未来からのSOS
ゆらゆらゆらり
第1話 夢を見たんだ
「いってきます」
声を張りあげながら、つま先で玄関タイルを叩く。急いでいる時ほど足が入らない。
「ちょっと、まだ6時よ」
エプロン姿の母ちゃんが駆け寄ってくる。
言葉に詰まるが、頭に浮かんだ言いわけを、「朝連(柔道部の朝練習)があるのを忘れた」
「もう、急にそんなこと言われたって、お弁当まだできてないわよ」
「いいよ。適当に購買で買って食べるから」
「もう、ちょっと待ってなさい」
母ちゃんはリビングへと姿を消し、すぐに、「ほいっ」
渡された500円玉を有難くいただき、いつものように下駄箱の上から小さな熊ちゃん付きの家鍵を掴んだ。父ちゃんが死んじまってからは、すっかり習慣になっている。
門扉を開けていると、前の家の車庫横から自転車をだす姿が目に止まった。制服が僕とは違う。勿論、女子だから違うのは当たり前だが、通っている学校も違う。
きっと、あちらは本当に朝連なのだろう。
関根美和は鞄を前カゴに入れると、膝丈スカートを翻しながら自転車に跨った。
動きだそうとする自転車へ向けて猛ダッシュ!
肩から襷がけにされたスポーツバッグが荷台を覆っているが、それを抱えるようにしてケツをポンッ。
「何?」
驚き声とともに振り返った美和へ、鞄を渡しながら、「GO!」
だが、自転車は止まったまま動かない。
「チャポ、めちゃくちゃ重いんですけど」
美和が言うのもごもっとも。身長170センチながら、体重は78キロある。
昔からぽっちゃりしていたわけで、付けられた渾名は、ぽっちゃり→ぽちゃ→ひっくり返して、チャポというわけだ。
一方、美和は僕より10センチくらい低い背丈で、体重は……分からないが、すらりとしているのは間違いない。
「悪りぃ。でも、とにかく急いで清見野に行ってくれ」
「なんなの清見野って。学校と反対方向だし、しかもひと駅向こうだし」
そこに行きたい理由はちゃんとある。だが、ゆっくり話している時間などない。
だから、
「今日の朝――」
「分かった。しっかり掴まってんのよ」
短い説明だけで、美和は地面を蹴り、勢いよく自転車を押しだしてくれた。お尻をサドルから離し、ペダルを踏みこんでいく。
入部して2ヵ月少しで、バスケ部のレギュラーをはっているというのは伊達ではないようだ。グングン加速していく。
「ねぇ、グリーンのやつってあれじゃない? ほら、スーパー(マーケット)の向こう」
ここまでに大まかなこと、つまりはここに来た理由は説明していた。
速度が落ちた自転車の荷台から首を伸ばす。
「そう! あれだ」
荷台から飛び降りた。
スーパーの裏には戸建てが並び、その奥に目指すグリーンの3階建てアパートはあった。すぐ裏には雑木林が広がっている。遠くからは鮮やかなグリーンの外観に見えたが、壁は案外くすんでいて、ところどころ禿げ落ちている。
外階段の入り口には集合ポストがある。総戸数は9戸のようだ。
確か……303号室、そこに記憶に残る名前は確かにあった。
階段を上がり、奥を目指す。
息を整えるように大きく息をつき、インターフォンに指を伸ばした。だが、躊躇いから指が縮こまる――本当に本当なのだろうか。
まだ信じきれない自分がいる。だって……。
「チャポ。早く!」
視線を向ければ、美和が早足に外廊下を進んでくる。なんの疑いも持たない真直ぐな目が胸に突き刺さる。
間違いなら間違いでいいじゃないか。それに越したことはない――指に自然と力が入った。
こもったチャイム音がドアの向こうから聞えてくる。反応はない。間を置き、もう一度押してみるが、物音ひとつ聞えてこない。
首を横に振ると、美和の手がドアへと伸びた。ドアノブを握ったと思ったら引いている。
だが、ドアは開かない。鋭い声が飛んでくる。「名前は」
「えっ?」
「だから、名前よ名前。ここの人の名前はなんっていうの?」
名を告げると、美和が大きな声で呼びかけた。だが、やはり反応はない。
今、この中はどうなっているのだろう。あのテレビ中継らしきものは、いったいいつのことなのだろう。それとも、まったく関係ないものなのだろうか。
ふと感じるものがあり、横へと視線を走らせた。
隣の部屋のドアが薄く開いており、こちらを覗き見る姿がある。だが、視線が合った瞬間、顔は消え、ドアの隙間も消えていく。
飛ぶように横へと移り、ドアノブを掴んだ。
すいません――強引にドアを開くと、引きだされるように、よろめく女性が姿を現した。
20歳前後といった感じの女性はOL? それとも、就職活動中の女子大生だろうか。地味な紺のスーツを着ている。出かける直前だったようで、身なりは整っている。
驚きからか、声もでないといった感じの女性に、早口で隣の部屋のことについて問いかける。だが、何? を繰り返しながらキョロキョロするだけで、答えが返ってこない。
「だから、お隣さんのことを聞いてるの!」
横に来ていた美和が、イラつきをあらわにしながら声を張り上げた。
逆ギレしたのか、女性が怒鳴り返す。
「もう、なんなの! 隣? 近所付き合いなんてないし、誰が住んでいるかもよく知らないわよ。それより、あんたたちは誰なのよ」
そう言われると打つ手がない。と思った瞬間、横から美和が飛びだした。
僕の、おいっ! 女性からは、ちょっと!
それしかないよな――おじゃまします。
美和に続き、靴を跳ね上げ、部屋の中へと飛び込む。ダイニングキッチンを抜け、6畳ほどの部屋も駆け抜け、ベランダに向かう。
背後から怒鳴り声が聞えてくるが完全無視。窓を開けて、ベランダに飛びだしていく。
美和がベランダの手すりから身を乗りだし、「行ける!」
当然ここは自分が行くべきでしょ!
美和の肩に手をかけ、軽く力を込めて引いた。振り返った顔にうなずきで応える。そして、入れ替わってベランダの端に立った。
隣のベランダまでの距離、足を伸せば問題なく届く。だが、ひとつ大事なことを忘れていた。たかが3階といはいえ、高所恐怖症ぎみには足がすくむ。手すりに手をかけたまま、体が固まってしまう。
「大丈夫? かわろうか」
聞えてきた声に、お願いします、そんなわけにはいかない。あくまでも高所恐怖症ぎみ、ぎ・み、なのだ。ここは気合いと根性。そして、何より。もしかしたら隣の部屋には――覚悟を決めた。
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