第26話 凡人



 映画を見終わった僕たちは、少し早めの夕食を取ることにした。


 適当に見繕ったチェーン店のファミレスは、チェーン店が好きだという僕の考えを、靜香が考慮してくれた結果だろう。


 席に着くとメニュー表を広げる。


 行き慣れたチェーン店。メニューの内容も何となく頭に入っている。


 ファミレスは素晴らしいと思う。


 リーズナブルな値段で、味もそこそこ満足できる上にメニューも豊富だ。僕のような貧乏舌の人間に取っては、ファミレスレベルの味さえあれば、良い食事をしたと満足する事ができる。


 少し考えた結果、僕はハンバーグを、靜香は期間限定のパスタを注文した。「期間限定って言葉に弱いの」と舌を出す靜香に、僕は柔らかく微笑む。


 料理が来るのを待つ間、僕たちは映画の感想などを話して過ごしていた。


「最後の盛り上がりは良かったけど、序盤は退屈だったわ……総合評価で60点てところかしら?」


「随分手厳しいね。僕の記憶が確かなら、この映画を見たいと言ったのは君の方だったと思うけど?」


「期待していただけ、アナタよりもハードルが高くなっているのよ」


「そうかい。じゃあ、期待しすぎる事も考えものだね」


「まったくその通りだわ」


 そんな雑談をしている内に、料理が運ばれてきた。最初に僕のハンバーグ、次に靜香の注文したパスタが到着する。


 僕たちはしばらく無言で料理を食べ続けた。


 無言は苦痛ではない。


 互いに信頼関係が築けている間柄において、会話は必要不可欠な要素では無いのだから。


 しばらくして、先に料理を食べ終わった靜香が水を飲みながらポツリと呟いた。


「……お姫様、まだ帰ってきていないの?」


「…………そうだね。全く、困った奴だよ。いったいどこにいるのやら」


 靜香からその話題を切り出すとは思っていなかった。


 何となくだけれど、靜香はアイツの事が好きでは無いのじゃないかと感じていたからだ。 アイツ……花沢について考える。


 いったいアイツはどこに行ってしまったのだろうか?


 わからない。


 長い付き合いだが、僕がアイツについて知っている事なんてほどんど無い事に気がつく。そして、それで良いとも思えた。


 僕とアイツの関係なんて、そんなものだと、素直にそう感じたのだ。


 そんな事を考えていた僕を、靜香は何か面白く無さそうに眺めていた。


「妬けちゃうわ。あのお姫様は、居ても居なくてもアナタの心を独り占めしてしまうのね」


「……そんな事ないさ」


「そんな事あるのよ。私にはわかる」


「僕はアイツの担当編集者で、仕事上の付き合いくらいしか無い……いつも言っているだろう?」


 僕の言葉に、靜香は首を横に振った。


「別にお姫様とアナタに男女の関係があることを疑っている訳じゃないわ……そう、なんていうか、アナタは彼女の才能という光に眼を眩まされて、世界が良く見えなくなっているの」


 才能という光。


 何故か靜香の比喩は、ストンと僕の心に落ちてきた。


「彼女は特別よ……だからアナタがもし彼女のようになりたいともがいても、それは無理な話なの」


「……それは何故?」


「それを私の口から言わせたいの?」


 知っている。


 その答えはすでに僕の中にある。


「そんな顔しないで。別にアナタをいじめたい訳じゃ無いの……ただ、少し冷静になって欲しいだけ…………天才だけじゃ、世界は回らないのよ?」






 僕は彼女の才能という光に吸い寄せられた、ただの羽虫に過ぎない。


 太陽に近づきすぎて、蝋の羽根をもがれたイカロスのように。


 彼女を追えば追うほど、僕はその身を焦がして自滅してしまうだろう。


 「天才だけでは世界は回らない」と靜香は言った。確かにそうかも知れない。でも、それは僕の望んだ生き方なのだろうか?



”ほんとうのさいわいとはなんだろう?”



 わからない。

 凡才の僕には、少し荷が重すぎる問題なのかも知れない。






◇  

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