第64話 不死身の番犬

「ようやく朝か……」 


 窓から差し込む朝日が部屋を照らす中、オレは身体中の痛みで何度目かの目覚めを果たす。これで何回目だろうか……一晩中これの繰り返しで、全然眠れなかった。これじゃあ、元からあった隈が、より一層濃くなっちまう。


「いててて……」


 痛がりながらも一張羅に着替えつつ一階に降りると、ババアとローという代り映えしない連中がオレを迎える。


「おや、今日は随分と早起きじゃないか?」

「別に……ただ、身体中が痛くて起きちまっただけさ」 

「フッ……そりゃあ、結構なことだねぇ。これを機に規則正しい生活を心掛けな」


 オレはカウンター席に近づき「お母んみたいなこと言うなよ……」と、はにかんだように唇を歪めながらローの隣へと座った。


「よお、ダン君。おはようさん」

「おう、おっさんか。朝から飲んでるとは、相変わらず暇そうだな」

「暇じゃないし、おっさんでもないよ。俺はいつだって、あの日のままさ」


 いつも通りのやり取りをオレは「はいはい……」と軽めに流す。これぞ普通の会話。ようやく帰ってきた日常ってやつだ。安心するねぇ……


「それよりダン君。聞いたよ……噂。大分、派手にやったらしいじゃないの?」

「また噂か……今度は何だって?」

「宿屋を襲撃した男を見事撃退! 主人の為に戦う姿は、まさしく番犬の如く! 地母神の縄張りを不屈の闘志で死守する、その名も……『不死身の番犬』ってね」

「不死身の番犬ねぇ。なんか犬ってところが腑に落ちないが……」


 ローのおっさんはオレの反応を肴に、酒を口に運びつつ陽気に笑い飛ばす。


「まあ、『卑怯な男』の通り名よりかいいんじゃない? それにグリーズ家を陥落させた一件もあってか、ようやく帝国も重い腰を上げるって噂だしね」

「帝国が? まさか今更脱獄した件を掘り返す気じゃねえだろうな?」

「いやいや、そうじゃないよ。っていうか脱獄の件なんて、もうどうだっていいのさ。そんなの霞むレベルのことを、ダン君はしちゃってる訳だしね。それに噂は噂でも……いい噂さ。いずれ帝国から勅使が来ると思うよ」

「勅使って……何の?」


 意味深な笑みを浮かべつつ「それは後での、お楽しみ……」と、ローのおっさんは再び酒を口に運ぶ。どうやらこれ以上のことを話す気はないらしい。しかし、勅使ねぇ……『偽皇帝』ではなく『本物』の皇帝が、一体オレに何の用件なのか? 面倒なことにならなきゃいいが……


「番犬だか忠犬だかどっちだっていいけど、アンタ暇なら店の手伝いでもしなよ? せっかく早起きしたんだから」


 オレの懸念事項など気にも留めないリリーは、相も変わらずしからん内容を提案してくる。


「え? 嫌だけど……」

「何をも当然のような顔で断ってんだアンタは……」


 ジト目で呆れるリリーに、オレは尚も反論の手を緩めない。


「だって見てみろよ、この身体を……オレは怪我人だぜ? こんな状態で従業員を働かせるなんて、雇い主として如何なものだろうか? むしろ休暇の一つでも与えてやるべきだと僕は思いますけどね、ハイ」


 ――ブチッ‼


「……そう言うと思ってアンタ好みの仕事を用意したから、それで――」

「いやいや、僕は仕事をさせるべきではないと申しているんですがね~? 要するに『休ませろ』と、あなたに進言しているんですよ。分からない人だな~」


 ――ブチッ――ブチッ‼


「……この近くに『スペランツァ』っていう宿屋がある。そこが繁盛してる所為か、うちは閑古鳥が鳴いていてねぇ。つまり偵察してくるのがアンタの仕事――」

「あれあれ? 聞いてましたかね、僕の話? もしかして休ませろという、ぬるい言い方がダメだったのかな~? じゃあ、ハッキリ言わせていただきますね……僕を全力で甘やかしなさい!」


 ――ブチッ――ブチッ――ブチッ‼


「……ちなみにその宿屋には可愛いウェイトレスたちが――」

「行きます!」


 オレは満面の笑みで勢い良くサムズアップを繰り出す。対するババアは噴火寸前のブチ切れ顔を披露し、一部始終を見ていたローは大爆笑していた。


「そうかい……ならさっさと行ってきな。アタシがアンタを殺す前に……」

「行ってきまーす!」


 善は急げと言わんばかりにオレは立ち上がると、スキップを織り交ぜながら颯爽と宿屋を出て行った。


「リリーさん、よく我慢しましたね?」

「フン……あんなおバカでも『信念』だけは、いっちょ前にあるようだしねぇ。今日だけは許してやるさ……」





「いや~、どんなカワイ子ちゃんたちが待ってるんだろ~? 楽しみだな~!」


 絵に描いたように浮かれるオレは、更にステップも織り交ぜつつ、見事なご機嫌っぷりを見せていた。

 そんな姿に周囲からは羨望の眼差しが注がれ、オレの高揚感を掻き立てては自然と頬が緩む。


「おやおや? 新しい通り名になった所為か、心なしか注目を浴びてる気がするな~! こりゃあもう、完全にオレの時代が来たってことだろ! ガハハハハッ!」

「ちょ、ちょっと旦那っ!」


 正面から急に呼び止めてきたのは、親愛なる我が相棒のレイ君だった。


「お? 誰かと思えばレイじゃねえか! 相変わらず今日も可愛いZE☆」

「うわっ、キモっ⁉ どうしちゃったんですか、旦那⁈」


 スタイリッシュポーズを繰り出すオレに、あからさまな嫌悪感を示すレイ……これもまた日常の風景。


「分からないか? この周囲から浴びせられる羨望の眼差しを! 不死身の番犬という新たな異名が、オレをここまで高ぶらせたのさ!」

「いや、違う違う! 羨望の眼差しとかじゃなくて、ただ単に気持ち悪がられてるだけですよ⁉ 妙なステップ踏んでたから⁈」

「まあまあ、そう妬むなよ~? 羨ましいのは分かるけどさ~?」


 両手を広げながら悦に浸るオレに、諦めたかのような溜息をつくレイ。


「……もういいです。何言っても無駄でしょうし……それで? そんなウキウキで何処か行くんですか?」

「おう、そうだった! ババアに仕事を頼まれてよぉ。これからスペランツァって宿屋に偵察しに行くんだわ」 

「偵察ですか……っていうか、スペランツァなら逆方向ですよ?」

「え、そうなの? っつーか、よくよく考えたら場所聞くの忘れてたわ! ガハハハハッ!」


 踏ん反り返りながら盛大に笑うオレに、今度は呆れたかのような溜息をつくレイ。


「……まったく、この人は……ほら? 連れてってあげますから一緒に行きましょう? これ以上、醜態を晒させる訳にもいかないですし……」


 まるでオレは先生について行く園児のように、「ハーイ!」と元気よく手を挙げると、弾む気持ちと共にレイの後へと続いて行く。するとレイは何処か心配気にオレの身体を見渡し始める。


「どうした? そんなにジロジロ見て……やっぱり羨ましいのか?」

「違いますよ……旦那の身体、傷が残ってるじゃないですか? もしかして、まだ再生の力が……」


 まあ、ツッコミたくなるのも無理からぬこと。半袖を着ている所為か腕の傷跡が結構目立つし、首元や顔にも幾分か同様の跡が残ってるからな。当然、身体中にも……


「まあ、こいつはオレなりの『戒め』ってやつさ」

「戒め……?」


 オレは「ああ……」と腕を天に掲げ、その刻まれた数多の傷跡を見つめる。


「この傷はオレが弱いという何よりの象徴だ。こいつを残しとけば、それを忘れずに済むし、また這い上がれる。だから治さない……それだけさ」

「なるほど……それが旦那なりの『信念』ってやつですか。立派なお考えかと」

「フッ……だろ?」


 信念を語るオレと、それを認めるレイ……こういった会話も日常には必要だ。


「それはそうと着きましたよ旦那。スペランツァがある風俗街にね」

「――って、もう着いたの⁈ 近っ⁉」


 そして、偶には別の意味での非日常が必要だ。疲れた心と体を癒す必要が……それが此処、ネオン眩しい風俗街には、きっとあるはずだ!

 

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