未知のファイルの処遇について

 比較ソフトが示す結果を目の当たりにしたとき、将斗の思考はしばし停止してしまった。まったく想定していない事実、示されたのは斜め上の結果である。


 会社で管理していないソースコードが稼働している。


 会社で管理していないソースが実は存在している? いや、修正や仕様変更の際のルールに照らし合わせればありえないこと、あってはならないこと。納品するソースコードは必ず管理下にあるソースコードから取り出すものだからである。


 もう一つの可能性は、納品した後に改変されている場合。納品物を元にトーバー商会が独自の改造を加えている可能性だ。だとしても、それも考えづらい。保守や仕様変更の仕事は将斗たちのチームの担務だからである。商会側は会社側に注文すればいい。


 なのにどうしてこちらに依頼することもなくプログラムを追加しているのか。


「トリアンナさん、納品物件のソースコードは必ずバージョン管理の管理下ですよね」


「当たり前です。管理していないソースなんて納めていないですし、納めさせません」


「そうですよねえ。俺も納品時点のソースで見ているんですけど、稼働してるソースに管理下じゃないものがいるみたいでして」


「それはおかしいですわね。ちょっと中身を覗いてみましょうか」


 のぞき見する程度だったトリアンナがいよいよイスを滑らせて将斗の横につく。将斗はトリアンナが画面に集中しているのを確かめてから、未知のファイルを開いてみせた。


 画面に表示されたソースファイルを目の当たりにして将斗の目がくらんだ。書き方がまるで素人だった。ひと目見ただけでチームの誰かが書いたようなコードではないことは明らかだった。『こうソースコードを書く』というルールがちゃんとあるにもかかわらず、二人が目にしているそれは守られていなかった。


 名前の付け方が正しくない。


 一行あたりの文字数も多い。


 機能ごとに処理が分割されていない。


 必要最低限のコメントすらない。


 必要としている作法がなっていない。


 それ以前に、センスがない。読みづらい。


 初心者か、業務向けプログラムを書いたことのないなんちゃっって経験者が書いたような出来。『全部書き直し』と言われてもおかしくなかった。


 少なくとも会社側の人間が作ったものではないという直感にある意味安堵しつつ、中を読み進めてゆく。


「システムの帳簿群に接続していますね」


「接続していて、何を取ろうとしているのかしら……あら、こんな帳簿ありました?」


「トリアンナさんが分からないテーブル――帳簿なんてあるんですか」


「大抵は覚えているものなのですが。確かめてみますね」


 トリアンナはスライドして自席で謎の帳簿について調べ始めた。


 帳簿――異世界には何とデータベースが存在していた。システムの中でデータを保存するのはデータベースなるソフトなのだが、異世界では文字通り『帳簿』をまとめてデーターベースのように扱っていた。本当の帳簿を複数、一元的に管理する魔法があるという。トリアンナには『データベース』『テーブル』という言葉ではあまり通じないものの、『帳簿群』『帳簿』というと簡単に通用する。


 さて、彼女がデータベースの調査をしている間に将斗は未知の処理をたどる。取得したデータをどうしようとしている? するとまた帳簿群に接続しようとしている。しかし見たことのない接続先である。商会が持つ別のシステムであるならば、接続先の情報がどことなく先に接続している内容と似通ってくるはずなのだが。まったく以て一致している箇所がない。


 外部、商会の外へ接続しようとする接続。怪しいふるまいである。まだやっていない、まだやっていない――まるで怪しい人物に目を光らせる万引き取締員のような心持ちでソースを追跡する。外部の接続先で何をしようとしているのか。


 商会の帳簿から取得したデータ、数字を外の帳簿に登録している挙動。


 やった。


 想像してほしい。役所で何らかの手続きをしているとき。申請用の書類を書いて窓口に提出する。すると担当者が書類を受け取って手続きをするのだが、あるタイミングで急に別の人がやってきた。書類の内容をメモしてゆく。それからふらっと役所の外に出ていって、かと思えば担当から手続きが終わったことを知らされる。役所の外に出ていった人は何をしているかと言えば、別の建物の中でメモした内容を帳簿に書き込んでいる。


 この時、ふらっとやってきた別の人は何をしたのか? 何をしようとしているのか? 役所の手続きのために提出した書類からメモを取って、どうして知らないところでメモを保存しているのか?


「やはりあの帳簿は存在していないです。命名規約から照らし合わせても該当するものはございませんから、過去に使っていた帳簿というわけでもなさそうです」


「トリアンナさん、これ、まずいです」


「どういうことでして?」


「商会のシステムから外部に情報を漏らすプログラムです。意図は分からないのですが、情報漏えいしています」


「何ですって?」


 トリアンナは将斗の席を奪って端末に釘付けとなっている。上から下へ、何度も繰り返しソースコードを読み込む姿を横で将斗が眺める。少し猫背気味になって端末を操作している様子からは領主の娘の気品は感じられなかった。


「ディーバ」


 未知のソースコードを五往復したところでトリアンナが口にする。ただ名前を呼んだだけなのに、ひどく無機質で感情のない声色は将斗の背筋を凍らせた。


 背後からやってきたディーバもまたトリアンナがしたように将斗の席を奪う。画面のソースコードをひととおり眺めるとすぐに画面から目を離した。


「エレノーラさんに報告する」


「ではわたくし、商会に連絡をしておきましょう。調査に時間がかかっているという体裁で。将斗さんは商会から受け取ったソースコード一式を退避しておいてくださいまし」


 会話を号令に二人共フロアを飛び出していった。将斗はというと、トリアンナに指示されたとおりのことをして、訓練までの残り時間をどうやって潰そうかと思案しているところだった。

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