2.ビデオテープ・コンプレックス
春の日差しもうららかな、月曜日の昼下がり。
「給食持ってきたぞ〜」
「おう。サン、キュ……?」
ガラリと引き戸を開けた先。
土日を跨いで二日ぶりに会った幼馴染の頭が、おかしくなっていた。
否、この言い方では誤解が大きい。動揺して僕の言葉選びまでおかしくなってしまった。
「……は〜〜〜〜」
溜息を吐いて頭を抱える。
「どしたよ純太、面白い顔して」
いたずらっぽくニヤリと笑う広夢に、呆れを隠さずに応えた。
「いや、お前の頭がどうしたよ」
我が諸越中学校の生徒会長で、文武両道、品行方正を絵に書いたような優等生──そんな広夢の髪の毛が。
「まっきんきんじゃんよ」
綺麗に脱色されていた。
窓から差す真昼の日差しを受けて、キラキラと柔らかく光っている。
キラッキラだ。
キラッキラだが、全然似合っていなかった。
「知ってたろ?」
「……知ってても、やっぱり驚きはあるんだよ」
傍から見れば意味深なやり取りを交わす。広夢は「ふーん、そんなもんかね」と小さく口を尖らせた。
「色々あったのさぁ〜、聞くだろ?」
「そらまあ、聞くけどさ」
ほぼ僕の私室化している進路相談室に広夢を招き入れる。広夢は給食が乗った二膳の盆を器用に学習机へ置き、パイプ椅子を持ってきて僕の向かいにガチャンと腰掛けた。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせて声を揃え、牛乳瓶の蓋を剥きにかかる。
僕が一部の授業を除き個室学習を余儀なくされてから十ヶ月ほどになるが、広夢は毎日給食を共にしてくれる大切な友人だ。同時に、僕の知り得ない学校の様子を教えてくれる情報窓口でもあった。
「入学式から三日目でさ、茶髪の新入生がサルに過剰な注意を受けたって話、したっけ?」
「聞いた聞いた」
サルこと猿田咲子先生は、僕のクラスの担任も務める年配の国語教師だ。名から取って字の如く、すぐに顔を赤くしてキィキィとがなる為にサルと呼ばれている。僕が教室で授業を受けられない原因も彼女にあった。
「新入生……由比ヶ浜りりちゃん、だっけか」
「そう、その子」
本名のままアイドルにでも成れそうなきらきらしい名前だが、実際はかなり引っ込み思案で言葉少なな女の子だそうだ。広夢とは家が近所で、保育園からの付き合いだという。
「地毛が茶髪ってだけなんだよな。気に入らないと滅茶苦茶言うもんな、アイツ……」
「ホントなぁ……。『純日本人なんでしょうアナタは? 髪なんて染めて恥ずかしくないの? 地毛? そんな色ですぐに分かるウソ吐かないでちょうだい? ウソじゃない? にしても校則、ご存知ないの?』とくらぁ」
広夢は声を裏返し、鼻に掛かった声でサルの真似をしてみせた。語尾がグイっと上がるところがそっくりだ。
「はは、似てるわ」
給食のサワラをつつきながら苦笑する。
「校則で頭髪は黒、とされてるんだけど、そんなの気にしてるのサルくらいだよ。あれから二週間、毎朝ネチネチしつこく注意してたって話もしたっけ?」
「聞いたな」
サルは挨拶運動に力を入れており、毎朝早くから玄関に立って生徒に声掛けをしている。それ自体は爽やかで大変良い心がけだと思うが、彼女の場合は生徒の取り締まりが目的だ。もたらされるのは爽やかとは縁遠い粘着質な小言なので、僕なんかは登校時間をわざとズラして回避している。
その挨拶運動の中で捕まり、遅刻ギリギリまで小言攻撃に拘束されているというのが先日聞いた話だった。
「で、金曜に我慢が限界に達した」
「お前の?」
「俺もだけど、りりちゃんの」
たけのこのスープをズズッと啜って、広夢は大きく溜息を吐いた。
「一応、できる事はしてたつもりなんだがなぁ……」
「それも聞いた」
教師への報告や本人含む一年生へのフォロー、入ったばかりの部活への根回し等、やれる範囲で動いていたのは聞き齧っていた。先週には新入生向けの行事も一通り落ち着き、今週の生徒会役員会では校則について扱う全校集会を企画する予定でいたらしい。
「全校集会、間に合わなかったか」
「間に合わんかったなぁ……土曜に、様子がおかしいってりりちゃんのご両親から相談されたよ」
学校ではなく広夢に相談が行くあたり、ご両親も察するところがあったのだろう。
「一通り話をして、俺が一芝居打つことにしたんだ。この格好で、人の多い朝の校門を使って大立ち回りよ」
どこか自嘲気味に、芝居がかった声と仕草で自分の金髪を掴み上げ、パッと放す。そのまま自分の足元を指差した。促されるままに見てみると、スラックスから覗く靴下は真っ赤だ。
「中も見るか? キャラ物のTシャツ着てるんだ」
そう言って次は詰め襟に指をかける。
「遠慮しとく」
「アラそぅお?」
シナを作った声で茶化される。最初から見せる気無いだろ。
「ちょっとした騒ぎにして問題提起してきた。今週の全校集会もこの格好で予定通り開く。そこで大体の説明はするから『見て』みるといいよ。上手く行くだろ?」
広夢は僕の顔を確かめるように見て、ニヤリと笑った。僕は顔をしかめる。
「……上手くいく、っぽいけど、確認したければ先に言ってくれよ」
「こういうのは結果を先に聞くと上手く行かんのだよ」
ごちそうさま。
いつの間にか空っぽになっていた給食の皿を重ね、広夢はご機嫌に進路相談室から出ていった。
僕は何度目になるか分からない苦笑を零して、残しておいた瓶牛乳を一息に煽った。
僕、中原純太には秘密がある。
簡単に言えば、未来が見える。
未来が見える、と一口に言っても、様々なSFがいたずらに連想されるだろう。僕の場合は、「過去現在未来を問わず、自分の体験を記録情報として引き出せる」というものだった。感情や実感は伴わない。五感がその時受け取った情報を自在に再生できる。
普段はさながら脳内のビデオテープ上を歩いているように、淡々と記録情報に沿って生活している。僕が出来るのは、そのビデオテープをスキップさせたり巻き戻させたり、そういう作業だ。自分では『思い出し』と呼んでいる。
給食の盆を片付けた僕は、進路相談室に戻って腰を落ち着け、腕組みをして『思い出す』。
今週の木曜日に開かれる、全校集会について。
◇ ◇ ◇
「今日の議題について、僕の格好を見ていただければわかると思います。月曜日の騒動について、ご存知の人も多いでしょう。改めて言わせていただきます。我が校の校則についてです」
金髪の広夢が、体育館のステージ上で演台に両手をついて訴えている。幾つかの前口上をちゃきちゃきと終え、本題に移る。
「日曜日、僕は市販のブリーチ剤で髪を脱色しました。それなりの値段もしましたし、かなりの手間でした。髪を染めるのにも、同じくお金と時間がかかるでしょう。頭皮や毛髪も痛みます。そんな負担を生徒に強いるような『黒髪』という校則は、必要でしょうか」
サルは教員席で苦い顔をしていた。
「因みに月曜日、僕は他にも二つ、校則を違反して登校しました」
そこで広夢は、演台の影から紙袋を取り出す。
「こちら、大変見えづらいと思いますが、靴下です。知ってる人いますかね、ギャオレンジャー。レッドのなんですけど」
掲げられたのは、一対の赤い靴下だった。遠目では柄まで分からないが、何やら絵柄があるのは見えた。体育館がクスクス笑いで満ちる。
「こっちはもっとわかりやすいと思うんですけど、同じくギャオレンジャーのレッドです」
両手に広げて見せられたのは、今度こそはっきりと見覚えのあるヒーロー戦隊モノのキャラTシャツだった。確か、僕達が小学三年生の時に放送されていた。
数人が吹き出すのを皮切りに、笑いがさざなみのように広がる。
「派手なものっていうと、こんなのしか持ってなくてお恥ずかしいんですけどね。まあ、こういうのを着ていたわけです。全く注意されませんでした」
僕は思わずサルを見た。ギリギリと音が聞こえそうな形相で歯を食いしばり、顔を赤くしている。
「見えなければ気付きもしないような、些細な問題です。そもそも校則は、生徒の健全な生活の為にあります。白靴下は清潔を保つ為に、体操着は制服の一環として、それぞれ意味があって定められているものです。しかしそれらは、本当にその役割を果たしているでしょうか? 僕達の生活する学校にとって必要でしょうか? 今回の僕の行動を問題提起と捉えて、皆さんで話し合ってみて欲しいのです」
堂々と言い放った広夢は、その後に私見を交えて校則の改定案を提示した。それを踏まえて各クラスから改定案を提出し、生徒会で最終的な決定を下すとして集会は解散になる。
サルは終始、酷い顔をしていた。
◇ ◇ ◇
完全に『思い出した』僕の感想は、
「……」
特に無かった。僕は腕組みを解いて時間割を確認し、教室で進められているであろう授業のセットを取り出し、自主学習に励むことにした。
今回、派手に動いたとは思うが、広夢らしい落とし所だったとも思う。
集会中一度も由比ヶ浜ちゃんの名前を出さなかった。あくまでも自分の振る舞いを起点に校則改正を考える、という体裁で進めたいのだろう。教師陣からの評価を気にしないパフォーマンスは、普段の優秀な振る舞いに自信がある為だ。もしかしたら、金髪を経験してみたかった、なんて下心もあったかも知れない。
面白い見世物だったが、意外性は特に無かった。目の前に金髪頭を突きつけられたのがピークだった。
そもそも僕の人生は、意外性と無縁のものだった。
自分の人生と、それに伴う振る舞いが全て決まっていることに、最初から大きな疑問は抱かなかった。みんな同じ様に、自分の身に起きることを知っているのだと思っていた。
どうやら違うらしいぞ、と気付くのに時間はかからなかった。五歳になる頃には、自分が少し特殊な仕組みをしていることに気付いていた。気付いたが、そこまでだ。僕のビデオテープは特殊仕様だが、パッケージは皆と同じである。仕組みは外から見えない。
僕は何も変わらなかった。
……ただ、気付いてからは、常に少しの寂しさが傍らにあった。一人だけ、というのは寂しいものなのだ。
それを、ポツリと零したことがある。
◇ ◇ ◇
小学五年生の夏休み、地区行事で近所の寺の座禅会に参加したときの事だった。
座禅会は寺自体の恒例行事で、地区の子ども会以外にも参加者が数人居る。その数人もおおよそ面子が決まっていたのだが、その日は初めて見る少年がいた。
それが広夢だった。
僕は座禅が嫌いでは無かった。座禅の後に住職が話してくれる仏教の豆知識を聞くのも好きだった。当然のように遅くまで寺に居座り、大人の茶飲み話を盗み聞きしつつ縁側で最中を齧ったりしていた。一度も怒られたことは無かったので好き勝手していたが、他に同じことをする子供はいなかった。
「もう一個いる?」
「ありがと、けど遠慮しとく」
その日に広夢が声をかけてくるまでは。
「驚かんのな、急に声掛けたのに」
彼は、最中の小袋を二つ持って隣に座った。僕はぼうっと前を見たまま、「知ってたから」と呟いて食べ掛けの最中を齧った。
「僕、広夢」
「中原純太」
「ああごめん、そうだね。田代広夢」
「田代さんの息子さんか」
「息子さんって、同い年じゃん」
広夢は屈託なく笑いながら最中を齧り、合間合間に適当な話をした。最近採ったカブトムシの幼虫の話とか、まあ、明らかに物を食べながらする話では無かったが、面白い上にずっと喋っているので相槌を打つだけで済むのが楽だった。僕が彼の父親に懐いていたのもあってか、初対面の割に広夢への抵抗は全くなかった。
一つ目の最中を食べ終わり、カブトムシの話が終わり、自分で持ってきた二つ目に手を伸ばす頃、広夢は何ともない風に言った。
「で、純太は?」
「……何が?」
「何か人に聞いて欲しい話、無いの?」
まるで見透かしたような言葉だった。
座禅をしに寺に来る度、僕は自分の中のビデオテープについて考えていた。誰にも話したことがない、僕の中の絡繰について。
誰かに聞いて欲しい。
そう考えた事が無いと言えば、嘘になる。
「……作り話で良ければ」
そう前置きして、僕は全部話した。これまでに自分の仕組みについて考えた事、感じた事、他の人との違いの事。
寂しい、と思った事。
広夢とは小学校が違う。嘘吐きだと思われてもいいかと思う反面、彼が決して僕の言葉を疑わない事も知っていた。
「ふぅん、純太は大きいオマケ持ちなのか」
サクサク最中を食べつつ僕の話を全部聞いて、広夢はあっけらかんとそう言った。
「……オマケ?」
「そ、オマケ。俺、他にも大きいオマケ持ちの人三人知ってるよ。ここの寺の和尚っさまと、隣町の鍼師の先生と、東京にいる友達がそう。純太で四人目だ」
小指から順に指折り数えて、残った親指だけが立つ拳をグッと見せながら笑う。
「人のオマケを言いふらすのは良くないから黙っとくけど、神様がくっつけた『人と凄く違う部分』をオマケっていうんだって。で、カガクで説明出来ないオマケを、大きいオマケっていうんだ。お父さんが言ってた」
目からウロコだった。
「……そういう、その……大きいオマケ持ちが……僕以外にも、居る?」
「いるいる、いっぱいいる」
僕みたいな『変』を抱えて生きている人が、居る。
「心配すんなよ、人間八割オマケだから。同じ部分のほうが少ないって」
そう言って広夢はケラケラ笑った。
西日に照らされた広夢の頬が、やけに赤く眩しく見えた。
◇ ◇ ◇
ふと気付くと、窓から差す光の色が変わっていた。壁掛け時計は午後3時を示している。いつの間にか広夢と会った時の事を『思い出し』ていたらしい。勉強はあまり捗らなかった。
あれ以来僕は、ビデオテープのパッケージに拘らなくなった。
『思い出し』には感情が伴わない。だからこそ、新しい経験、新しい知識、知的好奇心を満たす事が何よりも好きだった。学校の授業なんかでは全然物足りない。僕は小五の夏休みの自由研究に懐中時計の解体図と組み立て方を提出し、休暇明けから授業と並行して辞書や資料集を読むようになった。
中学では二年時に担任となったサルに良く思われず問題児として教室を追われてしまったが、さして困る事は無い。クラスメイトとの折り合いは良くも無いが悪くも無いし、テストと宿題を徹底しているので成績もギリセーフ。実技が必要な授業には出席しているし、学内清掃にもきちんと参加している。
僕はジャージに着替えてから勉強道具を片付け、代わりに清掃用の雑巾を手に取った。タイミング良く清掃開始のチャイムが流れる。音源のスピーカー横には、時計と並んで額に入った標語が飾られている。
『知っている より わかっている
わかっている より できている』
子ども用の安っぽいフレーズ。しかし僕は、この標語を気に入っていた。
──知識と経験と成果は別物である。すべてが揃ってこそ価値がある。
僕は小さく頷いて、掃除ロッカーからバケツを取り出した。
ビデオテープの上を歩く人生も、そんなに悪くない。
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