その5


 俺は頭の後ろに回した手を戻し、腕時計を確認する。

 時刻は午後7時を少し過ぎたところ、

『まだ出てこねぇぜ。ひょっとしたらダンナの読み違いかもしれねぇな』

 ステアリングの上に顎を載せていたジョージがラッキーストライクの煙を煙突のように吐き出してから、ひどく面倒くさそうな調子で言った。

 俺は何も答えず、右腕の肘を開けたウインドにもたせ掛け、掌で右耳を押え、何かに集中していた。

 腕を組んで道の反対側にあるマンションの一階の入り口を見据えている。

 そこは俺が昼間訪ねた、富田三郎のジュエリーショップ兼工房のあるショールームだ。

 あれからもう約3時間は経過していた。

 店を出てから直ぐに俺はジョージを呼び出し、こうして張り込みを続けているって訳だ。

『まあいいや、俺は払うものさえ払って貰えればそれでいいんだからな。でも今度の場合・・・・』

 ジョージが言いかけたのを、

『黙れ』と小さく制した。

 ドアが開いて、一人の男が出て来た。

 間違いない。

 富田三郎だ。

 彼は辺りを見渡しながら、歩道の端に立って辺りを見渡す。

 俺はウインドを下げ、目を凝らす。

 そこへ前もって呼んであったんだろう。

 一台のタクシーが滑るようにして彼の前まで来て停まった。

 『チェンジ』

 俺の言葉に、ジョージは肩をすくめ、手の中で何かを操作した。

 俺はもう一度右耳に神経を集中する。

 タクシーが走り出すのを待って、俺はジョージに支持を出した。

『東和交通だ。見失うなよ。奴は必ずどこかで乗り換える筈だからな』

『俺を誰だと思ってる。東洋一のプロ・ドライバーだぜ』

 ジョージは何時もの軽口で返し、十数秒後に車を発進させた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

  思った通りだ。

  富田三郎は東京に着くまでの間、都合四回タクシーを乗り換えた。

  並みのドライバーなら、二回目あたりで混乱し、見失うところだろうが、

 『東洋一のプロ・ドライバー』である、ジョージのドライビングテクニックは伊達じゃない。

 殆ど二台分ぐらいの車間を開けて、つかず離れずといった体で、最後まで奴を追跡した。

 着いたのは南青山にある高級マンションである。

 ここがどこかって?

 もう下調べはついてるよ。

 沖田百合子が個人名義で所有している。表向きは彼女の仕事部屋・・・・ということになっているが、その実・・・・おっと、ここから先はまだ言わずにおこう。

 富田はタクシーを降り、建物の中に入ってゆく。

『打ち合わせ通りにすりゃいいんだな?ダンナ』

『ああ』

 俺はそれだけ答えると、速足で奴の後を追った。

 思った通りだ。

 入り口は二重になっており、オートロック用のテンキーがある。

 俺はドアの陰に身を隠し、彼の手元に目を集中した。

 こういう時、自分の視力が衰えていないことに大いに感謝した。

 彼が内側のドアを開け、エレベーターホールに入ったのを見届けて、俺は操作パネルのボタンを操り、パスワードをなぞる。

 ドアが開く。

 エレベーターの回数表示ランプを見て、15階に停まったことを確認すると、俺はもう一基のエレベーターのボタンを押した。

 だが、俺は乗り込まず、すぐ脇の、

『非常階段』と表示の出ている鉄扉を押し、階段を駆け上がった。


  


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る