第63話 古びたアパート

 ぼんやりと古びたアパートを見上げる。


 花沢のメッセージに導かれて、僕はこの場所にやってきた。


 ステーキの効果か、それとも部屋の掃除をしたのが良かったのか、はたまた医者から処方された薬がようやく効いてきたのかわからないが、とりあえず今僕の心は落ち着いている。


 花沢が僕になんの用があるのだろう。


 もしかして、柄にもなく僕を心配してくれているのだろうか?


 特に理由はないのだが、ぼんやりと花沢の住んでいるボロボロのアパートを観察する。まるで初めて見たかのように、じっくりと。


 かつては真っ白であっただろう壁は、長い間雨風にさらされて黄ばんでいる。外側に取り付けられた階段の手すりは錆だらけで、体重をかけたら簡単に折れてしまいそうだ。


 みると、窓ガラスにひびが入っている部屋もある。このアパートの大家は、アパートの修繕なんて考えてもいないのだろう。


 こんなボロボロのアパートを観察したところで、得るものなんて何もない。まったくの無駄な時間だ。


 何をやっているのだろうと、自分に呆れて小さなため息をつく。


 このアパートにエレベーターなんて洒落たものはない。ゆえに僕は気合をいれて年季の入った階段を駆け上った。


 目的の部屋までたどり着くと、そのさび付いたドアをノックする(このアパートに呼び鈴の類は存在しない)。


 しばらくすると、ガチャリと鍵の外れる音がして、中から家主が姿を現した。


 ボサボサの黒髪、目の下に浮かぶクッキリとしたクマ(今や僕の目の下にも同じようなものがあるのだが)。花沢は、お気に入りの着古されたジャージをつけ、ギョロリと大きな三白眼で僕の事を睨み付けるように見てくる。


「やっと来た……体調はもう大丈夫なの?」


「大丈夫……とは言い難いけどな。まあ、動ける程度には回復したつもりだよ」


「そう……仕事には戻れそう?」


「どうだろうな。すぐには難しいかもしれない。今はまだ、仕事とかは考えられないから」


 以外だった。


 花沢とこんな普通の会話をしていること自体が異常事態だ。


 彼女に、こんな気遣いができるとは思っていなかったのだから。


 花沢は、少し顔をしかめてこう言った。


「アンタの代わりに田村が担当になったのよ……しばらくはそのままみたいね」


 田村と花沢は、一年だけ大学の文芸サークルで一緒だった。


 だから顔見知りではあるのだが、今の反応を見るに、どうやら田村のことはあまり好きではないようだ。


「まあいいや……入って、お茶くらい出すから」


 そうして、僕は家主に導かれるままアパートの部屋に足を踏み入れたのだった。

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