみます。」
いぶりがっこのクリームチーズチーズ乗せオリーブオイルがけを食べて目を丸くする。
「……これは……はじめて食べる食感です。
植物……?なんでしょうか。
どちらも発酵食品のような味がしますね。
噛んだ時のポリポリとした食感も、とても気持ちがいいものですし、ねっとりとしたチーズが味を引き立てていて……。
──これは癖になりそうです。」
頬を紅潮させてそう言うサニーさんに、俺はニッコリと微笑んだ。
俺もいぶりがっこは大好きなんだよな。気がつくと一本食っちまうくらいには。
国をあげて守るべき、すばらしい日本の食文化だと思う。
俺は好きな食材を5つ上げるとすると、その1つに必ずいぶりがっこが入ってくる。
それくらい、いぶりがっこが大好きだ。
ちなみにホカロンやホッカイロと同じで、いぶりがっこは登録商標で、本来はいぶり漬けというらしいが。
「これは野菜を燻煙乾燥した漬物というものになります。主に大根という野菜を使うことが多く、こちらもそうですね。俺の故郷の食材なんです。俺も大好きなんですよ。」
サニーさんは俺の作ったおつまみを見つめながら、
「……わたくしも、このような料理を作れるようになれば、イヴリンは喜んでくれるでしょうか……。
わたくしはイヴリンの夫として、まだまだ足りないのかも知れません。」
と声を落とした。
「料理もいいとは思いますが……。
それよりも、体を使った家事が大変なんだと思いますよ。
特に今の時期や、これからお子さんが生まれたら、もっと大変だと思います。
2〜3時間おきの授乳期間は、特にほとんど寝られませんし。寝られないというのは本当に辛いものですから。」
サニーさんはうつむいて、何やら考え込んでいるようだった。
「イヴリンは、文句1つ言わない女性です。それは分かっていました。
ですが、わたくしは、言われないと分からない、野暮な男です。
侯爵家にいた時は従者がおりましたので、家事など1つもしたことがありません。
だから余計に何をしたらいいのかが分からない。……お母様には、それが分かっていたのでしょうね。」
「おそらくは……。
今までも色々と、お母様からアドバイスがあったかと思いますが、それをきちんと心にとめていらっしゃいましたか?
あんまり他人がよそのご家庭に口出すことではないと思いましたが、お母様のお気持ちが、サニーさんに届いていないような気が、俺にはしました。」
「そうですね……。
そうだと思います。
──わたくしの家は、代々、強い水魔法使いを排出する家系なのですが、その為、男も女も関係なく、水魔法の使える子どもが跡取りとなるのです。
お母様はこの国で最も強い水魔法の使い手で、わたくしも生まれた時から水魔法が使えるのです。」
サニーさんは魔法使いだったのか。
「お父様は侯爵ですが、入婿なのです。
ですが、わたくしは今の仕事をやりたいと幼き頃より思っておりました。
ですから、イヴリンにお母様が近付いているのを知った時、わたくしを家に連れ戻す為に、彼女を通じてわたくしを丸め込むつもりなのだと感じました。」
ニュートンジョン侯爵夫人本人ではないから、もちろんそういう気持ちもあるのかも知れないし、そこは分からないが……。
「それだけではないと、俺は思いますよ。
ニュートンジョン侯爵夫人は、本当に奥様であるイヴリンさんを、心配なさっているように見受けられます。」
「それは……、今日なんとなく、そう思いました。わたくしは今まで一度も、お母様とイヴリンが一緒にいるところに、立ち会ったことがなかったのです。
イヴリンは人の悪口を言わない女性ですから、彼女から、お母様は素晴らしい人だと、どれだけいわれても、わたくしは信じることが出来ませんでした。」
やはり、日頃奥さんがどんな生活をしているのかを知らなかったのか。
「ですが、2人の信頼し合っている姿を目の当たりにして、わたくしは愕然としました。
お母様はわたくしの前と違い、イヴリンにとても優しかった。
イヴリンは本当にお母様が好きで、お母様もそうなのだと感じました。」
「そうですね、俺もそう思います。」
「……侯爵家に戻るつもりはありません。
家を継ぐつもりも。
ですが、イヴリンの夫として、お母様に納得していただけるようになるには、わたくしはどうすればよいのでしょう。
わたくしはお母様が恐ろしい。だから直接聞くことが出来ません。」
「なぜそんなに、苦手なのですか?」
「……お母様はとても厳しい方です。わたくしは叱られるのがとても苦手です。
わたくしなりに頑張っていることを、すべて否定された気持ちになるのです。」
まあ、男はプライドの塊だからな。否定されるのも、好きじゃないし、それだけで話を聞かなくなる奴も多いが。
「侯爵家の跡取りとして考えていたのであれば、他の家庭よりも厳しくなるのは、仕方がないのでは?
それがあったからこそ、今サニーさんが仕事をするのにおいて、他の貴族や王族を相手にする際に、問題のない対応の仕方が分かるのだと思いますし……。」
「それはもちろんそうだと思います。
平民のようにはいかないでしょう。
ですがそれでも……。苦手なのです。
お母様に愛されたという実感が、わかないからかも知れませんね。
今日愕然としたのは、イヴリンが、わたくしがお母様から受けたことのない愛情を、独り占めしているように感じた、というのもあるのです。」
それはまた、難しい話だなあ。
「お母様は、イヴリンにも、生まれた子どもにも、きっと同じように愛情をそそぐのでしょう。ならばなぜわたくしは……、という思いが消えないのです。
一家の長としてお恥ずかしい話です。
こんな感情を持ってしまうなんて……。」
「──失礼ですが、サニーさんは今おいくつになられたのですか?」
「今年で21歳になります。」
なんと。まだ大学生くらいの年齢じゃないか。見た目じゃまったく分からなかったな。
現代ならまだまだ子どもの年齢だ。
母親にそういう複雑な気持ちを感じても、無理もないか。
「そうですね、確かに、子どもの生まれる大人の男性としては、恥ずかしい感情かも知れません。自分の中で折り合いをつけるしかないことでもあります。
ですが、俺には、サニーさん側にも、ニュートンジョン侯爵夫人側にも、誤解とすれ違いが生まれているようにも感じます。
一度、お母様とじっくりお話してみてはいかがでしょうか?」
「母と……、話を……ですか。」
「旅行なんてどうでしょうね?
親子水入らずで。環境が変われば、話もしやすいかも知れませんよ。
俺は母や祖母を、温泉旅行に連れて行ったことがあります。裸の付き合いもいいものですよ。」
「血の繋がった母親や祖母とはいえ、女性と風呂に入るのですか!?」
サニーさんが突然大声を上げる。
ああ、こちらにはそういう習慣がないのかな?
「もちろん、裸の付き合いと言っても、専用の服は着た状態で、ですけどね。
風呂に入りながら、リラックスした状態だと、話もしやすいものですよ。」
「そんな場所がもしあるのであれば、考えてみたいと思います……。」
「そういえば、パーティクル公爵家には、温泉のわく別荘があるということでしたよね、先日パーティクル公爵よりそちらにご招待いただきましたが、お伺いする際に、お母様をお呼びするのは難しいでしょうか。」
「家族を招くのは珍しいことではありませんので、パーティクル公爵がお母様を呼んでくだされば、お伺い出来るかと思いますが、こちらからお願い出来るようなことではありませんので……。」
「ふむ……。ちょっと考えてみます。」
俺は思案をめぐらした。
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