第30話 あのときの僕
暗闇の中から、声がする。
「……湯船に浸かったまま眠ったみたいに、このまま死ねたらどんなに楽だろう?」
スポットが当たり、俯いた密先輩の姿が露わになる。
「それくらい、私はこの世界が嫌いだ」
そんな一言から、その映像は始まる。入学直後のオリエンテーションだ。
メタ的に視聴者に向けて語る構造を見て、僕は初め、寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう』のパロディだろうと思った。
先輩は俯いたまま続ける。
「この世界にはびこる偽善が嫌いだ。純粋な優しさがあるなら、それは薄気味悪くてもっと嫌いだ。渦巻く自己顕示欲が嫌いだ。……なにより、この世界を愛せない、醜く恰好悪い自分が嫌いだ。あぁ、どうしてこんな世界に私は生まれてしまったんだろう? 我々には息苦しいモラトリアムが与えられる。一体これは、なんのために……」
先輩は顔を上げる。目は閉じたまま。
……正確には、閉じた瞼に目が描いてある。
一見するとふざけている。でも先輩は真面目だ。
きっと、目を開けていては言えないようなことばかりなのだ。
「簡単だ。何かを成すために、生まれてきた。それはなんだ?」
聞いているだけで照れ臭くなる、痛々しい独白だ。
新入生が集められた講堂では、「イタイなー」などと失笑が起きていた。中身に興味を持つ者はほぼおらず、「それより、この子可愛いな」と声が上がる。
彼女の想いは空回りするばかりだ。
だけど僕は、この映像に釘づけになっていた。
先輩が可愛いから?
それもある。だけどそうじゃない。
これは、映像的な導入としてはパロディかもしれない。でも、内容は『書を捨てよ~』とはかけ離れた、彼女自身の心からの嘆きと、決意だ。
僕はこの人と――この「イタイ」人となら、強く響きあえるんじゃないか、そんな衝動に駆られていた。
先輩は、画面外からビデオカメラを取り出す。顔を上げると同時にそれを画面に向けた。
「映画だ」
先輩の手は震えている。そこにはどんな感情がこもっているのか。理解したい、と激しく突き動かされた。
「誰が言ったか忘れたが、映画とは人間の一瞬の輝きを閉じ込めたものだ。その輝きとはなんだ? 世界を救ったとき? 真実の愛を見つけたとき? それもそうかもしれない」
でも、違う。そういうことか?
ならなんだろう、と前のめりになった。
「人間の最高の輝きは、みじめさの中にある。醜いもがきの中にある。もし人生で一番後悔している最大の汚点があるなら、それこそが最高の映画だ」
横っ面をひっぱたかれた。そんな衝撃だ。
先輩は静かに目を開ける。
あ、かわいい。今までのセリフにそぐわないおっとりとした瞳。でも、その奥はギラギラと輝いている。僕はその瞳に吸い込まれる。
「私に醜さをさらけ出してくれる、意志を同じくする諸君。入部を待っているよ」
そこから、明転し、先輩が教会に立っていることがわかる。
それから二年後の今、僕らがいる教会だ。
……そこから、その映像に何かドラマらしいドラマがあったような気がする。でも、僕の中でその映像はここまでで終わっている。
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