第28話 マラソン大会

 学校に行き、朝のホームルームで担任が話をしている。

 僕は左後方、窓際にいるリーゼの顔を眺めていた。

 太陽の光を受けて、キラキラ輝く緑色の髪が美しい。

 これは額面に入れて飾っておきたいぐらい綺麗だな。

 まさに美の結晶。

 この世でもっとも美しいものが、我が教室にある。


「おい、聞いているのか、蓮見」

「え、はい! 聞いてませんでした!」

 

 僕は起立し、先生にハッキリとそう言い切る。

 教室は「聞いてねえのかよ」なんて大爆笑が起きていた。

 リーゼはどんな反応しているのだろうか……

 そう思い、チラリと彼女の方を見ると、リーゼはこちらに視線を向けて微笑んでいる。


 よし。

 リーゼが笑ってくれたのならそれでいい。

 これぐらいの恥、リーゼの笑みに比べたらどうということはない。


「こいつ……まぁとにかくだ、再来週にマラソン大会を開催するから覚えておけよ」

「……マラソン大会?」


 なんでそんな愚かな行為をするというのだ?

 長時間走って、何かいいことでもあるの?

 僕はそう問いただしたい。

 それぐらい、マラソンは愚の骨頂だと僕は考えている。

 

 まぁ実は、マラソンが苦手なだけなんだけど。

 できることならそんなことやりたくないというのが正直な感想だ。

 リーゼにダサいところはできる限り見せたくないんだよな。


「なあ、マラソン大会って、どういうものだ?」

「マラソン大会は、長距離走るってことだよ」

「ふーん」


 担任がいなくなり、リーゼが僕にそう訊ねてきた。

 リーゼは別段興味なさそうにしている。

 しかし、


「そういえば、耕太は運動の方はどうなんだ?」

「どうとは? どういうことですか?」

「どういうことって……得意かどうかってことだよ」

「その質問にはお答えいたしかねますね」

「……苦手ってことか」


 はい。

 僕が苦手なのはマラソンだけではないのです。

 あらゆる運動が苦手なんです。

 だからお願い、運動なんて消えて無くなれ!


「ふーん……」

「リーゼは……得意だよね」


 リーゼに運動は得意か尋ねようとしたが、屋上に飛び上がってきた時のことを思い出した。

 どう考えても得意だ。

 あれで得意じゃないなんて、嘘になる。

 まぁこの世界基準の話なので、リーゼが来た世界ではどうかしらないけれど。


「まぁな。エルフの中でも、一番戦闘力が高かったからな、私は」


 得意どころか、特別だった。

 エルフ最強って、人類最強とかと同意義みたいなものですよね。

 その圧倒的運動能力、また惚れ直してしまいそうだ。


「人には向き不向きがあるから。これぐらいできなくても問題ないよ」

「自分で言うか?」

「言わせて。じゃないと悲しくなるから」


 僕が肩を落とすと、リーゼが笑う。

 その笑顔だけで癒される思いであった。

 するとリーゼが立っている逆の方から、山下が話しかけてくる。


「旦那くん、運動できた方が、リーゼもカッコいいとか思うんじゃない?」

「思うかもしれないけど、それができたら苦労しないからね」

「開き直ってるねぇ。リーゼも、旦那くんのカッコいいとこみたいでしょ?」

「まぁ、見たくないわけでもないけど、苦手ならいいんじゃないか」


 山下は人差し指を左右に揺らし、「ちちち」っとリーゼの言葉を否定する。


「そんな甘やかしてたら、この子は成長しないってもんだよ」

「この子って。お前は僕の親か」

「今から育ててやるつもりだから、親みたいなもんだね」

「どういう理屈? どう考えても親にはならないでしょ」


 山下は笑い、僕の言葉を無視する。


「この子に頑張ってもらうには、何か褒美をあげればいいんだよ」

「そんなんで頑張らないよ」

「やる気がない奴にやらせても意味無いだろ」


 リーゼがもっともらしいことを言った。

 そうなのです。

 やる気がない人間にやらせても意味がないのです。

 運動ははなからやる気がないんだよ。


「だからぁ、やる気を出させるために褒美をあげるんだよ」

「言っとくけどお母さん、どんな褒美を出されても僕はやる気なんて出しませんからね」

「息子よ、そんなことないだろ?」

「そんなことあるよ。最新ゲーム機を買ってくれるって言っても僕はやらないよ」


 全くやる気はない。

 心の底から。

 心底やる気がないのだ。

 そんな僕を動かすような褒美などありはしない。


「リーゼがチューしてあげるって言っても?」

「やる。絶対にやる!」


 あった。

 最強の褒美があった!

 この世でもっとも尊い褒美があったではないか!


「お、おい。私はそんなことしないぞ」

「そんなことぐらいしてあげないと、やる気出ないでしょ。ね、旦那くん?」

「俄然やる気が出てきた! リーゼがチューしてくれるなら、僕はやる!」

「い、いや……やるなんて言ってないからな」


 リーゼは頬を染めながら否定している。

 僕は肩を落とし、机に額を当て、分かりやすいように落ち込む。


 そうだよな……チューしてくれるなんてリーゼは言ってないもんな。

 勝手に山下が言っただけだし。


「……わ、分かったよ。だったら、その大会で一番速かったらチ、チューしてやる」


 僕はガバッと起き上がる。


「なるほど……優勝すればいいだけの話だな?」

「そういうことだ、旦那くん!」


 僕と山下は拳と拳で合わせ、ニヤリと笑う。

 リーゼは額に手を当て、嘆息している。


「まぁ、無理だろ? 一位なんて」

「ふふふ……僕には信念がある。『為せば成る為さねば成らぬ何事も』! 僕は頑張るよ! リーゼにチューしてもらうために!」

「あっそ」


 リーゼは呆れながら自席へと戻って行く。

 僕は山下がパチパチ手を叩いている隣で、これ以上ないぐらいに燃え上がっていた。

 目指せ優勝、手に入れろリーゼのキス!

 まさかこんなチャンスが舞い込んでくるとは!

 僕は絶対にやり遂げてみせる!

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