伯爵夫人は静かに怒る ③
子供たちはすっかり満腹して、暖かい草の上に敷かれた敷布の上、日差しを避けるために立てられたパラソルに守られてぐっすり眠っている。
口を利かない『お姉さん』がエレノアの姉ではなく、
「仲良くなったかね?」
先触れを出していたため、妻が来るのを待っていたターランド伯爵ラウドは、嬉しそうに尋ねた。
一方のヴィーシャムはやや気難し気な表情を崩さない。
「ええ。子供たちは……ですが」
「……まだ誤解したままかね?」
激昂した実父にいきなり殴り飛ばされ、気絶した後に目を覚ませば『自分はもう男爵家の息子ではない』とさすがに気づくと思ったのだが──どうやら『養子』という単語を理解することがまだできていないらしい。
「ええ。自分が『よその家の子』になるなど冗談と思っているのか、なぜか使用人としてエレノアに接しようとしますの。私のこともまだ『母上』と呼んでもらえない……『伯爵夫人』と呼びますのよ?あなた……おまけに子守りのリティにまで『よろしくご指導ください』と挨拶するのよ?ああ……どんなふうにあの子が育ってきたのかと思うと……」
眩暈がするとでもいうようにヴィーシャムが額に手を当てながら静かにソファに座ると、すかさず夫は寄り添う。
「少し調べさせたのだがね……二歳になって少しずつ家の…家政婦の手伝いじみたことができるようになってから、すぐ上の兄が従僕のようにあれこれと物を持ってこさせたり、着替えを手伝わせたりさせたらしい。王都の家には通いの者しか置いていないからだというが」
調査結果の記された紙を一枚ずつ取り上げながら、妻に『息子』の過去を話す。
「男爵も『外に行って稼げないから、せめて家の中を整えろ』という姿勢だったらしい。五歳になる頃には立派に家政婦並みのことができた…とある。嘆かわしい!末席とはいえ、ターランド一族に連なる者が、自分の息子を下男のように扱うとはっ……」
「何ですって?」
悔しさの滲むその声に顔を上げたヴィーシャムは、ラウドが握りしめるその報告書に手を伸ばした。
『男爵及び四男については家計の約半数を占める生活費を使って食事や身なりを整え、平民価格ながらも王都図書館に有料会員権を得て四男が不自由しないようにと知識を与えております。
現在実家に残る五男アーウェン様は異常なほどの発育不良と見受けられます。
男爵夫人は男爵よりも生活費を使われないが、生家より秘密裏に援助を受けて体裁を整え、学友だった伯爵夫人などと共に出掛けること多く、五男様の育児に関わらない生活を送っていることを確認いたしました。
家政婦の家族に接触したところ、正確な日付は忘れたとのことですが五~六年前に娘がサウラス男爵家にいる母へ届け物をした時、たまたまよちよち歩きの赤ん坊のような男の子を見たが、あまりの細さに異常と思い、持っていた自作の菓子を与えたところ、母の給金を半月分減らされるといった仕打ちを受けたため、『サウラス男爵家にいた醜いガキには二度と関わらないように』と折檻されたという証言を得ました。
二か月後に四男の誕生日を祝うため、領地で采配を揮う長男の手配により祝い料理などが手配されている模様だが、人数は三人分とのこと。
五男様は誕生のみ教会の貴族用記録に届け出されていることは確認されましたが、祝いを行った形跡は確認されなかったため、現在は母方のキャステ家でその事実を把握しているかを調査中』
「……他の子供たちの誕生日は?」
「次男まではまだささやかながら祝っていたらしい。三男も、四男が産まれた三歳までは祝ってもらったらしいが、それ以降は一切……四男だけは長男の手配で毎年のようにご馳走らしき物を作って食べさせているらしいが、内容的には我が家の使用人たちの食事の方が豪華なくらいだ」
「そんな……産まれた時から?」
「ああ。『せめて女がひとりでも産まれたらよかったのに』と、産まれたばかりの赤ん坊と出産したばかりの妻に言ってのけたらしいからな。そのくせ……」
「ええ、領地にいる間に手をつけた若い娘を懐妊させたとか?そちらの方は優秀なのですね」
ヴィーシャムも夫と同じように細い指でくしゃりと報告書を握って、皮肉に笑う。
強張るその美しい指を優しく開き、ラウドは自分の手に報告書を取り戻したが、代わりとばかりに夫人が自分の扇をギュッと握りしめるのを見て苦笑した。
「まったくだ……しかも実際に自分が『娘』を得ても、大したことはやっていない。手付きになった娘に兆候が表れると領地へ帰ることを拒み、それどころか腹が大きくなってからは一切関わりを断っている」
バキッと鋭い音がして、今度こそ伯爵夫人愛用の扇は折れた。
「……男の……いいえ、『夫』という立場の風上にも置けぬ!妻や子供を幸せにするために身を削るどころか、年端も行かぬ我が子に削らせ、おまけに愛妾を得られる収入もないのに子を産ませるとは!」
「さらに君の怒りをかきたてるようだが……そのメイドは産褥熱で亡くなり、間もなく一ヶ月になる娘は村屋敷の使用人たちが育てているようだ。あちらの領地を代理で治めている長男のロアン夫妻にはその赤ん坊の父親が誰かは言わずにね……おそらく気付いてはいるだろうが」
「……だからその赤ん坊を男爵家で引き取ることが、あの子を我が家に入れていただける条件でしたの?」
皆まで言わず、伯爵夫人は夫が男爵に持ちかけた『養子縁組』の交換条件を察した。
「ああ、うん……それと……」
伯爵はモゴモゴと口籠りながら、次の計画を打ち明け始めた。
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