きつねのいる街(三題噺)

揺井かごめ

1.ともがら

 ぐぬう、と低いうめき声が聞こえて、俺は思わず運転席を見遣った。喪服を着た古馴染みの従兄弟は、顔を顰めて眼鏡の下に指を滑り入れ、目頭をグイグイと摘んでは圧迫している。

 近所で小ぢんまりと行われた親戚の葬儀からの帰路だった。火葬場の関係で午前中に済み、昼食代わりの精進落しをたらふく食った後である。秋の昼間で、フロントガラスから射す陽気も心地良い。初めは眠気かと思って茶化そうとしたが、見れば顔色が紙のように白い。

「どうしたツトム、頭痛か?」

「ん……ああ」

 低く肯定するツトムの声には、明らかに元気が無かった。

「コンビニ寄って休憩するか? 運転代わるか?」

 俺の問いに、疲れた顔で首を横に振る。無理をしがちなところは、若い頃から変わっていない。

「……歳かねぇ」

「俺等も四十路だからなぁ」

 白髪も増えたし、腹も少し出てきた。今日は調子が良いが、俺も最近、ふとした時に体の節々が悲鳴を上げる。季節柄、気圧変動も多い。関節痛や頭痛にはそういうのが響きやすいと聞いた気がする。

「お前が運転でポカやるとは思わんが、やっぱり休んだ方がいいんじゃないか。和尚っさまの家に寄らんか? 横になるくらいさせてくれるだろう、この後は暇だってさっき聞いたでな」

 俺達の家は、近所の山寺の檀家だ。子供の頃から世話になった先代の和尚っさまは既に鬼籍に入られて、今は先代の息子、俺達より一回り年下の若い和尚っさまが住職をやっている。住職は先程の葬儀で経を上げ、簡単な説法をしてから、大きめの荷物が届くからと直ぐに帰った。家にいるはずだ。

 今走っている場所からは、俺やツトムの家より山寺の方が近い。ツトムの酷い顔色を見せれば、暫く休ませてくれるだろう。

「……そうだな」

 頑固なツトムは暫く黙した後、渋々といった風にハンドルを切った。

 申し訳程度に舗装された細い横道をガリガリと進み、緑深い山中の寺に辿り着く。運転席から降りたツトムに肩を貸そうとしたが、やはり首を横に振られた。意固地な奴だ。

「おやおや、どうされました」

 車が駐車場の砂利を踏む音に気付いたのだろう、つっかけを履いた和尚っさまが一人出てきた。大分歳を召した、人の良さそうな顔の和尚っさまだった。住職の知り合いだろうか。

「すみません、ここの住職の知人なのですが、コイツの具合が悪くて……縁側でも借りられませんか」

 ツトムが会釈する横で、俺も軽く会釈しながら声を掛けた。住職は俺とツトムを代わる代わる見てから表情を和らげ、「お上がりなさい」と言って引っ込んだ。

 俺達は、奥の応接間に通された。ちゃぶ台には茶托に乗った温かいお茶と、甘そうな茶請けを盛った菓子鉢が出された。

「田代さん、良かったら横になって下さい」

「いえ、コイツでだいぶ楽になりました。ありがとうございます」

 コイツ、と貸してもらった座椅子をつつき、ツトムは少しだけ笑った。相変わらず顔色は悪い。

「お疲れでしょうし、服を寛げて楽にしたら良いでしょう。気が向いたらお茶もどうぞ」

 年配の和尚っさまはニコニコしながら茶托を少し押して勧め、自分も温かい茶を静かに啜った。

「和尚っさま、田代とは知り合いで?」

「ええ、家族ぐるみでお付き合いがあるんです」

「初耳ですなぁ。ここらへんのお寺のご住職で?」

「そうですねぇ」

「……申し訳ない、顔を覚えるのが苦手でして」

 会った覚えのあるような顔ではあったが、如何せん和尚っさまというのは似たような頭と服で法事をするものだから、自分が世話になる和尚っさま以外となると区別が付かない。

「いえいえ、施餓鬼で一度会うか会わないかの坊主の覚えなんて、そんなもんでしょう」

 和尚っさまは、からからと気分良く笑う。

「……ここだけの話」

 ちらりとツトムに目を遣った後、和尚っさまは声を潜めて言った。釣られてツトムを見ると、疲れたのか眠ってしまっていた。窓から射す日差しも相俟って、顔色が少しだけ良くなったように見える。重畳だ。

「……なんですか?」

 自分も声を潜め、興味を隠さず聞き返すと、和尚っさまはニヤリと笑った。

「田代さん、ついてらっしゃるよ」

「ついて……?」

 明らかに体調を崩して寝ているツトムだが、怪我の功名のようなラッキーがあるのか、何か良い菓子でも出してもらえるのかと下心が動いたが、早とちりだった。

「コレに」

 和尚っさまは両手をぶらんと脱力させて胸の前に持ってくる。俗に言う「恨めしや」のポーズだ。

「……おばけ、ですか?」

「そんなもんですね。幽霊、ですよ。心当たり、ありませんか?」

 俺は思わず苦笑した。先祖を敬う心はあるが、幽霊やら死後の世界やらは信じていない。そんなことを言ったら、敬虔な和尚っさまには怒られてしまうだろうが。

「心当たり、っつったって、まあ……葬式帰りですから、そこで何か貰ってきたって事ですかねぇ」

 俺もツトムも喪服である。和尚っさまにも容易に想像がついたであろう返事を口にすると、彼は満足そうに頷いた。

「なるほど。では、葬儀の中で、どんなことをしたか思い出してみてください」

 冗談ぽく笑ったまま和尚っさまが促す。

「ええ……?」

「『只今より葬儀を執り行います』なんて坊主が言って、合掌、礼拝、読経……その最中は?」

「お焼香、ですね。何だ、マナーのテストですか?」

「いえ、貴方が何をしたか、ゆっくりでいいので思い出して欲しいんです」

「ツトムじゃなくて?」

「はい、貴方の事です」

 茶化すように言う俺の言葉に、和尚っさまは一つ一つ笑顔で応える。段々と、その笑顔が不気味に思えてきた。

「……家族葬だったんで、お別れの挨拶をして、棺桶を台に上げて囲んで……交代で身支度を整えましたね。ツトムは草履を当ててやってたっけか」

 残暑の温かさの所為にしては冷たい、嫌な汗が背中を伝う。問答を早く終わらせたくて、手短に早口で答えた。

「貴方は、何をしました?」

 にこやかに和尚っさまが問う。何故だか答えるのに踏ん切りが付かず、俺は二、三回パクパクと口を開いたり閉じたりした。和尚っさまは何も言わずに続きを待っている。

「……腕を持ち上げて、肩掛けの袋を掛けてやりました」

 どうにか続きを口にする。

「それから?」

「それから……」

 続きを言うのが、ひどく躊躇われた。

「大丈夫、言ってご覧なさい」

 噛んで含めるようにゆっくりと諭されて、俺はやっと、絞り出すように続けた。

「……袋の中に、六文銭を」


 かさり。


 突然、俺の右手元で音がした。驚きで手足が硬直する。何故か、手元を見てはいけない気がした。

「よくある話なのですけれどね」

 和尚っさまが、優しい声音で語りかけてくる。それを耳にした途端、体が勝手に動いた。ゆっくりと右手が握る。紙切れの感触がある。

「葬儀の後に、故人が霊になってふらついてしまう、なんて事は」

 握った右手に向けて、ぎぎぎ、と軋む様に首が動く。

 俺の手は、四十路にしてはひどく皺が寄り、骨と血管が浮いていた。喪服を着ていたはずの腕には白い幅広の袖が見える。

 握った紙切れの柄は、六文銭。

「ここに来るまでの間、おかしいと思う事は、ありませんでしたか?」

 ──ツトムは、いつもに増して寡黙で頑固だった。まるで、俺の言葉が届いていない様に。

「嘘のように身体の具合が良くありませんでしたか?」

 思い出したように、きぃんと耳鳴りがする。

 ──そうだ、今まですこぶる調子が良かった。身体が軽かった。痛む所もなかった。まるで、身体が無くなった様に。

「私の顔、本当に見覚えがありませんか」

 静かに話す和尚っさまを、改めて見る。

 ──俺の知る住職が、そのまま老いたような顔立ちだった。

 何故。

 ──何故俺は、今まで気付かなかったのだろうか。


「今日は、誰の葬式でしたか?」


 ◇ ◇ ◇


「もういいですよ、田代さん……田代、オサムさん」

 私が声を掛けると、田代さんは苦笑しながら目を開けた。

「すみません住職、お手間を取らせました」

 私も苦笑を返し、お茶を入れ直す。

「いえいえ。貴方と違って見える体質ですから、そう珍しくもありませんよ。自分が亡くなったことに気付かずに自分の葬儀に参列してしまう方、偶にいるんです」

「そうですか」

 どうも、と小さく会釈して、田代さんはお茶に口をつけた。飲み下してほう、と息を吐いた後、先程まで故人が居た場所に残された六文銭の紙切れを拾う。窓の日に透かすように紙を眺める田代さんは、寂しげな顔をしていた。

 今日の葬儀で故人本人が参列しているのを見掛け、田代さんに「何かおかしいと感じたら寺に来てください」と伝えておいたのが功を奏した。 私の体質を知る田代さんは、その場で何となく察したような表情をしていた。恐らく、私が今しがた彼の前で故人を送った事も察しているのだろう。敢えて説明はせず、私もぬるくなったお茶を啜った。

「……父が亡くなる時、伯父さんを任されたので」

 田代さんはポツリと言った。

「私も、ツトムさん達にはお世話になりましたからねぇ。小さい頃なんかは、よく宿題を教えて貰いました。貴方の伯父さんとも、本当に仲が良かった」

 目の前の田代さんは、一昨年亡くなった父親のツトムさんにそっくりだった。田代親子と関わりが深く、思い出も多かった故人にとっては、拠り所として『憑きやすかった』のだろう。

「田代さん、ご臨終の時に彼の側にいましたか?」

「ええ、ずっと声を掛けていました」

「それで一寸勘違いしちゃったのかも知れませんねぇ」

 大往生で現世に残ってしまう人は大抵思い出と現在を混同していて、若い頃の自分として振る舞うのだ。

「私も懐かしい思いをさせて貰いました。久々に話せて嬉しかったです……ところで田代さん」

「なんですか?」

「貴方、つい先週亡くなられましたよね?」

 未だに顔色が悪いままの田代さんに問う。彼はいたずらっぽくニヤリと笑った。

「……まさか君、伯父さんを呼んだんじゃ」

 私の言葉が終わる前に、田代さんはふっと姿を消した。代わりに、ちゃぶ台に残された六文銭の紙切れが二枚に増えていた。

 六文銭。

 三途の川の渡し賃である。

「渡らずに待っていたのか、態と忘れて戻ってきたか」

 思わずため息を吐いて、二枚の紙切れを拾う。そのまま立ち上がり、つっかけを履いて外へ出た。駐車場の隅の砂地にしゃがみ込んで紙切れを置き、懐から出したマッチを擦る。

「全く、世話の焼ける……」

 焚き火と言うには小さ過ぎる火に手を翳して、燃え切るまで暖を取る。日差しは温かいが、そよぐ風は秋らしく冷たい。

 黒い燃え残りに砂をかけ、手を合わせて「今度こそちゃんと渡ってくださいね」と呟いてから、私は再び寺へ戻った。

 ついさっき届いた新しい炬燵を組まねばなるまい。

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