第32話 大会の結末

「おえぇえええええ……」


 僕は自分の限界を超えて走った。

 しかしリーゼには敵わない。


 ウサギと亀の競争で、ウサギが慢心を持たないような戦いだ。


 敵うわけがない。

 相手になるわけがない。

 話にならない。


 リーゼは途中で立ち止まり、真顔でこちらを待っている。

 そんなところはウサギっぽいけれど……

 しかし、追いついたかなと思ったらまた彼女は走り去ってしまう。


 こちらは完全に限界を超えているというのに、リーゼは息を全く切らせていない。

 どう考えても勝てないだろう。

 だけど、ここで諦めるほど僕は適当な気持ちで走っているわけではない。


「くそ……完全にリーゼのことを忘れてた僕を殴りたいよ」


 優勝するつもりでいたけど、リーゼも参加するのを完全に失念していた。

 ってか、リーゼは僕に勝たせてくれる味方だと思っていたのに。

 まぁエルフでも最高峰の運動能力を持つリーゼが相手だ。

 彼女が敵となれば、これぐらいの差は当然だろう。

 

 それでも僕は諦めずに走り続ける。

 最後の最後まで諦めることはしないのだ。

 こんな中途半端なことをしていたら、彼女への気持ちが嘘になってしまう。


「なんだ。まだ頑張っているんだな」

「と、当然だよ……僕はリーゼとキスがしたいんだから」

「…………」


 リーゼいまだに涼しい顔で僕の隣を走る。

 それも後ろを向きながらだ。

 後方に向かって走っている。

 くそっ。分かっちゃいるけど、全く相手にならない。


「なんでそんな変な方向に頑張るかな」

「へ、変って……?」

「…………」


 とうとうリーゼは僕を置いてけぼりにして、ゴールに向かって走って行く。

 僕は意識を失いそうになりながら、マラソンコースを駆けた。

 駆けて駆けて駆け続けたが……リーゼには及ばない。


 結果、リーゼの圧勝で勝敗は決した。

 ちなみにリーゼの記録は当然だが、僕も大会史上最速だったらしい。

 まぁ、歴代二位ってことだな。

 僕の上にダントツのリーゼ。

 この記録は生涯抜かれることはないだろう。

 人間が人間を止めない限りは。


「残念だったね、旦那くん。まさか、リーゼが本気で勝ちに来るとは思わなかったよ。と言うか、凄い運動神経だね、あの子」

「本気だったら良かったけど……適当に勝ちにきて負けちゃったよ。完敗だ」

「……ドンマイ!」


 苦笑いして、僕に向かって親指を立てる山下。

 リーゼは僕の方を見ようともしない。

 大会が終わっても、僕に近寄ろうともしなかった。


 僕は肩を落として、帰路につく。


「ねえ、何を怒っているのさ」

「別に怒ってないよ」


 僕の前を歩くリーゼ。

 決してこちらを振り向こうとはしない。


 僕は夕陽に照らされる彼女の姿を眺め、そして見惚れていた。

 赤く染まる緑色の髪に白い肌。

 それは美しく、そして幻想的であった。


 僕は呆けながら彼女の後ろを歩く。

 するとリーゼはピタリと立ち止まり、そして背を向けたまま何も言わない。


「リ、リーゼ……?」

「…………」


 僕が尋ねても何も言わないリーゼ。

 僕は恐る恐る、彼女に近づく。

 リーゼは逃げようとはしない。

 

 僕はリーゼの肩に手を置き、そして後ろから顔を覗き込む。


「どうしたんだよ……負けて悔しいのは僕の方なのに」

「……私はお前のなんだ?」

「な、何って……奥さん、だよね」


 リーゼは振り返り、冷たい表情で僕を見つめる。


「夫婦関係でキスを賭けた勝負なんて、何を考えてるんだ、お前は」

「い、いや……だってリーゼとキスがしたいし」

「だったら!」


 リーゼはキッと僕を睨む。

 少し怖さを感じると同時に、僕はときめきも覚えていた。


「正々堂々やってこいよ。別に私はキスをするのを嫌がってるわけじゃない。いや、夫婦なんだからむしろ……」


 リーゼはハッとし、僕から顔を逸らす。

 そしてまた家に向かって歩き出した。


「リーゼ……」

「…………」


 僕は……なんて情けない男なんだ。

 そうだ。

 勇気を出せばいいだけなのに、こんな大会を理由にキスをせがむなんて、やっちゃいけないことだったんだ。

 バカ! 僕のバカ!

 穴が入ったら今すぐに入りたい気分。

 いや、穴なんかに入っている場合じゃない。

 今は目の前にいるリーゼだ。


 彼女に情けなく、そして恥をかかせたような気がする。

 女だったら、男から迫ってほしいものなんじゃないか?

 これは僕の独断と偏見ではあるが……でも、リーゼは待ってくれているのは真実だと思う。

 じゃないと、今彼女が怒っている理由に説明がつかない。

 そうなんだ。

 リーゼは待ってくれていたんだ。

 こんな僕を。

 こんな僕でも。

 僕を、待ってくれていたんだ。


「リーゼ!」

「…………」


 僕はリーゼの肩を掴み、そして彼女の身体をこちらに向かせる。


「…………」


 リーゼは後退し、ブロック塀に背を預ける。


「リーゼ……ごめん。僕が全部悪かった。僕が勇気を出せなくて、怖がって……本当に情けないよね。でも! これからは僕、頑張るから! 勇気を出すから! リーゼが安心できるぐらい強くなるから!」

「…………」


 リーゼは「ふん」と鼻を鳴らし、そして目を閉じた。


 もう僕に迷いは無い。

 僕はゆっくりと彼女に顔を近づけ――


 そして、キスをした。

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