3-3 稚姫、岩戸隠れをする

 新たに登場した神のトヨウケやツキヨミとも異なる個性ゆえか、色々と勤務以外の問題はあったものの、なんとか無事にアルバイト一日目の就業を終えた徳斗は、すっかりと疲れ果ててアパートの門を通る。


 さすがに太陽神であるからか、稚姫の部屋は既に照明が落ちて暗くなっていた。

 無闇に足音や金属音を立てぬよう静かに外階段を登ると、自室の鍵を回す。

「やれやれ。ただいま……っと」

 誰も居ない、暗い自分の部屋になだれ込んだ。

 すると、わずかにキッチンから漂う美味しそうな香り。

 コンロに置かれた鍋の蓋を開けると、中身は味噌ベースのスープのようだが、インスタントの物よりも具だくさんで、彩り豊かに野菜が多く入ったものだった。

『姫様が召し上がった物と同じ物を用意した、食べろ』

 八田のメモが近くに置いてある。

「なんだよ、八田さんもなんだかんだで気が利くじゃないか」

 さっそく徳斗はトヨウケに分けて貰った米を炊き、スープをおかずに食べ進める。

「あー、美味い。やっぱ日本人に米と味噌汁は最高だな。疲れた身体には沁みるわ。八田さんって料理も上手だな。ホント器用な八咫鴉だよな」

 大学を終えた後のアルバイトで、今日はすっかり帰宅が遅くなってしまった。

 礼を伝えようにも勤務先の斡旋をしてくれた当の八田は、既に夜目が利かず姿を眩ませている。やむなく明日にでも改めて礼をするとして、腹もくちくなった徳斗はシャワーも浴びずに万年床の布団にごろんと横になった。

「最近、ワカとちゃんと喋れてないな。なんか変に構えられてるような感じもするし。あいつ少しは元気になったのかな。それもまた明日、八田さんに聞くか」

 布団の上でも考えごとをしていたが、勤労の疲れから早々に悩むのをやめると、やがて眠りに落ちた。



 翌朝。

 徳斗はさっそく庭の清掃をしていた八田に、空いた鍋を返却しに行く。

「八田さん、昨日はありがと。メモ見たよ。美味かった」

 気にすることもない、といった風情で八田は片手を軽く振って鍋を預かる。

「やっぱ、さすが八田さんだよ。料理も上手だよね。俺ももっと見習って、ひとり暮らしでも料理くらい手際よくできないと……」

 徳斗が語るうちに、みるみる八田は顔色を失くして、彼の後方を指さす。

「えっ? はっ? 俺の後ろ? どしたの?」

 徳斗が振り返ると、瞳に涙を溜めて頬を膨らませた稚姫が立っていた。

「あたしが一生懸命、徳斗のためにスープをつくったのに……やっぱり八田のご飯の方がおいしいの?」

「え、あっ……これ、ワカが作ったのか! いや、美味かったよ。ごめん、それを知らなかったからさ」

「徳斗が下界の修行で遅くなるって聞いたから。それで疲れちゃったら可哀想って、あたしが頑張って作ったのに!」

「ごめん、悪かったって。ワカが作ったやつって知ってたら、ちゃんとワカにお礼を言ったよ。でもこれ本当に美味かったから!」

「もういい、知らない! もう徳斗にはなんにもしてあげない!」

 稚姫は両目の涙を拭いながら、また、自分の部屋に駆けていく。

「マジですごい美味かったよ! また作ってくれって! おい、ワカ!」

「いいからどっか行って!」

 女子の力とは思えない程に勢いよく扉を閉めると、中から鍵を掛ける音がした。

「おい、ワカ! ごめんって! おーい!」

 それきり内側からは何の声もしない。

 呆然と扉に立ち尽くす徳斗と、頭を抱えて背を丸める八田。

 途端に曇り予報の朝の空から、ぽつぽつと雨粒が落ちてくる。

「だいたいさ、八田さんも悪いよ! あのメモじゃ俺にもワカと同じ物を用意してくれたみたいに読めるじゃん! ちゃんとワカが作ったって書いてくれないと!」

 八田は全面的に非を認め、巨体を小さく縮めると両手を合わせて謝罪する。

 彼としては、料理を発見した徳斗が主人と会話するきっかけとなればと思い、玉虫色のメモを残したのだったが、敢えてそうしたことが裏目に出たのだった。

「どうするかね、八田さん。ワカめちゃくちゃ怒らせちゃったじゃん。ありゃ、ちょっと不味いよね?」

「ほらやっぱり、どうせあたしの料理はマズかったんでしょ!」

 こっそり耳をそばだてていたのか、キッチンに面した小窓から稚姫が喚き散らす。

 迂闊に大きな声で話していた徳斗は反射的に背を屈めて口元を押さえた。

 しかし、今どうすべきかの良い考えもなく、徳斗も八田も、悩ましげに視線を合わせた。



「なるほどね、ワカ姫様が怒ってしまったというわけだね?」

 バイト先であるオモイカネの経営する店舗。

 徳斗は洗い終えたグラスを磨き、オモイカネは注文用のフルーツを切る仕込みをしながら、男二人で狭いキッチンに立ったまま会話をする。

「そうなんすよ。ワカが急に料理を作ったってのも変だし、それは八田さんのせいでもあるけど、すごい怒り出したから俺もどうすればいいんだか……」

「ふむふむ。つまり徳斗殿はこう言いたいってことだね?」

 手を止めて彼の肩にそっと手を置いたオモイカネは、優しく語り掛ける。

「もしかして、ここ最近のワカ姫様は『女の子の日』だったんじゃないかと」

「俺が言いたいのは、店長が真性の変態だっていうことっすね。あとシャツがベタつくからフルーツ切った手で俺に触らないでくださいよ。いや、店長はフルーツ切ってなくても触らないでください」

「それで、姫様の作ってくださったお食事の味はどうだったね?」

 彼の拒否反応をオモイカネはさらりと流しつつも、全く相談の内容とは関係ない部分の会話を膨らませようとする。

「いや、まぁ普通に美味かったすけどね。八田さんの飯も何度か食べてるから、ホントに勘違いしただけなんすよ。たぶん八田さん監修のレシピなんでしょうけど」

 すると、眼鏡の奥にあるオモイカネの瞳が鋭く光る。

「普通に……だと、徳斗殿? そりゃ確かに八田は料理も上手いし、彼の監修なら相当の味だっただろう。だがワカ姫様が御自おんみずからお作りになられたんだよ? 四貴神である姫様がお食事を下賜かしされるなんて、畏れ多くて誉れ高いことなんだ。ツンデレ属性の妹キャラがご飯を作った時に言う正解は『ひとりより次はお前と一緒に食べたいな』だろう」

「ギャルゲーじゃないんすから。マジで修羅場だったんすよ」

「不幸な事故だったとは思うが、それをバネにして跳ね返してこその真のエンディングだよ?」

 相変わらず平常運転のオモイカネに徳斗は息を漏らすが、他のスタッフや客が店内に居ないことを確認してから、改めて話し掛ける。

「あの、店長。ワカが立派に太陽神になれないと……って話は知ってます?」

「もちろん。聞けばツキヨミ様もわざわざいらっしゃったのだろう? 天上界でも君の話題でもちきりだよ」

「いったい俺はどうしたらいいんですかね? ワカとも喧嘩しちゃったし、俺があいつの力になれる訳でもないし……神様と神職ってこんな関係なんすか?」

「思い通りにならない事象を民の代表として神職が伺い立てる。そして神も民に託宣として下知する。その結果に左右されないよう立案実行するのは、神職であるキミの仕事だよ、徳斗殿?」

「その思い通りにならない事象の代表が、神様のご機嫌なんすけどね……」

 オモイカネは、仕込みで出たフルーツの切れ端を食べながら思案する。

 それを見た徳斗も盗み食いをしようとしたら、彼の掌を叩いて目を見開いた。

「思いついたぞ! 仕方ないな、徳斗殿の頼みとあらば! だったら、僕らでワカ姫様のご様子を観察……いや、解決するしかないよ。姫様がお心を痛めてる理由を探るしかないね!」

「えっ? いいっすよ。店長をワカに近づけると、なんか……危ないっすもん」

「僕は天上界イチの頭脳と知識を持つ者だよ! 任せておきたまえ!」

 徳斗に顔を寄せるよう手招きしたオモイカネは、彼にとっておきの策を耳打ちする。

「絶対、そんなの上手くいかないっすよ。怪しまれてバレますもん」

「やってみないと、わからないよ!」


 オモイカネの計らいで、アルバイトのシフトを早めに終えた徳斗はアパートに戻る。

 そのまま自室には向かわず、稚姫の部屋の扉を叩いた。

「おーい、ワカ。居るんだろ? ちょっと開けてくれよ」

 奥からかすかな物音はするが、扉の鍵が開錠される様子はない。

 アパートの門に視線を向けると、オモイカネが敷地の外から、無言で催促をする。

「今朝は悪かったって。謝りたいから出てくてくれないか?」

 扉越しに稚姫の声が弱々しく聞こえる。

「どうせ、あたしなんか何をしたって、徳斗の迷惑になるんだからいいよ」

「お前との仲直りに焼きイモしたいんだよ。美味そうなイモを買ってきたんだよ!」

 それに対し、部屋の中からの反応はない。

 相変わらず塀の奥から覗き見しているオモイカネが次の指示をする。

「そっか、仕方ないな。とりあえず焼きイモは作ってるから、気が向いたら外に来てくれよ。俺は外に居るからな」

 徳斗はツキヨミとの庭キャンプで残った薪を組み、焚き火を作る。

 庭掃除をしていた八田は、そのやり取りを唖然と見ていたが、徳斗に手招きで促されると、竹ぼうきを置いて彼の手伝いに回った。

 そこにイモを並べて火をつけると、ホイルを巻いたイモを丁寧にひっくり返しながら、火を通していく。

「あぁ。いい匂いだな。焼きイモもそろそろ出来上がったんじゃないか?」

 殊更に大きな声で、アピールする徳斗。

 それでも、稚姫の部屋の扉は開かない。

「よし、出来上がったな。さっそく食べてみるか……美味い! やっぱ焼きイモはいいよな! 八田さんもちょっと味見してみなよ」

 全く反応のない稚姫の部屋に、いささか居たたまれなくなった徳斗も困惑して、焼きあがったイモを持ったまま右往左往する。それは彼とオモイカネに交互に視線を送る八田も同様で、何の打ち合わせもなく徳斗たちが何の芝居を始めたのかと黒ずくめの巨体を棒立ちにさせていた。

 それでも前に進めと、オモイカネは物影から指示をする。

 徳斗は部屋の扉をノックして、改めて稚姫に声を掛けた。

「ほら、焼けたぞ。ワカ、食べないのかよ。イモ好きだろ?」

「いらない。もうじき晩御飯だから」

「今すぐ食べなくても、明日の朝食べてもいいだろ? 焼きイモだけ受け取ってくれよ」

「そうやって徳斗は、あたしが何でも食べてぶくぶく太ったらいいと思ってるんでしょ!」

 それきり何の物音も声も立てなくなった稚姫の部屋を諦めて離れる。


 アパートの門の前にいたオモイカネは、親指を立てていた。

「まずは会話が成立したね。グッジョブだよ、徳斗殿」

 適当な慰めを言うオモイカネの口に、徳斗は焼きイモを突っ込んだ。

「全然ダメじゃないすか! またギクシャクしちゃったし、あんなの会話って言わないんですよ。神様じゃなかったら、ひっぱたいてるとこですよ。なんすか、エラそうに『天岩戸あまのいわと作戦』とか言って!」

「おかしいな。アマテラス様のときは上手くいったんだけどね。いくら四貴神とは言え、なんだかんだ言ってハブられると寂しがるご姉妹だからさ」

「別にお姉さんだってボイコットして岩戸に隠れた時に、焼きイモで釣られた訳じゃないんでしょ?」

「高天原の時みたいに、もっと大勢でワイワイと盛り上げた方がよかったかな?」

「芋煮会じゃあるまいし、大勢でワイワイ囲む焼きイモって聞いたことないっすよ。人数とか賑やかさじゃなくて、そもそも焼きイモが弱かったんじゃないすか。せめて、お礼に別の料理を作るとか、こないだみんなでやったキャンプくらいはしないと」

「わかった。では僕がツキヨミ様の代わりにキャンプを……」

「いや、これ以上はいいっす! 店長が入ると面倒くさくて危ないんで!」

 徳斗に渡された焼きイモを食べながら、次の作戦を思案するオモイカネ。

「姫様のご尊顔を仰げなかったとあれば、別の作戦をするしかないね!」

「どういうことっすか? 俺もこれ以上ワカを怒らせるの、嫌なんすけど」

「姫様が外出されるところを追って、偶然を装ってばったり会うしかないよ! よくあるじゃないか、朝の街角で男子とぶつかって、『おい、気をつけろよ!』『そっちこそ気をつけなさいよ! なんなの、あいつ!』って言ってたら実は転校生で、それから恋に落ちるって寸法だよ」

「……マジでダメっすね、店長」

「それ以上は言うな。徳斗殿。僕だって『天界のスーパーコンピュータ』と呼ばれた男だよ? 知恵ならいくらでもある」

「そのスパコン、十六ビットでアップグレード止まってるんじゃないすか?」

 オモイカネは新たに思いついた妙案に、自画自賛するように大きく手を叩いた。

「相手もさすがの四貴神、アマテラス様の妹君だな。一筋縄ではいかないのも、いかにもといったところだ。次なる『天岩戸作戦』に移行しよう」

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