9.帰宅

 儀式後に応接室で一度眠りに入ったレオナールが目覚めたのは、屋敷の門をくぐるころだった。



「あ、おはよレオ―」


「お、おはよう……あの、儀式の方は……」


「特に問題は無い。加護の話は一度部屋に戻ってからにしようか」



 ブローヴィルもルーフも普段通りで特に何か心配な素振りは無い。ラナリアはレオを膝枕し優しく髪を撫でている。



「体はどうかしら?」


「だいぶ楽になったよ、ありがとう母上」



 ゆっくり起き上がり、庭園中を進む馬車。色とりどりの花が咲く一面花畑はとても綺麗だ。石畳でガタガタと揺れる馬車は、想像していたより酷くなく、多少の酔いはあったが然程問題にはならなかった。


 馬車が本館の玄関前にゆっくり停車する。



「お帰りなさいませ」



 本館前には王都邸の使用人を統括する執事長のアルベリクを筆頭に使用人が勢揃いしていた。皆襟の先まで精巧な彫刻なのではと思い違いをしてしまうほど一切の揺らぎが無い。



「昼食のご用意が出来ております」


「わかった、行こう。レオは大丈夫か?食べられそうか?」


「大丈夫だよ」


「ならこのまま食堂へ行くぞ。儀式の話はその後にお前の部屋でゆっくりしよう」



 今日はレオの復帰祝いも込めて非常に質の良い肉を使ったステーキらしい。食堂に近づくにつれ香ばしい良い匂いがどんどん濃くなっていく。



「すごくいい匂いだねー!(じゅる)」


「そうだな!(じゅる)」



 男性二人はかなり興奮しているようで、口の端には涎が時折垣間見えた。



「はしたないですからお辞めなさい。まぁ、でも。ここまで良い匂いを嗅いでそうなるのも無理ありませんわぁ……(じゅるじゅる)」



 諌めるラナリアも思わず涎を啜る。なにやってんだか……と、思いつつも和気あいあいとした雰囲気に、レオの

体調も心なしか良くなったように思えた。


 大公家邸は様々な色合いが広がる美しい庭園を囲むようにして建てられた、コの字型の左右対称な城館だ。正面通りから向かって左側の端、その一階に食堂がある。



「さぁてどんなお肉が待ってるんだろうか!」



 ブローヴィルは目を爛々と輝かせ、その食堂の扉を開く。途端、ずっと漂っていた匂いが一気に彼らを襲った。



「わぁ!!おっきい肉!!」



 食堂の真ん中に置かれた長机には4人分の配膳が既に置かれていた。その中でも特に目を引くのはレオの顔より一回り大きいサイズのステーキだ。


 程よく焦げ目がつき、湯気がもうもうと立ちあがる肉は肉汁が湧き出るかのように皿に満ち満ちていた。毒味を通すために食事はあまり温かくない、という話を聞いたことがあるが、この世界では毒物の探知を帯魔器マジックアイテムによって出来るためそういった事は無い様だ。



「さ、さ、早く席におつきなさい。早く召し上がりましょ」


「そうしよーそうしよー」



 皆大変テンションが高い。比較的良い物を食べている王族でさえも涎が止まらないほどの逸品だ。そうなるのも無理はないだろう。


 全員が席に座ったところでブローヴィルは襟を正し、意気込んだように一回咳き込む。



「ごほん!よし、では食べようじゃないか」


「「「「天上の主より授かりし恵みに感謝の意を」」」」



 『天上の主より授かりし恵みに感謝の意を』。所謂いわゆる、日本での頂きますと同義の言葉だ。


 言い終えると同時にマナーなど関係なしといった勢いでステーキを食べ始める。



「「「「ぅんまあぁぁい!!!」」」」


「なんて柔らかさなの!?」



 口いっぱいに頬張ったラナリアは顔を紅潮させ食感を楽しみ、



「すごいすごい!どんどん肉汁が溢れてくるよ!」



 一口大に切った肉片を口に放り込んでいくルーフは湧き出るような肉汁に心躍り、



「はぁぁうまぁぁ……」



 暴力的な肉のうまみに、しかめっ面のブローヴィルは垂れるほど顔を緩ませ、



「米……ほしい……」



 肉にご飯は必須だった前世の頃を思い出し、涙が零れるレオナール。と、貴族の頂点たる王族がものの見事に肉に踊らされていた。


 大きなステーキはあっという間に皆の胃の中に消えていった。


//////////////////


 滅多に食べられない高級肉をしっかり堪能した彼らは、レオの部屋に集まっていた。



「さて、では魔紋オドリング精霊紋スティグマの説明をしようか。レオは魔紋オドリングについてはどこまで知っているんだ?」


「僕が知ってるのは輪の色、数、模様の意味だよ」


「ふむ、なら魔紋オドリングの説明は省いても問題なさそうだな。自分の魔紋オドリングがどういうものか説明できるか?」



 レオは右袖を捲り上げる。輪は青、緑、紫の三色で肘より少し上まである。その数30本。また、模様は一切ない正円型の所謂いわゆる万能紋と呼ばれるものだ。



「僕の適性属性は水、風、空間。万能紋で魔力オド量は……150!!」



 魔力オド量は輪1つは5と定められ、基本輪の数×5がその人の魔力オド量となっている。



 しっかりと理解できていることを確認したブローヴィルは精霊紋スティグマの話に移るが、僅かに顔に陰りが見られた。



魔紋オドリングについての話は問題なさそうだから精霊紋スティグマの話をしよう。基本精霊紋スティグマは教会で帯魔器マジックアイテムを使うことで解析できる」



 すると、ブローヴィルは右手にはめていた白い手袋を外し、手の甲を見せる。手の甲には赤と青の二色の線が入っていた。


 魔力オド量の平均は平民が10後半、数世代魔法術の勉強をする大商会の支店長のような中流階級民だと20~30、貴族の中でも男爵子爵位程度だと中流階級民と同程度だ。


 侯爵伯爵程になるとぐっと上がり、低くても40後半で平均は50~70ほど。公爵位以上だと80~100程になる。王族は太古の盟約もあってか、ほとんどが130~150ほどである。



「属性は言うまでもないだろう?加護の位階だが……炎は上位精霊、水は中位精霊だ。二人のも見てみるといい」



 そう言うと、二人も手袋を外し手の甲をレオに向ける。ラナリアは緑と黒の2色、ルーフは黒と赤と黄の3色だ。



「私は風の王位精霊、土の中位精霊ね」


「ボクのは土の上位精霊、炎の中位精霊、光の中位精霊だよ~」



 3人とも線の形がすべて同じで、違いといえば色くらいだった。2色だと中指の付け根の近くで交差するようなV字型で、3色になると三角形になっている。


 レオは自分の手の甲を見る。手の甲には紫、青、緑の3角形が記されている。



「僕のはどうだったんですか?」


「うむ……」



 急に3人とも黙り込んでしまった。何か迷っているようだ。



「そんなに悪いんですか……?」


「そういうわけではない!そういうわけでは無いが……」


「もういっそ全部話してみた方が案外良いかもね」


「私もそう思いますわ」



 二人の言葉で背中を押されたブローヴィルは、レオの精霊紋スティグマについて話始めた。



「レオの位階は水が中位精霊、風が上位精霊、そして空間だが……王位精霊だ」


「はい。……えっ王位精霊ですか!?」


「うむ、まぁ王位精霊の加護を我が子が授かった事は大変嬉しいのだがな。空間の王位精霊の加護持ちは違う世界から来た人間だけという見解を魔導国が発表していてな」



 違う世界から来た人間。それは正にレオの事だ。



「実は、もう一つ言わなきゃならん事があるんだ」


「ぇぁ、あ、なんでしょう……」


「レオはな、俺達の実の子供では無い。イリア王国で生まれて魔族に誘拐されたところを、ルーフが助けたんだ」



 レオは動揺を隠せなかった。昨日、リーリアに髪色の色合いが若干違う事を言われた時から少し気になってはいた。


 瞳の色も父は瞳が金色でラナリアは青いが、レオはそのどちらとも違う紫である。



「急で悪かったな……」


「大丈夫、だけど……でも、そしたら本当の子は……」


「言いたいことは分かるぞ」



 リルフィスト王家は代々男が18になると子供を作らなければならない。今、ブローヴィルは28であり、レオ以外に10歳の子供がいるはず。



「流産したのよ……」



 ラナリアが酷く悲しい表情を浮かべる。それからはブローヴィルがレオを見つけた際の話をし始めた。



「なんで魔族が君を攫おうとしたのか、拾った時は全く見当もつかなかったけどレオが空間の王位精霊の加護持ちって事が分かった時点でなんとなく分かったよ。ただ、ヤツらはどうやってレオの加護の位階を知っていたのかはわからない」


「そうだったんだね……」



 4人とも黙り込んでしまった。レオは自分が異世界人であることをどうやって説明しようか少し悩んでいた。正直に言ったら距離を置かれてしまうのでは、という懸念がしきりに頭をよぎる。


 しかし、実の子ではないレオを実の子供のように愛してくれているのだ。それを信じて打ち明けるべきか……



「ちょっとリアと話したいんだけど、今会えないかな」


「リアちゃんと?今日は休息日ですから部屋でゆっくりしていると思うけど……」



 ラナリアは首を傾げる。すると、ルーフが手を挙げた。



「ボクが呼んでこようか?」


「そうだな、頼むルーフ」


「わかったーじゃあ早速行ってくるね!」



 小走りに出ていくルーフに続いてラナリアとブローヴィルもその場を後にする。



「続きはまた後にしよう。落ち着いたらまた声を掛けてくれよ」


「うん、ありがとう」



 扉が閉められ、部屋にはレオが一人ぽつんと静かに座り込んでいた。

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